見守る誰か
無月弟(無月蒼)
第1話
夜の住宅街を歩いていた早苗は、不意に足を止めて辺りをキョロキョロし始める。その表情は険しく、顔色もよくない。
仕事も終わったことだし、本当なら帰ってゆっくりビールでも飲みたいだろう。だけど、とてもそんな気分にはなれないのだろう。彼女は悩んでいた。時おり感じる、誰かの視線に。
最初はただの気のせいだと思っていたよう。だけどそれがこう何日も続くと、流石に無視はできないようだ。
ストーカーの可能性も考えた。心配するのも無理はないだろう。実際早苗は美人で、とても魅力的な女性だ。きっとこれまでだって、男に言い寄られたりしたこともあっただろう。
しかしいくら周囲を見ても、怪しい人影なんて無い。だけど、やはり視線は感じる。
「何なのよ、もう……」
早苗は泣きそうな顔をしながら、自宅のアパートへと急ぐのだった。
「お願いよ和人、真剣に聞いて!」
早苗は駅前で、スマホに向かって声をあげている。電話の相手は、恋人の和人。早苗とは不釣り合いの、パッとしない男である。今だって必死に訴える早苗の話を、半信半疑で聞いていた。
『落ち着けよ。実際怪しい奴を見た訳じゃないんだろ?』
「そうだけど、やたらと視線を感じるのよ。道を歩いてる時だけじゃない。オフィスにいる時も、家にいる時だって」
『家?だったらやっぱり気のせいじゃないのか?ストーカーがいたとしても、家の中にまでは来ないだろ』
「そうだけど……ねえ、こんな話を聞いたこと無い?ストーカーが家に忍び込んでいて、知らず知らずのうちに一緒に住んでて、行動を監視されていたって話?」
『ああ、それなら知ってるけど。でもそんなの、ただの都市伝説だろ?気にしすぎだって』
和人は依然本気にしない。いきなりこんな話をされても、実感がわかないのは当然かもしれないけど、もう少し言い方があるだろう。
「でも、本当に何かおかしいの!ねえお願い、明日一緒に、部屋の中を調べて!出ないと私……」
『おいおい、何も泣くこと無いだろ。分かった。分かったから。明日そっちに行くから、今日はもう帰れ』
「帰れるわけ無いでしょ、気味が悪い。ホテルに泊まるわよ」
『ホテル代が勿体ねえけど、気になるならそうしとけ……泊まるのって、一人でだよな?男と泊まったりしないよな?』
「当たり前でしょ!」
こんな時に何を心配しているのだと、早苗は腹を立てている。
和人は謝りながら、明日は必ず行くことを約束する。
この時、早苗はともかく、和人は本当に部屋に何かあるなんて、思ってもみなかっただろう……
翌日、早苗の住むアパートの前にパトカーが止まっていた。
周囲には野次馬が集まっていて、声を潜めて話をしている。
「いったい何があったの?」
「何でも、死体が見つかったらしいわよ」
……早苗の部屋の天井裏から見つかった死体は、死後1ヶ月ほど経過していた。
死体は二十代男性のもので、辺りにカップ麺の容器やお菓子の袋があったことから、少なくとも数日はそこで生活をしていただろうと言うのが、警察の見解。
死因は恐らく熱中症。狭くて暑い天井裏で眠っている時に熱中症にかかって、そのままいってしまったのだろうと、鑑識の男が言っていた。
早苗に頼まれた和人が天井裏を調べて、事件は発覚した。
見ず知らずの男が天井裏に隠れていて、知らぬ間に同居していて、見られていた。それを知った早苗は、パニックを起こした。目に涙を浮かべながら、ワンワン叫び散らしていた。
和人は「もう心配ない。誰かに見られることは無くなった」と言ってなだめていた。でも……甘い。
和人は大事なことに気づいていないのだ。死体の男が1ヶ月前に死んでいたなら、最近早苗が感じていた視線は何なのか?しかも、自宅や道を歩いている時だけでなく、会社のオフィスでも感じた、あの視線は。
ああ、やっぱりこいつは、早苗にふさわしくない。
俺が早苗を常に見守っていることに、全く気づいていないのだから。
早苗……俺は一目見たときから、君の虜になったんだ。
常に君を見守っていたい。そう考えるようになって、君の家に住むようになったのだけど、それでも四六時中見ることはできなかった。
だけど今は違う。俺はこんな姿になってようやく、いつでも早苗を見守る事ができるようになったんだ。
早苗はきっと、このアパートを引き払うだろう。死体が見つかった部屋なんて、いたくないだろうから。わかる、わかるよ早苗。
そして早苗がどこか別の所に行くなら、俺も着いていくよ。どこへ行こうと、俺はずっと君のことを見ているから。君が俺のことを見ていないのは残念だけど、それでもいいよ。俺は見返りなんて求めない。ただ君を見ていれば、それだけで幸せなんだから。さっきの泣いている早苗も、凄く凄く可愛かったし。
ああ、だけどあの、和人はいらないや。あんなやつが傍にいたんじゃ、早苗が不幸になる。
待っててね早苗。近いうちに、俺があいつを排除するから。そしたら、二人きりでいられる……
自分の死体が運び出されるのを見ながら、俺はそんなことを考えて笑みを浮かべるのだった。
見守る誰か 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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