“魔王”と呼ばれた男、“勇者”と呼ばれた男

雛河和文

昔、むかし

 むかしむかし、あるところに。”魔王”と呼ばれ、おそれられた男がいました。

 そして魔王の前には一度だけ、或いは何度も何度も、”勇者”と呼ばれる少年が立ち塞がりました。


 魔王――読んで字のごとく「魔族の王」という呼び名には二つの意味があって、先ず一つは人間が彼を恐れ、同時に蔑む為のもの。

 次の一つは魔族が彼の力強さとその知性、何より高潔な精神を讃える為のもの。使う人が彼を識るものなのか、それとも知るものなのかによって、まったく逆の意味の言葉として使われたのです。


 そもそも魔王は、いや魔族とは、結局のところ他の人より魔力の量が多くて生まれつき扱いが上手いだけの、ふつうの人間でした。けれど人とは自分と違うものを極端に恐れ、時には見下すもの。その偏見を利用して本当に悪いものから目を逸らさせたい人たちの思惑が相まって、魔力を扱える人々は「魔族」と呼ばれ、蔑まれてきたのです。


 そこに反感を持ち、真向から対立したのが、とびきり魔力の量が多くて扱いが上手で、それ故に人一倍周囲から否定されてきた少年でした。少年は同じ「魔族」と呼ばれる人々や、その見た目や文化から差別されていた「亜人」などと呼ばれる他の種族たちを瞬く間に纏め上げ、王国の屈強な兵団とも渡り合える軍を創りました。少年が「魔王」と呼ばれるようになったのも、この頃のことです。


 王様は魔王とその軍の力、何よりそれを拒絶し差別したがる民衆を恐れ、すぐに魔王軍の討伐命令を王国の兵団に下しました。けれど魔王軍は巧みに潜伏場所を隠し、いつも先手を取って王国の街を滅ぼしていきました。兵団の到着が間に合ったときは、その兵団も一緒に。

 正直言って、それまで単なる権威の象徴でまともな訓練もしてこなかった兵団と、常に王国の民や王朝への憎悪に駆られ、その上で熱くならずに研鑽を積み続ける魔王軍では勝負になる訳もなく、その気になればいつでも王国を滅ぼせたのですが、そうしなかったのはひとえに自分たちと同じ魔族や魔族であることを隠して生きている人たちを巻き込みたくなかったからでした。


 ですが、いつまでも黙ってやられるばかりの王国ではありません。王国は国教として信仰される女神に十二人の見目麗しい少年を生贄に捧げ、一人の少年への助力を取り付けて「勇者」として祭り上げ、魔王討伐に向かわせました。

 女神の加護を受けた勇者の力はすさまじく、兵団に犠牲を出しながらもたった七日で魔王の居城に辿り着き、魔王の眼前に剣を突きつけました。

 魔王は小さくため息を吐くと右の指を鳴らしました。次の瞬間、勇者の首が棚から物が転げ落ちるかのように落ちました。確かに勇者の力は素晴らしいものでしたが、魔王の力はそれをはるかに凌ぐものだったのです。


 驚きに目を見開いた勇者の首が、宙を舞って黒曜石の床に落ちる、その刹那。映像を――この世界のこの時代にはないものですが、とにかくまるで映像を逆再生するかのように、目の前の光景が巻き戻っていきます。今度は魔王が驚く番でした。「おい」といつも魔王の食事などを運んできてくれる侍従の女性に訊ねても、今の現象はおろか勇者がここに辿り着いたことすら覚えていない様子。魔王はしばらくぶりに夢でも見たのかと、首を傾げるばかりでした。


 しかし、変わったことはそれだけではありません。普段ならとっくに下調べも準備も終わらせ、街に侵攻している頃合いのはずなのに、軍は未だ出発せず駐屯地に留まっているのです。ざっと、七日分の遅延でした。

 遠見の魔法でそれを知った魔王は初めて部下を叱りつけ、準備を急ぐように言いました。部下たちは初めて魔王の激昂する様――本当は少し難色を示しただけだったのですが、魔王は普段冷徹が故に激昂したように見えたのです――を見て自分たちが怠慢をしたのだと思い、半日で残りの調査と準備を終え、次の半日で街を滅ぼしました。


 そして軍が街を滅ぼした六日後、魔王の前には勇者が立って、剣先を突き付けていました。魔王は既視感を覚えつつも、風を刃にした魔法で首を刎ねようとしましたが、勇者は危なげなく避けました。魔王は僅かに感心して、今度は勇者の足元の空間を魔王の居室の天井辺りに繋げ、足元から足元へ叩きつけました。

