世界から解き放たれる
「宮越くん」
立ち上がり、話し相手に向き直り、にこやかに手招く。
1・頭を振る。
2・後ずさりをする。
3・微動だにしない。
実質的に選択可能な選択肢の中で、宮越くんは1の行動をとった。傲慢にならず、かといって逃げもしない。なるほど、宮越くんらしい。
手を下ろす。直立していた宮越くんが、突然の強風に腰を落として耐えた、という姿勢になった。それを合図に、じじじじ、じじじじ、と、彼の体は前方へ引きずられていく。踏ん張ってはいるものの、全く効果がない。
「やっ……やめろ」
宮越くんの顔のパーツは、完成図から少しズレた福笑いのように歪んでいる。対話の間は治まっていた汗が、再び大量に噴き出し始めた。盛んに首を横に振って拒絶と嫌悪の意思を示すけど、ぼくは力を行使するのをやめない。やめるはずがない。
「やめてくれ……ああ……」
あっという間に残り一メートルを切り、そして、
抱擁。
体と体を密着させたことで、伝わってくる体温。胸と胸を合わせたことで、感じられる鼓動。ぼく発祥の体温と鼓動は宮越くんのもので、宮越くん発祥の体温と鼓動はぼくのもののような、そんな錯覚。接している部分から両者が互いに溶け出して、一つのものへと緩やかに変容していくような、そんな感覚。
でも、宮越くんの全身の筋肉は極限まで強張っていて、その状態が持続する限りぼくたちは一つになれないのは火を見るよりも明らかで、それがもどかしくて、この心地良くて幸福な時間を心の底から楽しむことができない。
どうして? 宮越くん、どうして、ぼくに委ねてくれない?
表情を窺おうと、胸に埋めていた顔を上げた瞬間、予想もしていなかったことが起こった。
「うわーっ!」
宮越くんが泣き出したのだ。
「くそう! ちくしょう! なんで、なんで……」
「宮越くん、なんで泣いているの? なにがそんなに悔しいの?」
「嫌だっ! 嫌だぁあああっ!」
「なにが? なにが嫌なの?」
「人殺しなんかと、一緒にいたくない!」
言葉が形を持った刃と化し、ぼくの心臓を貫いた。神ではなかったなら、その瞬間をもって存在を永遠に終了していただろう。最上級の嫌悪。明々白々たる拒絶。
「殺せ! お前なんかと一緒にいるくらいなら、殺された方がマシだ!」
放水量が爆発的に増大した。蛇口から湯水を放出する音が聞こえ出し、バケツの水をひっくり返した音になり、足に冷たさを感じた。あっという間に踝まで水没。水位の上昇は留まるところを知らないどころか、加速する。早くも膝に迫っている。
宮越くんは泣き止まない。一人の人間の内側に、こんなにも多量の水分が溜め込まれているはずがない。明らかに神の力。使っている自覚はないのに。止まらない。止められない。暴走。
ぼくは、本当に神なの?
股間に水面を感じた。上昇速度はまだまだ加速し続ける。足の裏が床から離れた。周囲を見回すと、死体や机や椅子が浮かんでいる。花山さんの脳味噌も。せっかく邪魔な肉体と決別したのに、五百年どころか五時間も生きられなかったね、残念でした。
頭上になにかが迫る気配がすると思ったら、天井だ。逃げ場がなくなり、溺死、はいおしまい、なのだろうか。力を制御はできないけど、力は使えているわけだから、神であることは確かなのだから、きっと存在は消滅しないはず。確証は持てない。でも、答えはもうすぐ出る。来い、天井。
堅いものに頭が当たったと思ったら、視界が一瞬暗くなり、光が差した。教室だ。1―Aじゃない。神の力を使って、2―Aの教室だと知る。天井を突き抜けたのだから当たり前だ。2―Aにいる人間は全員、死んでいる。しかも、頭蓋骨をかち割られて脳髄が露出する、腰を境に体を二等分されて腸が溢れ出す、心臓を抉り出されて大量の血を撒き散らす、といった具合に、殺され方はことごとくむごたらしい。客観的に見れば、ぼくの殺し方とどちらが残虐なのか。客観的。神になって以来、その視点から物事を見られなくなってしまった。
それにしても、この虐殺は誰の仕業だろう。中崎先生的資質を持つ人物が、中崎先生の場合とは違ってぼくの力を一切借りることなく、自力で壁を乗り越えたのだろうか。それとも、ぼくが無意識に? だとすれば、残虐でむごたらしいのは結局ぼく、ということになる。
っていうか、全知なのにそんなことも分からないって、どうなの? 涙も制御できないから、全能なのかも怪しいし。唯一神なのは多分そうだと思うけど、証明する方法はどこにもない。
ぼくは、本当に全知全能の唯一神なの?
