青春チキン野郎は機械音先輩の夢を見ない

岡崎 晃

第1話

 10月10日の昼休み


 高校ぼっち歴半年。チキン精神でクラスメイトとまともに会話する事が出来ない狭山春樹さやまはるきは、誰もいない場所でぼっち飯しようと屋上に続く階段を上っていた。

「あれ?」

 ふと、階段の途中で立ち止まった。

 それもそのはず、この学校の屋上は3年前から使用禁止になっており、扉には鍵がかかっていた。そのはずなのに、どういうわけか扉が開いていたのだ。


 本当なら屋上へ出るのはいけない事なのだが、なぜか吸い込まれるように屋上の扉をくぐっていた。


 屋上へ出ると、ひんやりとした心地の良い風が肌に触れ、雲ひとつない空からの日差しに目を細めた。


 そんな時、細めた視線の先に人影が見えた。


 この日、僕は先輩に出会った。


「………」

 あまりにもジッと見ていたため、後ろを振り向いた先輩とバッチリ目が合ってしまった。

「あ、えっと、すみません! 決して覗こうと思ったわけじゃなくて、いつもは閉じてる屋上の扉が開いてたから弁当食べるのにちょうどいいかなって思っただけなので今すぐ出て行きます!」

「………」

 つかつかと無言で近づいてくる先輩にビビった春樹は早口で言い訳をし、急いで屋上から出ようとしたが、先輩に腕を掴まれた。

「ごめんなさい!」

『落ち着いてください』

 無機質な音声が聞こえてくる。

 あまりにも異様な声に落ち着きを取り戻すと、先輩は腕を掴む力を緩めた。

『私の声が聞こえますか?』

 やはり無機質な音声が聞こえてくる。

「えっと、それはこのスマホから聞こえる音のことですか?」

『いいえ、私の口から聞こえる声です』

 先輩はそう言って、口元からスマホを遠ざけると、口元をパクパクと動かした。

「えっと……喋ってます?」

 ただ単に口パクをしているだけにしか見えない。

 春樹は馬鹿にされているのかと思い、少しムスっとしていると、先輩は再度スマホを口元に寄せて話し始めた

『すみません。決して馬鹿にしているわけじゃなくてですね。あの、お弁当を食べながらでいいから私の話を少し聞いてくれないでしょうか?』

 抑揚のない無機質な機械音が再度鼓膜を揺らした。

 しかし、そんな感情の無い機械音とは裏腹に、先輩の表情は不安に満ちていた。

「わかりました」

 そんなことを考えていると、いつの間にか返事をしてしまっていた。

『本当ですか……?』

 僕の返事を聞いた先輩は表情は明るくし、相変わらず抑揚の無い機械音が少し弾んでいるように聞こえた。

 そんな態度を取られたら、今更断れるはずもなかった。



『私は2年B組の橋本真琴はしもとまことといいます』

「僕は1年A組の狭山春樹です」

 静寂が屋上の2人を包み込む。

 先輩も人見知りなのだろうか、チラチラとこちらの様子を伺ったりしているが、ちっとも話しを始めない。

 ものすごく気まずい。

 人見知り同士で一定時間話し続けなくちゃいけない地獄があってもおかしくないんじゃないだろうか。

「『あの、お話いいですか?』」

「あ、はい、すいません」

 自分の軽率な行動に後悔していると、不意に声をかけられてついつい謝ってしまった。

『お話というのはですね……私の声のことなんです。ちょっと春樹君のスマホを貸してもらってもいいですか?』

「スマホですか? いいですよ」

 僕は言われるがままスマホを先輩に渡した。先輩はそれを受け取ると、電話番号を打って返してきた。