 居室と言っても魔王のもの、天井の高さは相当なものです。勇者が床に叩きつけられ、一瞬痙攣し――魔王はまた、あの巻き戻りを体感しました。


 魔王はいよいよおかしいと感じ、ふと思い立って遠見の魔法で遠征させた軍の様子と、侵攻させた街の様子を見ました。案の定、準備中の自分の軍と、六日前には滅ぼしたはずの街が以前のままそこにありました。魔王の中で仮定が確信に変わります。

 仕事を無かったことにされたにも関わらず部下たちを責めるのは酷だと思ったので、魔王はその調子でと一言かけて、その日を待ちました。


 七日後、やはり勇者が魔王の前に現れました。魔王はすかさず風の刃で首を狙い、それを後ろに跳んで避けた勇者の足元を天井に繋げます。けれど勇者はもう一つ後ろに跳んで避けました。勇者は得意げに口を開きます。


「悪いが魔王、その攻撃はもう知っている。勘付いていない訳ではないだろう」

「やはりそうか。よく視れば、貴様には下品な気が纏わりついている。おおかた、あの淫蕩女神の加護辺りか」


 魔王は以前、自分の前に現れた、王国民の多くが崇める女神を思い出しました。


 女神は余程清廉でもない限り男性ならば目を奪われる肢体に、露出の多い扇情的な衣装を纏わせ、まだ幼さを残す時分の魔王に、自分の燕――早い話が愛人にならないかと持ち掛けてきたのです。

 魔王は元々、あのような王国民から崇拝される女神などろくなものではないと薄々勘付いており、いざ品のない格好で現れ、おおよそ女神らしさとはかけ離れた提案を、それもまだ少年と言える年齢の男に持ち掛けてくる軽さを目の当たりにして失望を露わにし、本来であれば絶対に女性に言ってはいけない罵詈雑言の数々を女神に浴びせ、こっぴどく拒絶しました。


 女神は悪い意味での自尊心が強い性質でしたから、それからと言うもの女神としての職務をほったらかしにして、度々魔王に嫌がらせをしてくるのが日常茶飯事となっていました。今回の勇者への加護もその一環でしょう。しかし「死ぬと七日分時間を巻き戻す」なんて、厄介な加護をかけてくれたものです。魔王はこめかみの辺りに痛みを感じました。


 魔王は”巻き戻し”の原因が分かったところで、次に勇者自身に関心を持ちました。

 彼が人間に興味を持つのはとても珍しい――己に『民から恐れられるほど力を増すが、民を助ければ力を失う』という呪いをかけるほどに――ことでしたが、都合三度も己の前に姿を現した勇者の動機が些か気になったのです。いくら女神の加護があるとはいえ、二度殺されてもなお立ち向かうほどの覚悟や理由があるのだろうと。

 そう思って戯れに訊ねたのですが、


「そんなもの、魔王軍との戦いが続く限り徴兵や徴税で生活が苦しいからに決まっているだろう。俺は出来る限り楽をして生きたいんだ。魔王を斃せば一生遊んで暮らせるほどの財を与えられるし、姫も嫁に貰えるそうだしな」


 と何の迷いもなく即答しました。驚くほどの私利私欲です。流石あの女神の加護を受け入れるだけはある、とも。


 魔王はもういいとばかりに魔法で身体の動きを封じました。本当はいっそ殺してしまいたかったのですが、そうするとまた時間が巻き戻るので我慢しました。けれど勇者は嫌な笑みを口の端に浮かべると、自分で舌を噛み切って自害しました。


 巻き戻しの感覚の中、魔王はしまったと頭を抱えます。女神の加護を受けていると言うことは、魔法への耐性もそれなりということ。四肢の動きを封じることは出来ても、自ら命を絶たれてはどうしようもありません。

 仮に舌を噛みきれないように何某かの手段で口を押さえつけても、おそらく今度は呼吸を止められてしまうでしょう。魔王は加護の厄介さに頭の痛さを覚え、同時に勇者の「楽」への執念に愕然としました。生き返ると分かっていても、自分から舌を噛み切るなんて早々出来たものではありません。そもそも城までの七日間だけでも相当な苦労でしょうから、最早本末転倒まであります。


