痛い腹を探られる
八月九日、私は母と妹とともに母の実家に帰省していた。少し長めの八日間、この湖守にいる予定だ。
遊ぶところといったら自然の中。観光するところなんて無駄に大きい神社くらい。とうに飽きていた私は宿題を片付けたり、昼寝をしたり、ゲームをしたりとだらだらと過ごしていた。
十三日、今日から神社で三日間行われるお祭り。それに行きたいと妹が言い出した。
「七瀬、どうせ暇でしょ? 連れてってあげてよ。」
昔の友だちにあったり、家事をしたりといそがしいのだ、と母は頼んできた。妹もさも当然のように連れて行けという顔をする。
「いいけどさぁ。」
少し不満げな顔をするも、それを気にする様子は二人にはない。お姉ちゃんだから少しくらいは妹の面倒を見るか、と渋々身体を起こして妹の顔を覗き込む。
「葉月、ちゃんとお小遣いは持って行ってよ。」
妹は得意気な顔でポシェットをたたいた。日曜日の朝に放送しているアニメのキャラクターのポシェットは妹の誕生日に私が買ったものだった。葉月はたいそうそれを気に入ったようで、出かけるときにはたいていそれを持っていた。
午後六時、夏の昼は長く、まだ少し暗いといった程度の空だ。
家を出る前に祖父母がくれた五千円をほくほく顔で財布にしまった妹と手をつなぎ、神社に向かう。ちょっと多すぎではなかろうか、とも思ったが、足りなくなって私の財布を開くことになるよりは、まぁマシだ。
神社まで徒歩十五分、こんな田舎なら近いといっていいだろう距離だ。
石造りの鳥居をくぐり、境内へ。すでに境内はにぎわっている。家族、学生グループ、カップル。思ったよりも人が多い。はぐれないようにと妹とつないだ手をもう一度握りなおす。
「お姉ちゃん、たこ焼き食べたい!」
「先にお賽銭ね。」
お祭りでたくさん食べるのだ、とおやつを我慢し、お昼も少なめだった妹は屋台に目を輝かせていた。
「十五円!」
ポケットに分けて入れていた小銭をあいた手で私に見せつけてくる。
「じゅうぶんごえんがありますように、って。」
初詣やらなんやらで、毎度のように母に言われることをよく覚えているようだ。
「そうね。そうそう。」
お参りを終えたら、妹に引っ張られながらたこ焼きの屋台に並んだ。
普段はめったに食べないたこ焼きを妹は嬉しそうに食べる。あつい、と少し眉を寄せたが、はふはふと口を動かす。最後のたこ焼きは私にくれるらしい。
妹は次の屋台を探しに、私から離れて境内をずんずん進む。人は多いが、目を離しさえしなければ、はぐれはしない程度だ。
「金魚すくい?」
妹は足を止めて、金魚すくいの屋台を指さす。
「持って帰らないってことなら、いいんじゃない?」
小銭を店主に渡すと、妹はしゃがみこんで金魚の品定めを始める。
少し時間がかかるだろうと、伸びをして体勢を崩す。鞄を探るが、残念ながらスマートフォンを忘れてきてしまったようだ。暇つぶしの道具がないので、ぼんやりと周りを見渡す。
人と低木の向こう側に古い竹で作られた柵が見えた。私が受験生だった去年以外は毎年祖父母の家を訪ね、これまた毎回神社にはいくが、あんな柵はあっただろうか。
(まあ、気づかなかっただけかな。)
妹はたびたび後ろを向いて、出目金が取れただの、あの金魚をとりたいだの言ってくる。その度に適当に返事をし、それに妹はつまらなそうな顔をする。
「すみません! これ、落としましたよ。」
その声に振り替えると浴衣を着た中学生くらいの少女がスマートフォンを差し出してきた。さっき鞄を漁ったときに落としてしまったのだろうか。お礼を言ってスマートフォンを受け取る。
ちょっと目を離していたその隙に妹がどこかに行ってしまった。屋台から周りを見渡しても見当たらない。
「葉月っ。」
読んだ名前は小さく、焦りが少しずつ大きくなる。
「葉月!」
今度こそはしっかり声を出す。しかし、周りの人が何事だとこちらを見るだけで、妹は見当たらない。
屋台の店主に声をかけるが、分からないと言われる。
「町内会の人に声を掛けたらどうかな?」
店主は少し離れた場所にあるテントを指さす。
「あ、ありがとうございます。」
テントには数人の大人がいた。人のよさそうな女性に声をかけた。
「妹が目を離したすきに……」
そこまでで何を言おうとしているのか察しが付いたらしい。名前と連絡先を紙に書き、テントの中で待っているようにと言われるが、居ても立っても居られない。私も一緒に探させてくれ、と申し出る。
数十分何の進展もなかった捜索――というと少し大げさかもしれない――は唐突に終わりを告げる。人混みの向こうから黒髪の女性が妹を連れて歩いてきたのだ。
「ありがとうございます。」
深く頭を下げると、ぽんぽんと優しく肩を叩かれる。私と目線を合わせるように少しかがんだ女性は笑顔を浮かべていた。
「いいのよ。でも、もう目を離しちゃだめよ?」
女性は笑う。花が咲くように。いや、花が咲くなんてものではない。媚笑。違う。彼女が媚びるはずがない。目を細めて……