『それは私の電話番号です。一度かけてもらってもいいですか?』

 機械音で指示を出す。

 この番号が本当に先輩の電話番号なのかわからないが、今はかけてみるしかなさそうだ。

 僕は画面に表示されている番号にかけると、先輩の持っているスマホから着信音が聞こえた。

「もしもし」

「もしもし」

 スマホから先輩の声が聞こえる。さっきまで聞いていた抑揚の無い機械音ではなく、優しい包み込むような声だった。

「私の口から声が聞こえますか?」

 先輩は何か願うような声音で聞いてきた。

「はい、そりゃあ聞こえ……」

 聞こえる。そう答えようとしたがその言葉は出てこなかった。

 聞こえない。

 たしかに電話口からは先輩の声が聞こえる。しかし、先輩の口からは何も聞こえなかった。目の前にいるというのに先輩が口パクをしているようにしか見えない。

「私の声は直接聞くことができないんです」

「からかっているわけじゃないですよね……?」

 からかっているならからかっていると言ってほしい。

 確認のためにジッと顔を見るが、先輩の顔はからかっているようには見えなかった。

「私は、これを思春期症候群だと思っています」

 思春期症候群。

 ここの最近、ネット上で噂になっている不思議現象。『他人の心の声が聞こえた』『他人の過去が見えた』なんていう荒唐無稽な現象だ。

 春樹はそんな事を信じるほど夢見がちな子供ではない。あくまで都市伝説程度に思っていた。


「そんな……あまりにも–––––」


 非現実的だ。


 そう言おうとして、春樹は言葉を飲み込んだ。

 理由は簡単、その非現実的な現象を目の前の先輩本人が証明していた。

 自分の目で見た事を信じられない人間がいるだろうか? 少なくとも、春樹は自分を信じていた。


「春樹君、私の思春期症候群を治す手伝いをしてくれませんか?」


 そう言って、先輩は手を差し出した。

「友達には相談しないんですか?」

「友達……いないです」

 春樹の質問に先輩は差し出した手を下ろし、わかりやすく暗くなって答えた。

「僕もいないので落ち込まないでください。なんだか僕まで暗くなってきますから!」

「ここ1ヶ月以上クラスメイトから話しかけられた覚えがないんですよね……まあ、そのおかげで声が出せなくてもほとんど影響ないんですけど……」

「手伝います! 手伝いますからそれ以上自分の傷をえぐらないでください!」


 こうして、2人の奇妙な関係は始まった。



 10月11日

 昨日の出来事は夢であったと願いながら、この日の昼休みも屋上へ向かった。

『遅かったですね』

 もちろん夢であるはずもなく、棒読みの機械音が聞こえてきた。

「先輩が早いんですよ。僕だって授業が終わってすぐ来たんですよ? トイレ行って、弁当取って、何か期間限定の特別なパンが売ってないか購買まで確認してからですけど」

『全然すぐじゃないですね……』

 春樹の言葉に先輩は半目を作りながら言ってきた。

『まあそれはいいです。春樹君、何か解決方法は考えてきてくれましたか?』

「まあ一応」

 昨日別れる時に先輩から宿題として解決方法を考えてくるように言われていたのだ。

 春樹は弁当を持っている方の手とは逆の手で校庭を指差した。

「ここから校庭に大声で叫んでみてください。もしかしたら声に気づいてこちらを向く人がいるかもしれません。聞こえる人が見つかればその人のことを調べて解決できるかもしれません」

