エピローグ 一週間後
本当の出逢い
ナツメ@_natsume_ 春咲市なーう!
「……」
三日経った。つまるところの『一週間後』だ。
アルファがあの性格だった以上、もし予定通りに今日を迎えていたら、俺は何も知らされず、ナツメさんは魂を奪われていたのだろう。
ナツメさんのツイートは、これが最後。俺と逢ってからは、タイムライン上に一度も呟いていなかった。……気付かなかった。それがとても悲しく、苦しい。
自首をした彼女にどんな処遇が下るのか、まだ解らない。
あの日の夜、『今後の状況が決まったら連絡する』とハコからメールが来たきり、進展がないのだった。
スマホを手に、ベッドに寝転がる。
「…………」
体には不調はなく、元気そのもの。体重が二十一グラム落ちた程度では、体重計の変化もなかった。
だが、魂以上にぽっかりと、心に大穴が開いている。
俺の一日は、ナツメさんと『おはよう』の挨拶をして、夜に『おやすみ』を言って終わるものだった。それが失われた空虚さは、言葉に言い表せるものではなかった。
こんな気分で、日常を再開出来る訳がない。
気付けば昼を回っていて、今日も何も出来ずに終わりそうだ――と思ったところで、スマホがメールの着信を知らせ、俺はベッドから跳ね起きた。
差出人は、ハコ。
『色々決まったから、話を聞きに来て』
文面を見るや否や、俺はジャケットを掴んで部屋を飛び出していた。
喫茶店に向かったところで、ナツメさんに逢える訳ではないのは解っている。だがあの日、アルファを連れて行った外国人達は、明らかに警察官という感じではなかった。軍人のような体格のよさだったのだ。あれを見てしまっているし、何より俺は、魔女や魔法使いが犯罪を犯した結果、どう処罰されるのかを知らない。これ以上心配させたくなくて、母にも聞けずにいたから、不安だけが高まっていた。
自転車に乗ろうとして、幽霊蜘蛛に襲われた夜からずっと、駐輪場に預けたままだったのを思い出す。取りに向かうか考えるよりも前に、俺は走り出していた。
体よりも心が前に出ているから、すぐにペースが狂って、息が上がって、それでも足を止めずに駆ける。
何度か転びそうになりながらも、俺は喫茶店アクアリアに辿り着いた。
荒れた息を整える。嫌な緊張が心臓を急かし続けている。
周囲には、ハコやアルファの魔法の形跡は一切残っていなかった。
青空の下、街路樹の桜は蕾を大きく膨らませていて、中には咲き始めのものが見える。そういえば、都内では開花宣言が出たとニュースで言っていた。
この一週間で、春が訪れたのだ。
「…………」
額の汗を拭い、深く呼吸をして、震える手で扉を押し開く。
場違いに感じるほど軽やかに、ドアベルが鳴り響く。
正面にあるレジの前、背中を向けていた女性店員が、「いらっしゃいませ」と振り返る。
ナツメさん、だった。
「――な、え、えっ」
「えっ、ちょ、あ――な、何名様ですか!」
「ひ、一人、ですけど」
「お席にご案内します!」
夢でも見ているのか、と思ったがそうじゃない。混乱したまま窓際奥の四人掛けに通され、呆然としている間に、ナツメさんが水を運んできた。
「きょ、今日のランチはこちらになっております! お決まりになりましたら、お声掛けください! ……えっと、あの、すぐにハコさんとOJさんが下りてくると思うので」
「わ、解りました。でも、」
「詳しい話は、ハコさん達に」
今にも泣き出しそうな笑顔を残して、ナツメさんが戻っていく。
黒髪を綺麗に纏め、白いシャツに黒いリボンタイ、ベスト、細身のパンツにエプロンの、ギャルソンスタイルの制服がよく似合っていた。
俺の他に客はおらず、貸し切りのような状況だ。呆然とメニューを見ると、今日のランチは、ハムチーズホットサンドとマッシュポテトのサラダだった。通常のランチメニューにはハンバーグプレート、ドリア、ホットケーキなどもあって、美味しそうな写真が並んでいる。値段も良心的なのが嬉しいところ――だが、なんだ、本当に何が起きているんだ?
