後編

 その日の朝食も、人形がとことこ運んできた。

「ありがとう、次郎」

 お礼を言うと、ぺこりとわら人形がおじぎをした。

「そっちは太郎だ」

「できたんだ」

 前に修理していると言っていた、もうひとつのわら人形らしい。

「次郎とどう違うの?」

「そうだな、顔の線が細い」

「顔……?」

 あたしは太郎の抱えてまじまじと見る。

 太郎の顔はどう見ても、わらだけののっぺらぼうだった。次郎との違いはまったくわからない。

 しかし、秋衛さんは明らかに真顔だった。

 いただきますをしてから、秋衛さんは一口みそ汁をすする。

「今日はまともだな」

「あたしが味見をしたから」

「なるほど、これからも頼む」

 そうして、味見はあたしの仕事になった。

 


 大抵の仕事は太郎と次郎がやってしまうから、家での生活はだいぶ暇だった。秋衛さんが書庫からいくつか本を出してくれたが、これも昔の言葉なのでなかなか読めない。ほかに暇をつぶすものもなく、しかたなく内容を類推しながら読んでいった。古語の授業だってこんなに真剣に読んだことはない。

「秋衛さんは何が仕事なんですか」

「仕事というほどのものはない。ふもとの町で何か手伝って、お礼をもらうくらいだろうか。金が足りなければ山菜やきのこをとって売っている」

 確かに、山菜や山の木の実を干して保存食にしたり、塩やとうがらしで漬けたりしている。それも人形が手伝っているので、大した仕事というわけでもない。

 することがないときは、何か文章を書いていたり、書庫で調べ物をしているようだ。

「気楽な生活だ……」

「まあ、そう言われても仕方がないかもしれんな」

 秋衛さんは苦笑した。



 そんな暇な日常の中、休憩がてら昼寝をしていると、物音がして目を覚ました。

 障子を開けて外をのぞくと、30代くらいの女性が、庭の垣根のあたりをうろうろしている。

 怖くなったあたしは、部屋を移って秋衛さんに報告した。

「秋衛さん、庭を知らない人がのぞいてる」

 秋衛さんは、つっかけを履いて庭に出た。

「どなたかな?」

 秋衛さんが問うと、女性は、走って逃げていった。

「こんなところで何をしていたんだろう」

 秋衛さんは次の言葉を言うのに少し悩んだ。

「きみもなんとなく気づいているかもしれないが、この山では自死をしようとするやつがあとを立たなくてな」

「でも、あの人は死にそうに見えなかったけれど」

 何かを思い詰めている感じはしたけれど、表情に宿る意思ははっきりしていた。今日明日死ぬような人には見えない。

「首吊り自殺のひもをな、煎じて飲むと万病に効くという話があってだな」

 あたしはぎょっとした。

「……迷信だよね?」

「ほとんどはそうだ。が、ときに強い怨念というのは人知を越えた力を持つことがある。だから可能性がないとは言えない」

「でも、あるかどうかもわからない可能性にかけるなんて」

「それだけ誰かを生かしたいという切実な気持ちがあるということだ。私は笑い飛ばせない」

 そんな人にすら共感してしまう秋衛さんは優しい。あたしなら気持ち悪いですませてしまうだろう。

 それからふと思い当たる。

「ひょっとして、あたしみたいな人を拾ったのって初めてじゃないのかな?」

「そうだな」

 自分でもよくわからないけれど、その事実にがっかりしてしまった。無意識に自分は特別だと期待してたのかもしれない。

「大抵泣いて家を出たいと言うので、家から出してやっていた」

 そりゃあ、人形を動かしたり魔法みたいな力で家に戻したりしていると、そういう人の方が多いと思う。

 秋衛さんと一緒にいて気づいたけれど、この世界でもデタラメな力というのは一般的ではないらしい。秋衛さんがレアケースなのだ。

 だからこそ、秋衛さんは人目を避け、信頼できる人とだけ関わっているのだろう。

 秋衛さんはわざとらしく咳払いして、あたしに切り出した。

「実は、志野からいろいろ聞き出すように伝えておいたんだ」

 せっかく内緒にしておいたのに、自分からそう言ってしまうところが、彼らしいなと思った。

 秋衛さんが、あたしの手を取った。袖を少しめくると、やけどの痕が覗く。小さな円形の赤い印は、自分で見ても気持ちのいいものではなかった。

「こんな所行をするのは、人とはいえん」

 あたしは秋衛さんの手をふりほどいた。無意識のうちに、言葉が強くなる。

「お母さんのこと、悪く言わないで」

 秋衛さんは手を離した。口と鼻だけで表現されるその表情に、あたしは後悔した。

「ごめんなさい」

「いいんだ。私も……悪かった」

 秋衛さんが謝るべきことじゃない。そう言いたかったけれど、うまく口に出せなかった。

「戻りたいか?」

 秋衛さんがおそるおそる聞いてきた。首を振ってあたしは答える。


「あのときあたしは死んだから。ここはあの世みたいなものだと思ってる」



 昼食には少し早い時間、あたしは書庫に入る許可を得ようと秋衛さんを探していた。

「秋衛さん?」

 秋衛さんの部屋に入ると、秋衛さんは机につっぷしてうたたねをしていた。

 起こすのもしのびないので、そっと家を出た。というのは建前で、家だけで過ごす生活に退屈していたのだ。寝ているなら少しくらい気分転換してもいいだろう。

 家を出て、川沿いにしばらく歩くと、いつか見た顔が向こうから歩いてきた。

