とある魔女の一幕
林きつね
とある魔女の一幕
とある大陸の、とある港町。
特になんの変哲もない人々が暮らすその場所で、二人の男女が歩いていた。
男の方は、一見すると貴族階級の人間なのではないかと思うような、身なりのいい少し装飾の着いた召物を着ていた。そして女の方は、蒼みがかったローブ──この街の修道服を着ていた。
この二人は並んで歩いているが、特に恋仲という訳ではなく。つい先程、これで海を越えてくるなど正気か?となるような、人一人が寝ころべばそれで精一杯という程の小さな船に乗ってやってきた男と、偶然にもその男の視界に最初に入ってしまったため、街の案内をさせられている教会のシスターである。
「美しいものが見たい。お前、ボクを案内しろ」
そんな男の傍若無人としか言いようのない第一声を、シスター──レリエルが了承したのは理由があった。
一つは、男の顔が大変良かったからで、今こうして並んで歩いているのも、ただレリエルが男の歩調に合わせているからだ。
美しいもの──と言われてもこの港街は特に名物になるようなものはなく、レリエルはとりあえず街の施設等の説明を、少し声色を柔らかくして説明していた。
そしてもう一つ、これは上手く言い表せるものでは無いが、違和感があるのだ。
それはただの感覚で、気の所為と言わればそんな気がしてしまいそうなものだが、例えば、その男を含む全く同じ格好をした十人が並んでいたとしたら、その男だけは判別がつく。そんな感じの違和感である。
そしてその違和感の理由は言葉で説明すると非常に簡単で、その男──ベルカントは魔女だ。これでカタがつく。
ちなみに、魔"女"とはいうが、それはベルカントがかつて住んでいた場所での、異能的能力をもった人間を表す符号のようなもので、性別がどちらかなど関係ない。
ベルカントという魔女の行動指針は一つ。しっかりと言葉にも出している通り、"美しいものがみたい"それに限る。
だから今のように、彼主観で全く美しくないものの説明を延々と受けるのは非常に退屈で、苦痛であった。
「なあ、おい」
「はい?!」
急に声を掛けられ、レリエルの胸と肩が跳ね上がる。顔どころか声も最高にカッコイイだなんて反則じゃあないか?とドギマギしているレリエルとは対象的に、ベルカントの口調には苛立ちが混じっていた。
「お前、ボクの言ったこと覚えてるよな?美しいものが見たいって言ったんだ。さっきから聞いてれば今のところボクが美しいと思うのはお前の見た目ぐらいだぞ?」
「ぬへぇっ?!いーやいや、私達まだであったばかりですしそれはそれとしてありがとうございます!」
完全にパニックになっているレリエルを無視して、早く案内しろとベルカントは歩き出す。
これだけの美青年が美しいと認めるようなもの、はたしてこんなただの港町にあるのかどうかはさっぱりわからないが、レリエルの足取りに迷いはなく、ある目的地を目指して歩いていた。
ベルカントの魔女としての違和感──この地方には"魔女"なんて文化は存在しないため、レリエルにしてみればただの妙な感覚だが、彼女はそれを、つい一ヶ月ほど前から感じ続けている。
その日、港は少々騒ぎになった。
小さい船どころではない、樽に人間が──それも少女が入れられて流されてきたのだ。
年は大体18程だろうか、青い髪の肋が浮き出ているほど痩せこけた少女で、全身にはまるで実験動物のように扱われたような痕跡があった。
ひとまず少女は、街の診療所で傷の手当や治療が行われた。そして一週間も経たないうちに少女は奇跡的に、意識を取り戻した。しかし、それだけだった。
まるで人形のように、喋らず、目は虚ろで、少女の心は完全に壊れてしまっていた。
どこから来たのかもわからないその少女を放置する訳にもいかず、結局の所教会が引き取り、半ば押し付けられるような形でこの一ヶ月レリエルが世話をしているというわけだ。
初めは嫌々だったレイエルも、一ヶ月も経てば情というほどのものでもないかもしれないが、なんとかしてあげたいという気持ちは強くなっていく。
そして、この一ヶ月、少女を初めて目にした時からずっと、レリエルは言葉に表せない違和感を感じていた。
この違和感はなんなのだろう、この違和感を取り除けば彼女も元に戻るのだろうか?けれどどうやって?誰かに相談してみよう。誰に?
