第一章②
その姿はさながら突風。柏木はジャケットをなびかせて久遠寺玲花へ迫る。ネクタイの端が鋭く舞い、景色が高速で流れていく。
礼拝堂には長椅子が並び、壁際に燭台型のライトが並んでいた。床には濃紺の絨毯が敷かれ、天窓には豊穣を描いたステンドグラスがあった――ものの、天窓に関しては柏木の突入ですでに砕けている。
この礼拝堂で何が行われていたか、柏木はすでに把握している。姫乃の髪飾りがデバイスになっており、ヘリ降下前に映像と音声を確認したのだ。
姫乃と久遠寺はコイントスという形で、この学園の死のギャンブル『奇跡のルルドゲーム』を行っていた。勝利したのは久遠寺で、けしかけられたチェーンソーは敗者への罰ゲームである。
だがそれらのルールを姫乃はまだ知らない。
久遠寺はその無知を利用して陥れたのだ。ゆえに容赦はしない。若者の無軌道な残虐さには、鉄槌を持って知らしめる必要がある。
彼我の距離は見る間に縮まっていき、久遠寺が慌てた顔で後退さった。
「な、なんなのよ!? 怖い! 近寄らないで!」
スカートが舞い、やや細すぎる太ももが露わになった。しかし柏木が注目するのは久遠寺の肉体が健康かどうかではない。
彼女の太ももにはレッグホルスターが巻かれており、そこには拳銃が収まっていた。
「それ以上きたら撃つわよ!?」
「て、鉄砲!?」
姫乃が驚いた声を上げる。
その間に久遠寺は拳銃を抜き、銃口をこちらへ向けていた。
しかし無論のこと足は止めない。柏木は風のように突き進みながら言う。
「撃ってみろ」
「あ、あたしは本気よ!?」
「俺も本気だ。どうした? 怖気づいたか? リモート操作のチェーンソーは使えても、その手でトリガーを引くことは出来ないか?」
「……っ! ば、馬鹿にして……っ。いいわ! 血塗れになって後悔しなさい!」
銃口が火を噴いた。種類はやや見た目重視なリボルバー。矢継ぎ早に発射された弾は六発。ある程度、訓練は受けているらしく、どれも見事に命中コースだった。しかし、
「遅い!」
柏木は一切速度を落とさず、六発の銃弾すべてを紙一重で回避した。銃弾はまるで柏木の体を透過したように素通りし、遥か後方の壁に穴を開ける。
「なんで!? なんで拳銃の弾を避けられるの!?」
「リスク回避はビジネスの基本だ。この程度、社畜ならば造作もない」
「なにその理屈!? 人間にそんなこと出来ないわよ!?」
リボルバーを投げ捨て、久遠寺は踵を返した。転がるように駆け、黒のショーツが見えるのも構わず、礼拝堂の扉へ向かっていく。
どうやら逃亡を選択したようだ。不利と見て即座に逃げを選ぶとは、ビジネスの才能がある。
「押しの一手だけでは商談は成立しない。時には引いて見せるのも交渉術の一環だ。久遠寺玲花、お前はなかなか見どころがある。しかし今回は相手が悪かったな」
久遠寺へ追いつき、固く拳を握った。
「今の俺は現場主義。小手先の交渉など通用せん!」
拳骨を繰り出した。ジャケットの裾が赤毛を掠め、久遠寺の目前の壁に直撃する。すると轟音を上げて壁が陥没した。
「はひっ!?」
悲鳴を上げ、少女は立ち竦んだ。
その眼前では礼拝堂の壁がさらにピシピシ……っとひび割れていった。陥没は綺麗な円型で、その直径は一メートルにも達する。
もしも直撃したならば、久遠寺の頭はスイカのように爆散していただろう。本人もそれを感じ取ったらしく、へなへなと腰を抜かす。
「な、な、なんなのこの滅茶苦茶さは……」
「滅茶苦茶ではない。この程度、社畜ならば誰でも出来る」
「出来るわけないでしょっ!? 常識で物を言って!」
「何を言っている。極めて常識的な話だ」
柏木は破城槌のような音を立てて拳を引き抜く。
「社畜というものは、社命を受ければどんな業務でもこなさなければならない」
その瞳はどこか遠くを見つめる。
「かつて俺が有栖川グループの出版部門に出向した時のことだ。『世界の熊殺し百選』というムック本を編纂することになり、俺は当時の上司の命令で『達人の伝える素手での熊殺し修行法』を実践させられることになった」
「……は? いやなんの話?」
「熊殺しの話だ」
言い聞かすように頷き、熱く拳を握る。
「俺は人里離れた山中に出張し、経費すら使うことのない狩猟生活を送った。同行し
た達人から『気圧を抉るように撃つべし』という突きの極意を学び、一か月後、ついにツキノワグマと相対。三日三晩、素手で殴り合い、そして四日目の朝のこと。ついに熊に勝利した時、俺は――この拳を手に入れていた」
「えっと…………」
「つまりはそういうことだ」
「さっぱり分からないわ!?」
「俺と同じ経験をした社畜ならば、壁を砕く程度、拳で簡単に出来るということだ」
「普通、社命で熊と殴り合うような社畜なんていないから!」
「ちなみに倒した熊はその後、熊鍋にして美味しく頂いた」
「聞いてない! 結末がどうなったかなんて別に聞いてない!」
「そしてムック本はまったく売れなかった」
「完全に骨折り損じゃないの!?」
「……すみません。ウチの出版部門が無茶ぶりして」
跡取りが気まずそうに謝るなか、柏木は「そういうわけで」と声を低くする。
