第9話

翌年もばあちゃんの家に行ったけれど、やまちゃんには、会えなかった。

田舎には、受験を前にした中学二年の夏以来、行っていない。

高校に入り、ケン君たちとも疎遠になって、今はもう、皆が何をしているのか、知らなかった。その代わりといっては何だが、僕をメガネ君と呼んでいた長谷川君とは仲良くなって、今では同じ高校に通っている。


結局、あの夏、僕とやまちゃんが出会った少年が誰だったのかは、分からずじまいだ。

折り重なった緑の記憶は、もう、遠い。


机の上で、着信音が鳴る。

スマホを手に取る。

やまちゃん、だ。


「久しぶりに田舎に行くんだけど、どう?」


やまちゃんこと、山上司は大学で、昆虫の研究をしている。

僕とやまちゃんは、あれからも時々、飯に行ったりするのだ。

こっちのやまちゃんは、本物だ。

どうしても、気恥ずかしくて、いまさら呼び名が変えられなかったのだ。


「いいね、行く。ばあちゃんにも、会いたいし」


2人で田舎に帰ると、小さくなったばあちゃんたちは、大きくなった孫に大喜びした。

あれ以来、うちのばあちゃんと、山上家のばあちゃんは大の仲良しらしい。いいことだ。

荷物を置いて、ひとしきりお互いのばあちゃんの積もる話を聞き、それから一緒に、外に出た。

外はまだ、日が高く、セミの声が降るように響いている。


2人で、数年ぶりに、山へ向かう。

木々は緑濃く、鳥の声も、虫の声も、溢れるほどに満ちている。

風が植物と、土の混じった匂いを運び、やまちゃんはそこここで動く虫の気配に目を輝かせる。

あの夏もやまちゃんは一人、こんな風に喜びにまみれて、山を巡っていたのだろう。

ざわざわと、懐かしい山の呟く声に、僕は、目を閉じる。


ゆっくりと辺りを見回し、すっかりと草の生い茂った入り口を見つけて、山に分け入る。

溢れんばかりの、緑が、目の前に広がる。

折り重なる、さまざまな濃淡の緑のざわめき。

木々の間を分け入って、僕たちは、同時に足を止めた。


前方に、誰か、いる。


「やまちゃん」「タケル」

僕と、山ちゃんの声が、重なる。


深緑の影の中、あの頃の、子供のままの姿のやまちゃんが、にっこりと笑う。

隣に立った山上君には、きっと、僕の姿に見えているのだろう。


「やあ、元気だった?」


木々が嬉し気に、ざわざわと揺れる。

風が涼しく、僕らを包む。

頭に葉っぱを絡ませたやまちゃんが、にっこりと、笑う。


「おおきくなったね、ふたりとも。ええと、こう、かな」


小さいやまちゃんの輪郭が、少し震えて、緑色にざわりと揺れる。

それから、草木が伸びるようにするりと、同じくらいの、背丈になった。

顔は、僕とも山上君とも似た、別の顔。


「上手くなっただろ?」


大人びたやまちゃんが、にやりと、笑う。


「いつでも歓迎するよ、君たちなら」


やまちゃんは、すっと、綺麗に目を細めた。


「改めまして、僕はこの山の守り主。土地の人は、山神、と呼ぶ」


凛とした声、済んだ瞳。


「ま、でも、やまちゃん、でいいよ」


神様は悪戯っぽく肩をすくめて、心地の良い声を立てて、笑った。

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山の中は溢れるほどの緑 中村ハル @halnakamura

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