目隠し鬼さん、こちらへおいで
かずラ
前編
あたしは枝に縄をかけた。枝はしっかりしているので、簡単には折れなさそうだ。
あたりには夏草のにおいがむせかえるほどに漂ってくる。不思議と生き物の気配はなく、虫一匹すらいやしない。世界が絵になってしまったかのように美しかった。
地面に転がっていた、手頃な石を踏み台にして、空中に足を踏み出そうとする。
すると、突然後ろから抱き抱えられて、縄に乗るはずの体重はその腕の中に吸収された。突然の生き物の登場に、あたしは手がちぎれそうなほどに暴れる。
「待て、早まるんじゃない!」
「離してください!」
待てよ、そもそもこの人誰?
縄から引き離され、地面に下ろされて、わたしはぜえぜえと息を吐いた。暴れたせいで、すっかり疲れてしまった。
私のじゃまをした謎の男をにらむ。
男性ものの着物に羽織をひっかけ、頭には布で目隠しをしている。色素は日本人らしからぬ白さだ。なんだか漫画の中の人のようだ。
「面妖な服を来ている」
男性はまじまじとあたしを見返しながら言った。それはこっちのせりふだ。
「君は異なる世界から来たのかね?」
「はあ?」
やっぱりこの人は謎のコスプレ野郎なのだろうか?
「この山は、たまにこの世ならざる場所とつながってしまうようだ」
「意味がわからないんですけれど」
冷たく言うと、男性は薄く笑った。
「じきにわかる」
そうして、まだ地面に座ったままの私に手を伸ばす。
「話したいこともあるし、私の家で少し休んでいかないか」
案内されたのは、江戸時代にタイムスリップしたような日本家屋だった。
一室に通されて、机を挟んで向かい合って座る。
「茶でも飲むか?」
男性はぱんぱんと手を打ち鳴らした。すると、何かがふすまを開けてお茶を持ってきた。
子どもとするにはあまりにも小さい。よく見ると、丑の刻参りに出てくるような人形だった。
「ひいっ」
あたしは思わずのけぞった。
「わら人形が歩いてる!」
「それは次郎だ」
「太郎もいるんですか」
「太郎は今、わらがぼろぼろになってしまったので、作り直している」
驚きのあまりとんちんかんな会話をしてしまった。
「な、なにかしかけが」
「しかけもなにも、心を込めて作れば、言うことを聞くさ。そうだろう」
手品だと思いたい。あたしはいきなりファンタジーな展開を受け入れるほど天然ではなかった。
おそるおそるお茶に口を付けると、薄かった。外が暑いというのに、やけどしてしまいそうなほど熱い。
「次郎はものが食えないから、味というものがよくわかっていないのだ」
男性も、目隠しがされているのに、まるで見えているようにお茶を飲んでいる。すきまからのぞいている様子はないのに、どうなってるんだろうか?
