第6話 暗闇と、再生

 そして、あっという間に一年が経ち、実花は、三年経ったら開けてもよいという手紙をおいて、私の前から姿を消した。

 後に送られたハガキによると、実花は信条さんとの婚約を破棄し、大学生時代貯めていたへそくりで、日本を旅することにしたそうだ。不思議な子、次は、いつ戻ってくるのかしら、と私は一人でクスリと笑ってしまった。

 

 

 そして今、私はベランダのサッシにもたれながら、三年前にもらった手紙を空に透かしていた。

 空は、もう幾分か暗くなっていて、手紙のはしっこだけをオレンジとピンクと紫の間みたいな色で染めていた。

「一人じゃドライフラワーなんて作る気になれないのに。」

私は、花を咲き終えてしまったラベンダーを見て一人で呟いた。

 実花が出ていってから、もう三年が経っただなんていささか信じがたい話だ。私の部屋は、あのときからちっとも変わっていないというのに。

 サァっと、ベランダを抜けた風が肌寒く感じ部屋の中に入った。私は、閉じられたままの手紙を机の上に置き、

便箋を取り出した。

「実花へ」

私からの手紙を彼女は喜ぶだろうか。住所も、名字もわからない実花。

 「元気ですか、私は元気よ。

 今、どこにいるの。

 私はついこの間、一つ下の男の子に告白されたけど、断ったわ。あなたがいつ帰ってきても大丈夫なように。

女の子と一緒に暮らしてるのって言ったら、とても困ったような顔をして、そうですか、ですって。それもそうよね、私はもう、三年も一人で暮らしてるんだから。

 あなたの好きなラベンダーもまだあるわ。今年はもう花を咲かせないでしょうから、来年またドライフラワーを作りに帰ってきてね。

 あなたがいないと、そんなもの作る気にならないのよ。私、面倒くさがりなんだもん。」

そこまで書いて私は、実花からの手紙を手に取った。

 部屋の中には、もうすでに、灰色がかった青っぽい光しか入りこまなくなっていて、手紙に色をつけることはなかった。私は、比較的明るいベランダにより、壁に寄りかかって座った。私は、その薄暗がりのなかで、実花からの手紙を開いた。ベランダから入った薄紫の少し冷たい風が、あのときと比べて大分伸びた私の髪を抜けた。

「莉花さんへ

お元気ですか。私はきっと元気です。

三年後の私はきっと、髪を好きな色に染めていてもうちっとも百合子さんには似ていないと思います。それで、リングのイヤリングがよくにあう、莉花さんみたいな女の子になっているといいなって思います。 

 せっかくなので、ここでの暮らしについても書いておこうと思います。

 私は、莉花さんの匂いが好きでした。玄関に脱いだ強そうなのハイヒールからは想像できないほど、優しい匂いだったからです。

 それから、ベランダも好きでした。莉花さんが、仕事に行っている間に、青い空、たまに灰色の空を見て雲の動きを観察するのが日課でした。

 信条さんが、私の分の家賃を払ってくれたからと言って、こんな風にごろごろ過ごしていたことは、内緒です。これは、ささやかな仕返しなのです。

 毎朝の、散歩も好きでした。真っ白な雪に私と莉花さん、二人分の足跡が隣同士で続いてるのが心地よかった。桜の観察日記もつけましたね。莉花さんは、箇条書きで、理科の教科書の文みたいなことを書いていましたが、絵はちっともうまくありませんでした。少しまずい絵を描きながら、真剣な表情で桜と日記を交互に見つめる莉花さんは、とてもかわいらしかった。

 お月見では、きな粉をベランダにばらまいてしまってごめんなさい。莉花さんが舞っているきな粉を見てこれはこれで、きれいだ、と言ってくれてとても嬉しかった。  

 合鍵は、私がいただいてもいいですか。でも、安心してくださいね。はしっこは折ってあるので不法侵入したりはしません。折れたはしっこは手紙のなかに入れてあります。


 最後に、四年前のあのとき、私は、色々と資格もとっていましたし、一人で生きていくことも選択できました。それなのに、莉花さんにお世話になることを決めたのは、私と似たような名前なのに、莉花さんという存在感みたいなものをビビビって周囲にだしてるあなたがとてもかっこよかったから。長い間黙っていてごめんなさい。

 

 追伸 私は、莉花さんのことが好きでした。」

私は、手紙を元のように二つに折り、封筒を撫でるようにしてさわった。なるほど、確かに鍵のはしとおぼしきでこぼこがある。

 「ほんと、小学生の作文みたいじゃない。」

言いながら、笑いながら、目頭が熱くなって、生ぬるいものが何度も頬を伝った。

 かわいい実花、ほっぺたにフローリングのあとをつけるあなたのために買った安い絨毯に大喜びした実花。その絨毯の上で、つるりとしたおでこを覗かせて、気持ち良さそうに眠っていた実花。雪に足跡をつけようと、楽しそうに私を起こした実花。ラベンダーを丁寧に摘んだ実花。

 

 私もあなたが好きでした。

 

 薄暗がりが、少しずつ暗さを増しながら、実花が、止めて行った時間の流れを再生してしまい、私は、三年間に追い付くまで、静かにしゃがんだままでいた。

 

 割れた合鍵も、端のほうがほつれ始めている安い絨毯ももう、使えない。

 

 




 そのうちに、一人で暮らすには多い食器や家具は全て捨ててしまった。

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夕方のベランダ 三枝 早苗 @aono_halu

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