 一先ずまた勇者が城に攻め込んでくるまでの七日の間に、対策を考えるほかありません。と言ってもただ殺せば部下たちの働きが七日分もなかったことにされてしまうし、殺さなくても自害されてしまえば同じこと。意識を乗っ取って木偶人形にすればと思い立ち、王国の首都で兵団と共に出発直後の勇者に魔法をかけてみましたが、まったく効果がありませんでした。あの女神の見下した笑顔が目に浮かぶようです。


 そこで思いついたのが、呪いを有効活用して自分の魔力と魔法の強制力を高めることでした。

 自分に掛けた呪いは単に「金輪際王国とは寄り添わない」という決意を表すためだけのものでしたが、どこか適当な街か兵団の連中でも壊滅させれば、民の魔王への恐怖心は自ずと高まります。そして恐怖されればされる程力は増し、やがては勇者に魔法が通じるようになるのでは、と。


 手始めに魔王は兵団が補給に立ち寄った街の人間たちを、兵団の団員たちが見ている目の前で生きたまま燃やしました。何の前触れもなく人が目の前で炎上するなど、恐怖でしかありません。肉が焦げる悪臭と、生きたまま燃やされる人々の苦悶の声を聴いた団員たちは震え上がり、一目散に逃げ出しました。

 そしてその団員たちを、魔王は首都への連絡役だけを残して雷の魔法で一瞬で黒焦げにしました。連絡役は半狂乱で首都へと逃げ帰り、そこで人々に自分の見てきた惨状を伝えた瞬間、先ほどの街の人々のように生きたまま焼かれました。


 目論見通り人々は魔王をそれまで以上に恐れ、それによって魔王は力を増します。魔王はすぐさま一足遅れて首都に戻った勇者に魔法をかけようとしますが、勇者はもう何だったのか判別がつかない連絡役を抱え上げると、恐慌状態になった人々に向かって大声で語りかけました。


「――おぞましいものを目にしてなお、己の役目を真っ当した我らが兵団の勇士は、無残にも悪辣なる魔王の手によってその命を奪われた! こんな残酷を平気でこなす魔王を恐れる諸君の気持ちは大いに分かる。

 だからこそ! 私は改めて、魔王をこの手で誅し、皆の安寧を取り戻すことを誓おう! 今しばらくの辛抱だ、辛いだろうが、この私と、我が国の誇る最強の兵団を、信じてはくれないだろうか!?」


 魔王は、勇者が何を言っているのか、何をしているのかわかりませんでした。いえ、見る限り演説そのものなのですが、この自己利益最優先の男がまるで本当に勇者か何かのような語り口で人々に語り掛けているのが理解できませんでした。


 けれど、その「勇者のような語り口」こそ、民衆を恐慌から立ち直らせるための特効薬だったのです。


 彼の演説を聴いた人々は口々に、勇者への期待や賛辞の言葉を叫びます。魔王は彼らの単純さを失念していました。慌てて勇者に魔法をかけようとしても、通じる素振りもありません。ならばと即座に首を刎ねにかかるも、勇者は腰の剣で風の刃を切り払いました。人々はそれを見ておぉっ、と歓声を上げました。それを見た魔王は長らくぶりに唖然としました。


 そして数日後。魔王の城に乗り込んできた勇者は魔王に剣先を突き付けます。


「一つ訊こう、勇者とやら。貴様に掛けられた加護、巻き戻しのそれのみではあるまい?」


 そう、演説によって多少なりとも魔王への恐怖が減ったとしても、魔王の扱う最高峰の魔法が切り払われるなど、尋常ではありません。つまり、”勇者の側も強くなった”と考えなければおかしいのです。

 勇者はすぐにその推測を肯定します。


「そうだ、俺の受けた加護は二つ。俺が死ぬと時が巻き戻るもの。そして、”人々から支持されるほど力を増す”というものだ。そして、一度上がった力は下がらない」


 それを聞いて魔王は嘆息します。支持されるほど力を増し、しかもそれが下がらないとなると、勇者はただ魔王軍と戦うだけでも力を増し続けることになります。殺して巻き戻しても力が元に戻らない以上、やがては魔王にも並ぶでしょう。

 その上こちらは一度負ければそれで終わりなのに、向こうは何度でもやり直しが出来て、その度に強くなる。そんな相手、どうしようもないとしか言いようがありません。


「これで分かっただろう。お前には勝ち目はない。ここで潔く散れ、魔王」


 勇者は勝ち誇った様子で、右手の剣を振り上げました。けれど、だからと言って大人しく首をくれてやる訳にはいきません。せめて魔族だけでも自由に生きられる世界にするまでは、魔王は倒れる訳にはいかないのです。