薄いお茶を飲んでいるうちに、少し冷静になってきた。
「あの、あたし帰ります」
「行くな」
彼は短く言った。強い言葉だった。
「お世話になるわけにはいきません」
「しかし君は……死のうとしていただろう。そんな子を外に出そうとは思えない」
「あなたに関係ないでしょう」
男性はお茶をあおる。熱かったのか、しばらく口を真一文字にしていた。そして空になった湯飲みを机に置いた。
「そういうわけにもいくまい。それに、帰ることはできないだろう」
「どうして?」
突然の言葉に、あたしは困惑した。
「異界に渡るのは完全な運なんだ。戻ろうと思って戻れるものじゃない。私にもどうにもできない」
「ほ、ほんとうですか」
あたしはまだ疑っていた。出会ったばかりの男性の言葉を簡単に信じることはできない。
「勇者と名乗る男だの、獣の顔をもつ人間だの、異界から来た者を何度か見たが、帰った奴を見たことはない。そういうものだ」
「そんな……」
「それに、ここを出て行って行くあてがあるのかね?」
あたしは黙り込んだ。そんなあたしに男性は語りかける。
「死のうという気がなくなれば、出て行ってもいい」
腕を組んだ男性に、私は問いかける。
「あの、お名前は」
「しゅうえい、という。
私は少し悩んで、本名を教えた。
「あたし、たきです。多い喜びと書いて、『多喜』」
結局、その日は秋衛さんのうちに泊まることになった。
夜明けごろに、あたしはこっそりと家を抜け出した。夏の日はあっという間に上ってしまう。
拾った枝や、落ちている葉で目印を造りながら、少しだけ山を歩いた。
探してみても、山に入ってたときに、通ってきた道はなかった。ひょっとしたら、もう少し歩けば見つかるかもしれない。
徐々に日が高くなっていく。
突然、ごう、と風が吹き、私は手で顔をふさいで、ほこりから目を守った。そして目を開けた瞬間に、秋衛さんの家の前に戻っていた。
「あれ?」
玄関から秋衛さんが、つっかけを履いて現れた。
「ふらふらしないように。心配するだろう」
この世界は、やっぱりファンタジーだったようだ。あたしはしかたなく、秋衛さんに導かれるままに家に戻った。
次の日、向かい合って一緒に朝食をとる。魚の干物を焼いたものと、菜っぱの漬け物、味噌汁があった。
干物と漬け物は普通だったが、味噌汁がやたらと塩辛かった。
「やっぱり次郎の料理はまずいな……」
塩分過多だけれども、残すのも悪い気がして飲みこんだ。
食事が終わり、ふたたび秋衛さんはあたしをまじまじと見つめた。
「着たきりすずめだとだめだな」
「いつだったかお礼の代わりに女物の着物をもらっていたな。換金しなくてよかった」
そう言ってから立ち去る。しばらくして、戻ってきた秋衛さんはふろしきを抱えていた。
包みを開くと、真っ赤な着物があった。上等そうな記事にさくらとまりの模様が踊っていた。袖は振り袖だ。それを眺めてから、秋衛さんははたと気づいた。
「困った。女の子の着物の着せ方がわからない」
「それ以前にそれは明らかに普段着ではないのでは」
秋衛さんはどこかずれている。この高そうな着物を日常的に着るのはいやだ。
「それになんで秋衛さんが着せ替える前提なんですか。恥ずかしいですよ」
「ああ、そういえばそうなのか……。実のところ女の子にどきどきしたことがないからね」
ぎょっとした。思えばあまりにも線が細いし、話し方だって性別を感じさせない。
「秋衛さん、男性ですよね」
「確かめるかい」
思わぬ言葉に顔が熱くなった。
「断っておくけれど、別に男が好きというわけではないよ。ただ私には男女の違いというものがあまりわからないんだ」
「そういうものですか」
とりあえずそう返事をしておいた。
秋衛さんに連れられて、家を出た。
不思議なことに、あっという間に道に出た。昨日はあれほど探しても見つからなかったというのに。
山を下り、足が痛くなったころにふもとの町についた。
町と山の境界を示すらしき石の前に、女性が迎えにきていた。
「秋衛、手紙読んだわ」
秋衛さんは、女性を紹介してくれた。
「志野(しの)だ、古着や古道具を商っている」
「多喜です」
「この子に着物を見繕ってくれるか?」
「いいわよ」
「私は少し人に会ってくる。よろしく頼むよ」