そんなことを考えている時、彼女の目の前にベルカントが──少女と全く同じ違和感を感じさせる青年が現れた。
つまり、今レリエルが向かっている先は少女のいる教会で、彼ならば彼女をなんとかしてくれるのではないか、そしてその一件を契機になんとか親密になれないものか、そういった打算があった。
幸い協会の内装などはいい造りをしていると思うし、彼の言う"美しいもの"になんとか該当するのではとも。
「うん──まあ、悪くはないな」
教会に入ってからのベルカントの言葉を聞き、レリエルはホッと胸を撫で下ろす。
合格かどうかはわからないが、及第点にはなったらしい。
とりあえず、ここからどうやって少女のことを切り出そうかとレリエルが悩んでいる間、ベルカントは辺りをぐるりと見渡して、一言
「へぇ──」
と呟いたかと思うと、そのまま奥へ進み、祭壇へと上がる階段の手前左側の──件の少女がいる部屋の扉を開け放った。
「ちょ、ちょっと──!」
あまりに予想外の出来事に、レリエルはベルカントを制止しようと、そういえば名前をまだ聞いていなかったなと思いながら急いで駆けて行く。
レリエルが飛び込んだその部屋で、少女はいつもと変わらない虚ろな目で、イスに腰掛けていた。そして、部屋に人が入っていたことに対するただの反応として、 ベルカントを見ていた。
ベルカントもまた、少女を見ていた。
当然、見つめ合う二人に会話は無く、レリエルもなにか声を出してはいけない気がして黙っていた。
「──っく──アッハハハハッ!」
やがて、堰を切ったかのようにベルカントは笑い出す。
いきなり笑いだしたベルカントを、少女は黙って見ている。そして何が何だかわからず混乱しているレリエルもまたベルカントを呆然と見ていた。
「ハッハッハハハ──!こんな所にまでいやがるのかよ!折角広い世界に出たってのに思ったより狭いもんだなッハハハハハハ!」
ついには腹を抱えて笑うベルカントに、レリエルは勇気を出して話しかける。
「え?!もしかしてこの子と知り合いですか?!」
「いいや、全然」
ポロッと漏れた発言から垂れた希望の糸は、素っ気なく切り落とされた。
それでもなお、この引っ掛かりを逃すまいとレリエルは食い下がる。
「いやだっていまさっきまるで知り合いみたいな言い方して──」
「あぁ?──ああ、別にそんな意味じゃない。ちょっとこいつがボクと似たもの同士ってだけでこいつのことなんて欠片も知らない。そもそもこいつなんなんだ?」
「────」
一瞬の唖然。しかしレリエルはこれをチャンスだと思った。だから絶対に逃したくはなかった。
「お願いします!貴方にならその子をどうにか出来るんじゃないかって思ってここに連れてきたんです!なんでもいいんです──、なにか……」
レリエルは必死に、ベルカントが心底鬱陶しそうにしているのも全て無視して、少女のことで自分が知りうる限りのことを説明して、そして何度もなんとかして欲しいと頼んだ。
彼に出会った時は、なんとかなれば幸運だ程度に思っていたが、今自分はこんなにも必死になっている。こんなもの、情でなくてなんなのだろうか。
「ちょっと黙れ──!」
その一言と共に、レリエルは声が出せなくなった。口を塞がれたらしい──が、ベルカントの手は両方とも彼の服のポケットにつっこまれていた。
じゃあこれは一体──
「んばっ──!」
考える前に、レリエルの口から圧迫感は消えた。
「わかった、わかったよ。人には親切に、だな。言っとくけど、こいつがなんでこうなってるのかなんてさっぱりわからないし、治し方なんてさっぱりわからないからな──!」
そう言って、ベルカントは少女の口を無理やりこじ開け、そこに自分の指を突っ込んだ。
「ちょっ──?!何してるんですか?!」
「騒ぐな」
驚きのあまり出た声も、その一言で止まる。
ベルカントはその状態のまましばらく止まっていた。やがて、指を抜く。
何をしていたのかレリエルにはさっぱりわからないが、少女は変わらず口から唾液を垂らしながら今まで通り──
「え──?」
ではなく。首が動き、虚ろな瞳が少し動く。