 魔王は雷の魔法で剣を弾き飛ばし、飛びのいた勇者の足元を宙に繋げるのではなく、泥沼のように沈み込むように変えて、風の刃で足の健を切って倒れこませ、体が沈み切ったところで床を元の石に戻しました。これで勇者は身動きを取ることも息をすることもできません。すぐに窒息して”巻き戻し”が起きるでしょう。


 二分くらいして、もう慣れた感覚が訪れます。すぐに遠見の魔法で勇者の様子を見ると、どうやらこの間に人々を焼き払った街で補給を受けている時でした。魔王と勇者の戦いが少しズレて勇者が長く生きたため、戻る場所も少し後になったのです。

 しかし様子が一変、団員の目の前で次々と人々が炎上していきます。当然、魔王は何もしていません。そんなことをすれば前の二の舞ですから。

 けれど魔王がしたと同様に、逃げ出した団員が雷に撃たれていきます。どうしてこうなっているかは理解できていませんでしたが、魔王は連絡員を首都に戻す訳にはいくまいと雷の魔法を放って、それが何かに弾かれました。勇者が現れて以来何度目かの驚愕が魔王を襲います。


 次善策として、魔王は首都の人間を殲滅することを考えて、少し思いとどまります。首都の人間たちを殺すこと自体に、今更抵抗はありません。けれど、首都には一人だけ、魔王が殺したくない人間がいました。


 それは王族の末子、勇者が魔王を討ったあかつきには彼が娶ることになっている、この王国の姫でした。

 彼女は紛れもなく、魔力を扱えない「人間」なのですが、王族に生まれたことで「魔族は魔力を使えるだけのただの人間」であることを知っており、また自由に城から出ることができないことで、魔族が迫害されている空気を直には知らないおかげか、王国の人間でほとんど唯一、魔族への偏見を持っていませんでした。魔王が早々に首都を攻撃しなかったのも、彼女が城にいて、魔王にも殺すか生かすか決めかねている、という理由があってのことです。


 そもそも現在の魔族と人間の対立自体、今の国王が幼少期に城を抜け出して身分を隠し街で他の子供と遊んでいたところ、そこで魔力を使って怪我人を治した少年が褒められるどころか治してもらった当人にすら虐げられる様を見て、「魔族を擁護して批判されたくない」と考えて魔族討伐令なんてものを出したからなのですから、姫が魔族に偏見がないのも当然といえば当然なのですけれど。


 魔王は逡巡しゅんじゅんの後、「姫を魔法で眠らせて、寝ている間に他の人間を皆殺しにする」という決断をしました。目が覚めたら肉親も城下の人々も消え去っているのはさぞ恐ろしいでしょうが、背に腹は代えられません。燃やした後の死体も消え去った無人の首都に辿り着いた連絡役は、絶望した瞬間に発狂死しました。これで一先ずは勇者の強化を防げたでしょう。そしておそらく、二度とこの流れは起こらないと魔王は確信していました。


 七日後、現れた勇者に魔王は質問をしようとして、思い直しました。勇者の方も一つ疑問があったのですが、同様にやめました。今回だけ勇者は何も抵抗せず、魔王に殺されました。


 そして時間は巻き戻って七日前。勇者は兵団を引き連れず、あえて少しずつ街を巡って、行く先々で魔王軍を倒しながら道のりを進みました。途中で街に侵攻する準備をしていた魔王軍の部隊も倒したことで、勇者への支持は更に上がりました。


 そして、七日以上の数日が経ったとき、勇者は魔王の城に辿り着きます。

 魔王は勇者が辿り着くその前に、城にいたすべての部下を別の場所に逃がしました。


 今、この城には魔王と勇者の二人しかいません。勇者は前回言わなかった疑問を口にしました。


「この前は何故、姫を殺さなかった。お前は人間を恨んでいるのではないのか。お前は人一倍、人間に虐げられた恨みがあるだろう」


 魔王はその問いに、思わず笑いだしました。そしてすぐにこう返しました。


「勘違いをするな、”勇者”。我らは我らを虐げるから人間を憎んでいるのではない。”人の形をしているか、人以外の力を持っていないかで人間かどうかを決め、人間かどうかで敵か味方かを決める人間”を憎んでいるのだ。我が軍の誰一人とて、”人間だから人間を憎む”者など居るものか。あまり我らを見くびるなよ」