 前に、秋衛さんの家を覗いていた女性だった。女性は私に気づくと、疲れた顔で少し笑った。

「この間はごめんなさい」

 警戒しているあたしに対して、女性は丁寧におじぎした。

「私のことばかだと思うでしょう」

 なんと返事をしていいのかわからず、あたしは黙る。

「息子が病気なの。だからつまらない迷信でも信じてみたくなっちゃうのね」

「そうなんですか」

 秋衛さんではないけれど、あたしはこの人にちょっと同情してしまった。あたしは子どもを持ったことはないけれど。

「少し話し方が違うのね」

 意識はしていなけれど、なまりが微妙に違うのかもしれない。

「あたし、ここの世界の人じゃなくて……」

 隠すほどのことでもないと思っていた。すると女性はぶつぶつと話し始めた。

「異界から来たるもの、それは神か、鬼か、それとも……あそこの主人もたぶん、異なる世界の血を引いているのでしょうね。異界から来た人たちはさまざまな力を持つ。不老の力や病気を治す力……」

 女性の声音が変わり、ぞくりと寒気が走った。背を向けるのが恐ろしく、向かい合ったまま距離をとる。

「あなたは……」

「ね、死んでくださらない? 息子にあなたを食べさせたいの。あなたが死んだって誰も気にしないからいいでしょう?」


 万力(まんりき)のような力で肩を捕まれて、ほら穴に連れて行かれた。投げ捨てるように地面に下ろされる。

 地面に事切れた鶏や、猫や、蛇の残骸が落ちていた。よどんだ血のにおいに吐き気がしたけれど、胃液を飲み込んで耐えた。

「あのまじないもこのまじないも効かない。書物は嘘ばっかりなのね」

 女性は刃こぼれした包丁を拾い上げる。

「やめて!」

 叫びもむなしく、包丁が腹に突き刺される。

 何度も、何度も。

 痛みでぼやける思考の中で、彼女に問う。

「どうして」

「私、息子を助けたいの。そのためだったら何だってするわ」



 そのとき、ごうっと風の音がして、女性の後ろに人影が現れた。

 薄い色素の髪と、女性か男性かわからない線の細さ。

 そして、その顔には目がひとつしかない。

「誰?」

 秋衛さんは、後ろから女性の肩をつかんで、揺さぶった。女性は暴れる。

「もうきみの息子はこの世にいない。私にはわかる。呼び戻そうとしても無駄だ。私はこの目で視たんだ」

 秋衛さんが女性の顔をつかんで、自分のほうに向ける。

「私の心を視ないで、ばけもの」

「……そうだ。私はばけものだ。もうきみはここへ来るべきでない。帰りなさい」

「いや、やめて。あんたなんか知らない」

 秋衛さんの一つしかない目で見つめられると、大きく女性が叫んだ。人間とは思えない声だった。口からはよだれがだらだら垂れて、地面に落ちた。秋衛さんがまた、何かしたんだろうとぼんやりと思った。

 気絶した女性をそっと地面に置くと、秋衛さんはあたしのそばに寄った。

「多喜!」

 あたしはがたがたふるえていた。急速に血を失ったからだけではなく、心からの恐怖を感じていた。

 あんなに消したいと思った命が、今となっては大切に思えた。おまけのような人生が、惜しかった。

 それはたぶん秋衛さんを好きになってしまったからだ。

 まだこの人と話したい。そばにいたい。

「しにたくない」

 そうつぶやいて、あたしの思考は途切れた。


※※※


 そして、あたしは目を覚ます。

 まず、感覚に驚いた。手のあるはずのところに手がない。しかしよくよく自分の体を観察してみると、手の代わりにあるのは前足だった。

 おっかなびっくり起きあがると、秋衛さんと目が合う。

「水を飲むか?」

 秋衛さんは器に入った水をくれた。水面に自分の顔が映る。

 顔は猫のように見えた。前足は鶏で、しっぽを振ってみると蛇のようなうろこが見えた。

 不格好に縫い合わされたつぎはぎの獣。でも自分の姿を恐ろしいと感じなかった。

 これで本当の意味で秋衛さんのそばにいられる。しがらみの多い人の体を抜け出して、新しい生を与えてくれた。それがうれしかったのだ。

 とんとんと足音がして、秋衛さんは側に置いてあった行李にあたしを隠した。

「どうされたかな?」

「そろそろおいとましようと思いまして。お世話になりました」

 その声は、私を殺そうとした人のものだった。

「いや、こちらこそ引き留めて悪かった。ご家族も心配されているだろう」

「家族といっても夫だけですよ」

 女性の口調には何の闇も感じられなかった。

 その会話でぴんときた。彼女は息子のことを忘れてしまった。

 それがいいことなのか、あたしにはわからない。でももう、彼女は誰かを傷つけないですむ。

 志野さんの言うことは確かに正しかった。秋衛さんはどうしようもなく優しい。しかし、その優しさは、もはや人間の範囲を超えている。

 だからたいていの人は、秋衛さんの力と優しさに耐えられなくてそばにいられない。

 あたしも永遠には、秋衛さんのそばにはいられないかもしれない。でもそれは今考えてもしかたのないことだ。

 秋衛さんは生きたいと願ったあたしに応えてくれた。それがうれしかった。かつて誰にも見向きもされなかったあたしに。今はそれに報いたい。


 行李からそっと体を出される。

 秋衛さんはそっとあたしの頭をなでたので、あたしはごろごろと猫ののどを鳴らした。

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