「じゃあ、私はこれで。」
ひらひらと軽く手を振って、女性は離れていく。
私は妹の手を握り締めた。なぜか手のひらに汗がたまっていた。
「ごめんね。」
妹は小さく頷いた。
テントに戻りお礼を言った後、私と妹は境内の隅に腰を下ろし少し休んでいた。
「……ごめんなさい。」
妹にいつもの生意気そうな笑顔はない。私はぐりぐりと頭をなでた。しばらく私の脚に抱き着いていた妹も落ち着いたようで、ちょっと泣きそうな笑顔を見せてくれた。
その後、少し屋台を見て回って、静かに帰路に就く。今度はしっかりと手をつないで。
さっきから気になってはいたのだが、妹はなぜか右手をポケットから出そうとしない。
「右手、どうしたの?」
ちらりと妹を見ると、目があった。最初からこっちを見ていたのだろうか。
「何か、持っているの?」
妹は口を小さく開き、また閉じる。話したくないのだろうか。いつもなら追及するつもりはないのだが、なぜか今日はそれを聞き出さなければならないような気がしたのだ。胸騒ぎがした、と言えばいいだろうか。
家につき、今日は妹が迷子になったのだと言えば、能天気な気がある母は笑って流した。妹は風呂に入ったらもう寝るつもりだそうだ。
「疲れた?」
こくりと頷いた。
妹の後に風呂に入り、妹の隣に布団を敷く。
「ねえ、あれ、どうしたの?」
何かを隠していたのだと見当をつけ、妹に問う。
「……あのお姉さんに会う前に拾ったの。」
「拾ったの?」
なら、こんな意固地に隠す必要はないだろうともう一度問う。
「拾ったの。」
妹はそう答えると、私に背を向けた。
狐が鳴いた気がした。
目が覚める。時計は朝四時を指している。まだ少し夜の色を残した空は晴れ。いや、雨が降っている。
「……狐の嫁入り。」
横の布団を見ると妹はまだ寝ている。
することもなく、庭に出る。
「おはようございます。いい天気、ですねぇ。」
庭に出ると声をかけられた。椿の生垣の向こう側からだ。
「……おはようございます。」
誰かは分からなかったが、とりあえず挨拶を返す。誰だろうか。少し目線を上げる。赤い傘が目に入る。声の主が少し体の向きを変えると、その姿が見えるようになった。
――あのときの人だ。
屋台と提灯の灯りがあったとはいえ、きれいな人だったという印象しか残っていなかった。しかし、なぜかそうだと確信した。
「昨日はありがとうございます。」
ただこちらを見てくる女が嫌で、早く帰ってほしいと思いながらそう言った。
女はにこりと笑って口を開く。
「あの、知りませんか?」
何が、という言葉は口から出ない。開けない。この女は確信をもって聞いている。そもそも何を聞いているのだろうか。
「知りませんか? 私の物なのです。」
もう一度私に問いかける。何一つ口調は変わらない。
(もしかして、葉月が隠している物?)
女と自分を結び付けるものは昨日の出来事しかなく、心当たりと言えるものは葉月が昨日隠していた「何か」しかない。
「見つけたら、教えてくださいね。あそこに、いますから。」
どことははっきりと言わないが、きっと神社のことだ。
女はそれだけ言うと、離れていく。
急いで、二階の妹のもとに向かう。
枕元に何かが転がっていることに気が付く。宝石だろうか。緑と黒と青が混じった石の玉だ。
あの女が怖い。これを返せばいいのだろうか。返せば許してくれるのだろうか。
「葉月、葉月。」
肩をゆすると妹は嫌そうな顔をして目を開ける。しかし、私が石の球を見せると、途端に焦った顔をして飛び起きる。
「あの人が、返せって。」
そう簡潔に伝えた。妹はそれだけで理解したのか、顔が青くなる。
「これは拾ったんだよ?」
妹はとうにバレている嘘を続ける。
「返してきてよ!」
「違うもん! これは、拾ったの!」
大声で言うと、泣き出してしまった。そして、それを聞きつけ、母が部屋に入ってくる。年が結構離れていることもあり、姉妹喧嘩はほとんどなかったからか、すこし珍しそうに私を見る。私が目をそらすと何も言わずに妹をなだめ始めた。
「これは葉月のだもん。」
その日、妹は私と口を利こうとしなかった。
十五日、昨日今日と顔色がますます悪くなった妹は相変わらず私と口を利こうとしない。明日には家に帰るのだから、もうそろそろ機嫌を直してほしいのだが。
夜、部屋の隅でこちらを睨みつけながら隠れるように布団をかぶっていた妹をどうにか寝かしつける。
妹がひどくうなされている。近づいて顔を見れば寝汗がひどい。妹を起こそうとして手を止めた。起こしてどうするのだ?
そういえば、妹はまだあの石の球を持っている。
目が覚めて、朝食の準備をしている母を手伝おうと台所に向かった。
「今日はお祭りがあるから、葉月を連れて行きなさい。」
母は笑いながら、カレンダーを指さした。
湖守奇談 黒いもふもふ @kuroimohumohu
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