 春樹はそう言うと、校庭がよく見える場所に移動してからスマホで先輩に電話をかけた。

「もしもし、聞こえますかー?」

「はい聞こえます」

「では、やってみて下さい」

「早速ですか!? わ、私にも心の準備というのがあってですね……わかりました! わかりましたからそんな目で見ないでください!」

 春樹が先輩の事をジトーっとした目で見ていたら、先輩は覚悟を決めてくれた。

「ちなみに今の目のは『過去に僕が見られた目で一番心にきた目』をコンセプトにやってみました」

「トラウマになりそうなので今後一切その目はやめてください!」

 先輩の表情は声が聞こえなくても相当なダメージを負っているのがわかった。

「じゃあ先輩、さっきので過去のトラウマを思い出して心にダメージが入ったので、僕が先に叫んでいいですか?」

「ダメです!春樹君が叫んだら屋上にいるのがばれちゃいます!」

 先輩は慌てて春樹のことを止めると、観念したように息を吐いた。

「先輩?」

「分かりました。一度やってみます」

 先輩はそう言うと、スタスタと校庭が見える場所に移動してスマホを口元から遠ざけた。

 春樹も慌ててその後を追う。

 隣からすうっと大きく息を吸い込む音が聞こえたような気がした。

「–––––––––」

 何も聞こえない。ただ、隣にいる先輩は全力で大声を出しているのが伝わった。


 ただただ全力で声を出す。


 誰かに自分の声が届くように祈りながら。


 先輩が何を言っているのかはわからない。それでも、叫んでいる先輩の表情は真剣だった。

 春樹はそんな先輩の声を聞いてこちらを振り向いてくれる人を探した–––––。




 10月21日 日曜日

「今日もだめでしたね……」

 先輩は駅に向かう途中の道で呟いた。

 先輩の思春期症候群の話を聞いてから10日が経った。

 最初は先輩の声が聞こえる人を探して、その人の事を調べて解決するつもりだったが、先輩の声が聞こえる人は1週間探しても見つからなかった。

 そして今度は作戦を変えて自分の気持ちを吐き出してもらおうと思い、山の頂上で叫んでみたり、絶叫マシーンに乗って叫んでみたりしたがだめだった。

 そして今日、海の上で沈んで行く夕日に向かって本音を叫んでもらったが、先輩の声は聞こえなかった。

「明日は何か新しい解決方法を考えてきますから落ち込まないでくださいって。次は絶対治りますよ」

 春樹はできるだけ明るく先輩に声をかけた。この10日間、やれる事はやってきたつもりなのだが、先輩の不安は自分が想像しているよりも大きいのだろう。そんな時に協力者である自分が諦めてはならないと春樹は思ったのだ。

 次こそは絶対に治る。なんの根拠もない言葉にどれほどの意味があるだろうか。


「春樹君……もう、いいです」


 先輩は少し俯きながら言葉を発した。

「先輩?」

「もう……いいんです。別に声が聞こえなくても機械を通せば聞けますし、問題ないです。だから、春樹君は私の事は気にしないでください。勝手ながら今日までありがとうございました」

 先輩はそう言って、ちょうど到着した電車に乗り込んだ。

 電車に乗った先輩は、顔を合わせてはくれなかった。

 数秒後、電車の扉が静かに閉じ、電車は音を立てて走り去った。


「……僕はダメだな」


 ホームの壁にもたれかかりながら春樹は呟いた。先輩の言葉はショックだったが、それ以前に先輩を引き止めることができなかった自分に対して嫌気がさした。

 引き止めたとして自分に何が出来るか、先輩自身が決めた事なのだから引き止めるべきではないのではないか、そんな考えが頭の中を渦巻いていたのだ。

 相手の本音を完全に理解することなんて不可能なのに、自分は勝手に理解していると思い込んでいた。いや、思い込みたかったのだろう。協力すると言って何も出来なかった自分を守ろうと都合の良いように思い込んでいた。

 春樹は頰を叩くと、大きく深呼吸して先輩の元に向かうため、ちょうど到着した電車に乗り込んだ。



 目的の駅に着くと、電車のドアが開いた瞬間駆け出した。

 先輩の居場所が分かるわけではない。しかし、春樹は一直線に学校に向かった。

 いるとしたらここしかない。そんな確信に近いものが心の中にあった。

 学校の校門を走り抜け、日曜日だというのに休まず練習している運動部の横を通り過ぎ、校内を歩いていた教師に走るなと言われても止まらずに屋上へ向かった。

 一階から屋上までの階段を全力で駆け上がり、息を切らしながらドアノブに手を掛けた。

 カチャリと音がして、鍵が開いていることが分かった。

 先輩はここにいる。話す内容なんて考えていない。それでも伝えなくてはならないことがある。春樹は大きく深呼吸すると、ドアをゆっくりと開けた。


「先輩」


 春樹の言葉に先輩はビクッと肩を揺らしてゆっくりと振り向いた。

 先輩の言葉は誰にも届かない。その事実はこの10日間で揺るがぬものとなった。

 だけど、先輩に言葉を届けることはできる。今はそれが出来れば良い。

 春樹はその場で大きく息を吸い込み、ありったけの大声で、


「僕と友達になってくださいっ!」


 自分の気持ちを先輩にぶつけた。

 この10日間で先輩と一緒に過ごしてきて、協力者としてではなく、思春期症候群関係なしに1人の友人として過ごしたいと思ったのだ。

 先輩は春樹の言葉を聞くと、両目から涙を流した。

「せ、先輩!?」

 春樹は焦って先輩の方に駆け寄ると、先輩は涙を拭ってスマホに口を近づけた。

『さっきはすみませんでした。そして、こちらからもお願いします』



 私と友達になってください。



 はっきりと、感情がこもった声が聞こえた。

「え?」

「え?」

 2人は同時に驚いて、2人同時に大きな声で笑い合った。



 この日、月明かりに照らされながら、橋本真琴の声は取り戻された。



























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