また天井が頭上に迫る気配。水は天井を越えて上昇を続けていて、宮越くんは依然としてぼくに抱き締められている。だけど、1―Aにあったガラクタ全般は三階まで来ていない。つまり、すり抜けられるのはぼくと宮越くんと水のみ。
四階に出た。3―A。ここでも生徒たちが惨殺されている。水位は加速度をつけて上昇しているので、床=天井から体が出たと思ったら、すぐに天井=床だ。頭からのめり込み、通り抜ける。
眩い光。体が水から飛び出す感覚。束の間の滞空を経て、床に落下。
屋上だ。床をコンクリートに覆われ、外縁を金網フェンスで囲繞された、広漠とした空間。無人だ。
正確には、宮越くんがいる。ぼくの真正面に、ぼくと同じ、正座を少し崩したような座り方で座っている。魂を抜かれたような顔だ。いつの間にか、両腕による束縛はほどけていて、距離はおよそ二メートル。ぼくの方は見ていないけど、存在はちゃんと認識しているみたいだ。
「宮越くん」
呼びかけに反応してこちらを向く。動作は緩慢というほどでもなかったけど、放心したような顔つきに変わりはない。
「やっと二人きりだね」
立ち上がり、空間内を軽く見回す。
「死体もなにもない、二人きり」
宮越くんはリアクションを示さない。
「他人には普段どおりの白倉若葉に見える」という設定を解除する。宮越くんの目には、制服姿の白倉若葉から、白尽くめのモデル体型の女性に一瞬で変身したように見えたはずだけど、やはり反応はない。厳密にいえば、ぼくへの関心の度合いが一瞬急激に高まったけど、それはいわば、顔の前で掌と掌を打ち鳴らされたから思わず目を瞑ってしまった、みたいなもの。実質的にはノーリアクションといっていい。
落胆したけど、心の奥では、こうなることは分かっていた気もする。
分からないことも、できないこともあるけど、それでもやっぱり、
「正真正銘の二人きりじゃないけど、でも、正真正銘二人きりになることもできる。核爆弾では無理でも、ぼくの手なら。だって、」
ぼくは、全知全能の唯一神だから。
「宮越くん、聞いて。ぼくね、学校に来る前にお姉ちゃんを殺したんだけど、凶器に鉛玉を使ったの。ビー玉より一回り大きいサイズの、どうってことのない鉛玉。でね、その鉛玉なんだけど、お姉ちゃんの体を貫いたあと、行方不明なの。行き先はぼくにも分からないんだけど、でも、今もこの世界のどこかに存在するのは確か。――というわけで」
宮越くんに歩み寄り、すぐ目の前で足を止める。廃人を思わせる顔がぼくを見上げる。精いっぱいイノセントさを心がけて微笑み、自らがまとっている衣類の全てを一瞬で消し飛ばす。彼の頭上に右掌をかざす。
「鉛玉、二人で一緒に探しに行かない? イエスかノーか、どちらかで答えて。――どっち?」
「行かない。」
宮越くんはトランプ大の真っ白な一枚のカードになった。床に落ち始めるよりも早くそれを掴み、左胸に押し込む。カードは緩やかな速度で埋もれていき、体内に埋没した。
助走なしで、それでいて軽やかにフェンスの上に飛び乗る。視界に映るのは、神だと自覚する以前のぼく=白倉若葉が生まれ・育ち・暮らしていた町。
景色を眺めるのに並行して、神の力を行使して、この世界の現在・過去・未来の一切合財を同時に直視する。
……ああ。
イノセントな微笑は醜悪に歪み、ぼくは悟る。
手に負えない。この世界は、あまりにも多種多様で、あまりにもファジーすぎる。創造した張本人、脚本の執筆者であるぼくでさえも、掌握することは不可能。
だったら、
背中から天使の羽を生やす。二枚貝のように閉じ合わせれば、全身を完璧に隠匿できるほど大きな、一対の翼。何枚かの羽根が脱落して虚空を舞う。
「さあ、行こうか」
左手を左胸に宛がい、イノセントな微笑みを復活させる。
「この世界を、ぼくの力で壊そう」
胸から手を離し、フェンスを蹴る。ぼくの体は宙へと解き放たれる。
真っ逆さまに地上へと落ちていく。
ぜんちぜんのう! 唯一神ガール 阿波野治 @aaaaaaaa
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