 そう。魔王も、それに付き従った人たちも、「人間だから」という理由で人間に敵対した人はいません。それは彼らが本当に憎む”偏見”そのものなのですから。彼らは差別や偏見を憎むからこそ、差別や偏見を持ってはいけなかったのです。


 次に魔王は、勇者への質問を投げかけました。


「そういう貴様とて、我らと同じ”魔族”と呼ばれる者だろう? そうでありながら、何故我らと敵対する?」


 魔王が最初におかしいと思ったのは、演説の後に魔王の放った風の刃を、こともなげに切り払ったときでした。魔法を魔法以外で打ち消すなど、本来有り得ないことです。

 ですが、それが女神の加護によるものではないと確信するのには少し時間が掛かりました。勇者が自分に与えられた加護は二つと明言したこと、一度魔王が起こした惨劇が、魔王以外の手で再演されたこと。それらが勇者が実は魔族であることを物語っていました。あの惨劇で得をするのは最早勇者一人な上に、あれを起こせるのは魔法以外にあり得ませんから。


「あぁそうだ。俺は魔族であることを隠して生きてきた魔族。何故お前たちと敵対するのかなんて訊かれれば、そんなの当然”こっちの方が得だから”に決まってる」

「どこまでも己の為なのだな、貴様は」

「当たり前だ。あんな偏見に差別意識、その上我欲塗れの輩のために何かしてやる気になる奴がどこにいる」


 そう。勇者は確かに私利私欲のために魔王軍と戦っていましたが、それは自分だけを優先しようとするからではありません。自分以上に優先するような相手が他にいないから、結果として自分を優先することに繋がっていたのです。

 彼が兵団を平気で犠牲にしたのも、どうせ生き返るからというだけではなく、彼らの中にある魔族への差別意識と、人間至上主義的な発想が心底嫌いだったからでしょう。


 お互いの本心をしっかりと確認した二人は、もう何も言うまいとばかりに剣を取りました。剣と剣がぶつかり合う度火花が散り、甲高い音が城中に響きます。そして長い、とても長い時間それが響き続けた後、一振りの剣が床に落ちるのを最後に、甲高い音は止みました。――勇者の、勝利です。


 胴を深々と刺し貫かれた魔王は膝をつき、だんだんと光を失っていく目で勇者を見上げます。その姿が、”魔王”となることを決めた日のとある少年と被って見えました。


 魔王と呼ばれ、そう名乗った男は、呆気ない自分の幕切れに苦笑しながら目を閉じて――ひとつだけ、おかしなことがあることに気付いてしまいました。


 勇者は私利私欲で戦っていましたが、別にそれだけなら魔王軍に所属しても良かったのです。このままいっていれば戦いは間違いなく魔王軍の勝利だったのですから、魔族であり、周囲の人間に何の思い入れもない彼は、何の憂いもなく魔王軍に所属できたのに。何度死ぬ思いを、殺される思いをしてまでも”勇者”として戦う理由はないはずなのに。


 魔王は最後の力で、遠見の魔法を強めた魔法――言うなれば”過去視の魔法”で、勇者の過去を視ました。そこには、複数の大人たちから様々な男に遭わせられる姫と、それを扉の隙間から窺う執事服の少年の姿がありました。

 また違う場面には、魔族と人間がどう違うのか、父である国王に問う姫の声を聴いて、一人廊下で涙を流す少年の姿がありました。


『あんなに素晴らしい人が俗物どものものになるくらいなら、俺のものになればいいのに。他のものなんてのはどうでもいいから、俺はあの人が欲しい――』


 また別の場面――一介の執事見習いだった少年が”勇者”として女神の加護を受け、魔王を討った際の褒美は何がいいかと問われる場面では。


『まずはこの身では一生かかっても使い切れないほどの財を。――そして、国王陛下のご息女を、我が妻に迎えたく思います』


 態度は極めて慇懃。けれど強欲に、臆することなく要求を述べる少年の姿がありました。


 それを視た魔王は満足して、今度こそ目を閉じました。

 これほど自分の目的の為に全てを投げ打つ強欲な”勇者”なら、この”魔王”を討つに相応しいと。



 ~終幕~

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“魔王”と呼ばれた男、“勇者”と呼ばれた男 雛河和文 @Hinakawa

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