また少女とベルカントの二人は見つめ合う。そして、ベルカントは声をかける。
「お前、名前は?」
「ハイ……ル……ナード……」
初めて聞く少女の声は、しばらく声を発していなかったせいか、酷くガラついていた。
それを聞いてレリエルは、先程と同じように、また「え──?」と間抜けな声を洩らすだけで、何も出来ない。
「お前、辛いか?」
「つら……い……なにを……ボクが……?」
「アッハハ、ボクだってよ。まあいいか」
「わから……ない……とう……さん……」
「ボクがお前を楽にしてやろうか?」
「らく……?なんで……?」
「チッ。会話は無理か。まあいいやどうせこんな状態じゃあ生きてるとは言えないしな──」
「ちょっと待ってください!」
そこで、ようやくレリエルは話に割り込むことが出来た。正直なところ、全くもって話についていけてないが、ただならぬ会話が進められているということは感じられたからだ。
レリエルは恐る恐る尋ねる。
「楽にって……何をする気ですか?」
「殺すのさ」
当然のように、ベルカントは答える。
あまりにも当然のように答えるので、殺すという単語がただの聞き間違いだと思ってしまうほどに。
「殺すって……あなた何考えてるんですか?!」
「おいおい、怒るなよ。そもそもこんな状態死んでいるのと変わりない、いやむしろ死んでいるより酷い」
「それはっ──そう、かもしれませんけど、でも彼女今喋ったじゃないですか!」
「あぁー、なにがそんなに気に入らないんだよ。お前がどうにか救って欲しいっていうからやってやろうとしてるんだろうが。お前だってわかってるんだろう?殺してやるのが一番の救いだって」
「それでもまだ方法はあるはずです──!」
「方法がないからボクに縋ってきたんじゃないのか?言っておくけど、ボクはもうこれ以上なにもするつもりはないぞ」
「ええ、それには感謝しています。ありがとうございます。おかげで希望が見えました。だから──私はもう少しこの子──ハイルナードの為に頑張ってみたいんです。殺すだなんて、絶対に認めません!」
この二人のやり取りを少女──ハイルナードという壊れた魔女はどういう心境で聞いているのだろうか。そもそも聞こえているのだろうか。それを確かめる術はない。が、レリエルは必死だった。
今までなにをやっても生物的反応しか返さなかった少女が、今目の前でそれがどんなに拙く形を成していないものであったも、会話をしたのだ。
ベルカントにはそうは映らなかったが、少なくともレリエルはこれは会話だと、そう認識していた。
人としての倫理感を除外すれば、ベルカントの言っていることが正しいのかもしれない。けれど、そう断ずるのはもう少し足掻いてからでもいいだろうと、そう思った。
「あー……そうか……そうかぁ……」
ベルカントは俯いてそう呟く。
もしかしたら自分はこの男に殺されるのではないだろうか?という危機感をレリエルは覚える。
しかしそんなことはなく、ベルカントは満足そうに言う。
「お前──美しいな」
予想だにしてなかったその言葉に、唖然とし、一気に気が緩み、やはりこの目の前の男は恐ろしく顔がいいということを再認識し、混乱と恥ずかしさで言葉が出なくなる。
「そこまで愚直だといっそ気持ちがいい。ああ、お前は非常に美しい女だ。今まで出会った中で二番目に美しい──」
二番目かよ。というツッコミは、生憎レリエルの口から出ることは無かった。
気がつくと、ベルカントは一人で教会を出ていこうとしていた。
結局あなたは何者なのかとか、一番美しいという女性はどんな人なのかとか、名前は結局なんだったのか、とか。色々と聞きたいことはあったが、レリエルがもたついている間に教会の扉は閉まり、ベルカントの姿は消える。その扉を、ハイルナードはじっと見つめていた。
こうして、さらなる美しいものを求めて、魔女は旅を続ける──。
とある魔女の一幕 林きつね @kitanaimtona
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