手袋、マフラー、熱

生田

マフラー、体温、熱

 部室から出ると、あまりの冷気に体を縮める。

 フェンス越しに見えるサッカー部たちも今日の部活は終わりらしく、片付けに取り掛かり始めている。視線をその向こうに移すと空には、うすぼんやりとお月様が出ていて少し欠けていた。

「早苗、ちょっといい?」

 部室の鍵を閉めながら怜が聞いてくる。

「なに?」

 私は少しだけどきどきしていた。

「ちょっと用事あるから、先帰っててよ」

「え、まってるよ?」

 私がそう言うと怜はどうしよう、と呟いて目を伏せる。それでも怜は、よし、と私に手を合わせる。

「じゃあ校門で待ってて。ごめんね、寒いのに」

「いいよ」

「じゃ、ちょっと行ってくるね」そう言って彼女は駆け足で立ち去った。


 陽はまだ完全に沈みきってはおらず、西の空のオレンジ色に暗い紺青が混濁し始めている。

 ぼちぼちと帰路につく生徒たちを横目に、私は手袋を忘れたことに気付いた。部室の鍵は怜が持っていて取りに戻るのは難しそうだ。

 私は冷え切った指先を温めるため手の平に息を吹き込む。そうやりながら指先に体温をもみ込んでいく。早くこないかな、なんて思いながら手をこすり始めたら、怜がパタパタと足音を鳴らして駆け寄ってきた。

「ごめんね、寒かった?」

「大丈夫だよ」

「強がりだなあ。いこ?」

 怜は私の手を取って歩き出す。どうしたのだろうか。気持ち、怜は早足だ。

「用事ってなんだったの?」

「あのね……」

 怜の私の手を握る力が少し強まる。

「あ、ていうか、早苗、手袋は?」

「部室に忘れたかなあ」

 怜はピタッと立ち止まり、私の手を離すと

「はいこれ」と手袋を片方だけ外して渡してくる。

 すると怜は手袋をつけていないほうの手を差し出す。つい私は笑みをこぼす。

「わかった」

 そう応え私は怜の手を取った。怜の真白い手が、とてもいとおしく感じた。

 温かい。


 田んぼ沿いの道を二人で手を繋いで歩く。もう陽は沈みきり、晴れた夜空にお月様が輝く。春先なら水の張られた田んぼにお月様が移り込んでとても美しい。今は収穫も終わって、水も張られていないので枯れた田んぼが照らされている。

「てことは……」

「うん、小林から告られた」

「すごいね。怜」

「うーん」

 小林と言えば、サッカー部のエース。そんな彼から告白されたのに、怜はあまり嬉しそうじゃない。

「どうしたの?」

「いやなんか、よくわからなくてさ」

「よくわからない?」

「うん」

 つい無言になってしまう。それでも怜の体温は感じている。

 いつかは、そんな日が来ると分かっていたはずなのに。横目で覗き見た怜はマフラーに顔をうずめて、少しだけ眉根に寄ったシワが諦観と困惑の中間を示している。

 怜からそれを聞いて、私はどう感じた。私の中の深いところに眠らせていた感情が蘇ってしまったのだろうか。どんなに想ったって届きっこないのに、もしかしたら、と考えてしまうその気持ち。眠らせていたどうしようもない苦しさと胃が浮くような感覚は、私が過去に諦めた感情をふつふつと沸かせる。

「怜」

 これは、友だちとして聞くのだ。私は望んでいない。

「なに」

 私はとても弱虫だから、安寧のため聞くのだ。

「怜はさ、なんて応えたの?」

「うんとね、断ったよ?」

「……どうして?」

「だから、わからないから、かなあ。だからこそ付き合ってもよかったんだけどさ」

「小林君、好きじゃないの?」

「うーん、興味ない、かな」

「怜は、怜はさ」

「うん」

「……好きな人、いるの?」

 ジクジクと何かが蝕むような。

「早苗ってさあ」

「うん」

「そういうこと、聞けるんだね」

「どうして?」

「早苗はちょっと違うじゃん、他の子と」

「そんなの知らないけど」

「私の主観の問題ね。それでさ、そういう話題、敢えて避けてるような気がしてさ」     

 胸の奥、お腹の奥に何かが重くのしかかるような。

「避けてなんか」

「早苗さ」

 そう言って、怜は立ち止まる。

 怜は一度繋いだ手を離すと、絡めるように繋ぎなおした。指先が白くなるくらい互いに握りあう。

「私」

 互いに正面を向いたまま。私は横目で彼女の表情を盗み見る。

「私さ、気付いてるよ」

 どくりと脈打つ。怜はより一層強く、私の手を握りそう言った。

「気付いてるって、なにが」

 目が泳いでいるのか、暗闇に溶けるように立つ錆びかけのバス停ばかり目に入る。

「早苗」

「……なに」

「私、興奮してる」

「いきなりどうしたの」

 既に互いの緊張は手汗と熱で嫌なほど伝わっている。

「早苗」

「なに」

「マフラー、取ってくれない?」

 怜はそう言うと向かい合わせになるように私の腕を引っ張る。

「どうして」

「……はやく」

 私は、しょうがないな、と呟いて彼女のマフラーを繋いでいないほうの手で外そうと間を詰める。

 外している間、彼女の顔が近くて、熱と匂いを感じた。

「とった、けど——」

 一瞬の口づけだった。

「少し、わかったかな」

 そう言うと怜はあはは、と笑い走り去っていく。

 手袋とマフラー。

 私と熱を置き去りに。

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手袋、マフラー、熱 生田 @abend

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