「熊に比べれば、女子高生を素手で殴り殺すことなど造作もない」
「……っ」
赤毛の下の顔が盛大に引きつった。怯える少女を柏木は冷徹に見下ろす。
「覚悟はいいな?」
「い、いいわけないでしょ……っ」
へたり込んだまま、久遠寺は壁へと後退さる。
「あたしはただルールに従っただけよ! あたしはコイントスで勝ち、有栖川さんは負けた。だから罰ゲームをしたの! それが許されてるの! それがこの学園の『奇跡のルルドゲーム』なんだから!」
必死な弁明に対し、反応したのは姫乃だった。いまだ何も知らない跡取り娘は、眉を寄せる。
「奇跡の……ルルドゲーム?」
「そうよ! 有栖川さん、あなたはコインの表を選んであたしに負けたじゃない。だから命を取られても文句は言えないの! むしろ命を献上して、あたしの――久遠寺家の糧になるべきなのよ!」
「……柏木さん、どういうことですか?」
背中越しの問いに柏木は眉を詰めた。
本来ならば、もう少し落ち着いた場所で話すつもりだった。しかし……こうなっては致し方ない。
「ルルドゲーム、それはこの学園の存在理由だ」
絶海の孤島に隔離された学び舎、聖ルルド学園。
ここには没落寸前の資産家の令息令嬢たちが集められている。
その目的は借金返済のために死のギャンブルをすること。
生徒たちにはルルドコインという専用金貨が支給され、ギャンブルによってコインを奪い合う。コイン一枚は日本円の約一億円に相当し、生徒の卒業時に換金される。つまり在学中により多くのルルドコインを集めることで、生徒たちは家を立て直すことが出来るのだ。
それが潰れかけた家の再興という『奇跡』をもたらす、ルルドゲームである。
「だが生徒たちは皆、世界有数の資産家の子供たちだ。順当にコインを集めても、負債額には到底届かない。よってルルドゲームには、ある特殊ルールが存在する」
ゲームの勝敗が決した後、勝者は敗者へ罰ゲームを課すことが許されている。
そしてもしも罰ゲームで敗者が死亡した場合、勝者には学園からベッド数の十倍の特別ボーナスが支給される
「は、敗者が死亡した場合って、そんな……」
姫乃が唖然としていると、久遠寺が背中を壁に預けて立ち上がっていく。
「ふふ、納得いかないかしら、有栖川さん? でもあなたは確かにあたしとの勝負を了承した。その上で敗北したのだから、文句を言う資格なんてないのよ。だってあなたは敗者なのだから!」
「いいや、その論理は成り立たん」
切って捨てるように否定したのは、柏木。そして言うが早いか、久遠寺の制服の内側へ手を滑り込ませる。
「へっ!? やっ、ちょ……どこ触ってんのよ!?」
「か、柏木さん、何してるんですか!? セクハラ、セクハラですよ!?」
「勘違いをするな。物証を捜してるだけだ」
「ぶ、物証?」
「やっ、いやん! ちょっと、そこダメ……っ。ばかぁ!」
遠慮なく制服をまさぐり、見つけ出したのは、一枚の金貨。
生徒たちが奪い合う、件のルルドコインである。
表には学園のシンボルである女神の顔、裏には学園の校章が描かれている。
「姫乃。君たちがコイントスで使ったのは、このコインで間違いないな?」
「え? あ、はい。そうですけど」
頷きが返ってくると、途端に久遠寺が慌てだした。
「か、返して! 返しなさい、それはあたしのコインよ!」
「奪うつもりなどない。ゲーム外でのコインの強奪は認められていないからな」
「だったら早く返して!」
「そうはいかない。このコインには細工の可能性がある」
「さ……っ」
久遠寺の表情が変わった。端正な顔が見る間に青ざめていく。
その反応で確信した。このコインは本物のルルドコインではなく、久遠寺がゲームのために用意した仕掛けコインだ。
見当をつけて握り込むと、すぐにじわりと絵柄が変化した。強く圧力を懸けると両面が表になり、軽く握って温めると両面が裏になった。
変化したコインを久遠寺の眼前へ突きつける。
「相手が指定した絵柄によって、コインの握り方を変え、勝ちを得る。それがお前の
戦法だ。言うまでもないことだが、これはイカサマだぞ?」
「そ、それは……っ」
「ゲーム中のイカサマは重罪だ。発覚すれば即極刑となる。程なくして生徒会執行部
がお前の命を奪いにくるだろう」
「ち、違うの! お願い、話を聞いて!」
「話など無意味だ。このコインを生徒会執行部に引き渡せば、もはや弁解の余地はない」
「で、でも……っ」
泣きそうな顔で俯き、しかしすぐに指を突きつけてきた。
「そ、そうだ! そもそもあなたにそんなことを言う権利はないわ。だってあなた、無関係じゃない! 有栖川さんの会社の人だろうとなんだろうと、あたしたちのゲームに部外者の介入なんて許されない。あなたがイカサマを見破ったとしても、それに異議を唱える権利なんてないわ!」
「残念だが、俺には権利がある。なぜなら俺は姫乃の『差し入れ品』だからな」
「ないって言ってるのよ! 差し入れ品だろうとなんだろうと……え? な、なに? 差し入れ品?」
「そうだ」
重々しく頷く。
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