そう言って、秋衛さんはすたすたと立ち去った。
そのままあたしは、志野さんの家へさんの連れて行かれる。
「あの、志野さんは秋衛さんとどういう関係なんですか?」
「いとこなの」
私は志野さんを見つめた。くろぐろとした髪の毛は豊かで、ほほは薄赤く染まっている。
「志野さん、美人ですね」
「うれしいけど、あまり役に立たないわね。もう結婚して子どもがいるもの」
「えっ、ぜんぜんそんな風には見えないです」
志野さんはせいぜい20歳になるかならないかに見えた。子持ちだなんて想像もしてなかった。
「早く結婚しないと、周りがうるさいからね」
「でも、秋衛さんは独り身、なんですよね」
「あいつは特別だから。でも秋衛だって結構若いのよ? 数えで18、19じゃなかったかしら」
数え年は、生まれたときに1歳として、お正月が来るたびに年齢が増えていく数え方だったはず。ということは、秋衛さんは満年齢で16から18歳ということだ。
「あたしとほぼ一緒じゃないですか?」
「老成してるのよ、あいつは」
それにしたって老けている。どう見ても志野さんのほうが年下に見えてしまう。
「多喜ちゃんは聞いた? あいつのこと」
「いえ、あまり」
志野さんは、茶色やえんじの着物を用意していてくれていた。ついでに着かたを教わっていく。ろくに和服を着たことがないあたしは、グッズの名前を覚えるだけで一苦労だった。
さしあたって、普段着用に簡単に着る方法だけを集中的に説明してくれた。
着替えさせられながら、そういえば何も知らないことに気づいた。
「ある日ね、あいつのお母さんがいなくなって、村の皆が山狩りをしたの。何日もかかって見つけたのだけれど、あとから身ごもっていたことがわかって……。
周囲が『なかったこと』にしようとしたけれど、不思議とできなかったのよ」
言葉の端ににおわされている悲惨さに、ぞくりとした。でも、あたしは黙って聞いていた。
「そうしてあいつは生まれてきた。でもおかしな力があるものだから、自分の身の回りのことができるようになったら、山に打ち捨てられてた家に
引きこもっちゃったの。みんなあいつを見ると怖がっちゃうのよ」
「志野さんは、あの人が怖くないんですか」
そうたずねると、なぜか志野さんはうれしそうにした。
「優しいでしょ、あいつ」
「そうですね」
「優しすぎるからちょっとくらい変じゃないとつきあえないんだと思うわ」
「実はね、こうして話してるの、あいつの差し金なの」
「えっ?」
「女同士でしか話せないこともあるだろうから、聞き出したことを報告してくれって頼まれたの」
「ひどい」
「まあ、あいつなりの心配の仕方だから。でも多喜ちゃんにばかり話させるの、ずるいでしょ。だから勝手にしゃべっちゃった」
志野さんは、あたしの手を取った。重力に負けて、少しだけ肌があらわになる。
そこにはいくつものやけどの痕があった。やけどだけではない。おなかや背中には青いあざがあり、ふともものあたりにはひっかかれた痕がある。
着替えているとき、あたしの体に走る傷跡について、志野さんは何も言わなかった。
たぶん、秋衛さんの耳にも入るだろう。でもひとまずは何も言われなくてほっとしていた。
いつまでもそうではないことは、わかっていたけれど。
志野さんに境界の石まで送ってもらうと、すでに秋衛さんが待っていた。買い物をしていたらしく、両手に包みを抱えている。
秋衛さんは着物姿の私に気づく。
「見違えたな」
誉め言葉なんだろうか?
志野さんは、着付けを紙に書いたものを渡してくれた。絵はわかりやすいけれど、説明が達筆すぎて読みにくい。あとで、自分で楷書のコメントをつけようと思う。
志野さんと別れた帰り道、山を上りながら、秋衛さんに話しかけた。
「秋衛さん、あたしとそう年が変わらないんですね? なんか敬語で話すの変ですね」
「口調くらい好きにすればいい。私はこだわらないからな」
そう言われて、あたしは試しに呼んでみる。
「秋衛」
「うん?」
秋衛さんは、大人びた声で応える。
「……やっぱりやめる」
「どうしてだ?」
「なんか、恥ずかしいから」
しかし、それ以来、私は秋衛さんに敬語を使わなくなった。
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