混乱していると、二階からハコと、少年姿のOJが降りてくるのが見えた。
二人はそのまま俺のところへやってくると、椅子に座り、
「あー、お腹空いた。OJ、何食べる?」
「今日はホットサンドかな。でも久々にホットケーキもいいなー」
「じゃあ、半分ずつにしない?」
「あ、それもそうだね。――注文決まったよー」
当たり前のように二人がメニューに目を通し、OJの声を聞きつけたナツメさんがやってきて、水を置いて注文を取り、去っていく。
ようやく、二人が俺を見た。
「それじゃあ、説明を始めるわ。って、赤城君?」
「おーい、赤城くーん?」
「あ、ああ……。もう何がなんだか解らないんだ。解らないけど……安心して、いいのか?」
「ん? 不安になるようなことあった?」
「だ、だってこの前、アルファを連行して行ったのは、軍人みたいな男達だったじゃないか」
「軍人? ……あー、説明してない……」
「ごめん、これに関してはボクもすっかり忘れてた……」
ハコが両手で顔を覆い、OJが頭を下げる。だが今は、謝罪よりも説明が欲しかった。
「どういうことなんだ?」
「フォールブレイス家は、公爵位を持つ貴族でね。クレアはお嬢様なの。で、アルファを連れて行った彼らは、フォールブレイス家お抱えの護衛達。クレアを護る為に、日本への旅行に同行していたってわけ。ただ、日中は私達がクレアを護ってるから、ホテルで休んでもらってたのよ。そんな彼らを呼んで、アルファを警察まで運んでもらったの。パトカー呼ぶより早いからね」
「クレア達は二人旅のつもりだったんだろうけど、ずっと護衛が同行してたし、何かあればボク達に連絡が入るようになってたんだ」
「そうだったのか……」
本当に、一つ知ると、次から次へと予想外の事実が明かされるものだ。
「じゃあ、そのクレアは?」
「買い物中。そろそろ戻ってくると思うわ」
「週末には帰国する予定だけど、赤城君も見送りに来る?」
「いや、止めとくよ。シンに文句を言われそうだ」
「まぁ、そうかもね」「かもねぇ」
「それで、その……」
「そうね、説明しましょう」
水を一口飲んでから、改めてハコが俺を見た。
「――夏目・霞美が犯罪者であるのは、疑いようがなかったわ。今回に関してはアルファに利用された訳だし、最大限の温情として『オメガは実在しなかった』ってことにしたとしても、夏目が違法なマジックアイテムを作り、販売していたのは事実だった」
「ただ、ちゃんと相手を選んでたんだよね。魔女・魔法使いだけを販売相手にしてた。こうなると、処罰は土地の管理者に委ねられるんだ」
「ハコ達にそんな権限が……」
「超法規的措置ってやつね」
「法律を気にしてたら、箒で空を飛べないからね。航空法を完全に無視してるし」
航空法という単語に、改めて、ハコ達が現代社会で生きている人間なのだと思い知る。『魔法は便利だが、不自由が多い』という母の言葉が思い出された。
そこで、ハコがナツメさんを見やる。彼女は先輩だろう女性店員から作業を教わり、メモを取っていた。
「現行の法律に照らし合わせれば、違法品の製作・販売で、五年以下の懲役、又は三百万円以下の罰金ってところ。だから、刑務作業の代わりに喫茶店バイト二年、許可のない魔法の使用禁止を命じたわ」
「バイト二年って、日本に労働刑はないんじゃ?」
「そうなんだけど、日本には魔女・魔法使い用の収容施設って存在しないのよ。魔法を使えば脱獄は簡単だし、最悪受刑者全員が逃げ出せる。彼女にその気がなくても、リスクが大きい。他の誰かを脱獄させる為に、魔女や魔法使いが刑務所に入りこむケースもあるからね。だから、魔法犯罪者は、土地の管理者の管理下におく必要があるの」
「「ねー」」、とハコとOJが店員達へと振り返り――話題を振られた店員達の内、数人が露骨に視線を逸らした。……まさか、彼女達もそうだったのか。
「軽い処遇に感じるかもしれないけど、生粋の魔女にとって、魔法を禁じられるっていうのは凄く辛いものなのよ」
「ボク達は、手足の延長線上で気軽に魔法を使うからね。赤城君の感覚で言えば、『向こう二年、電化製品の使用を禁じる』って感じかな。大変でしょ?」
「そ、それは辛過ぎるな」
「人によっては、手足を失うくらいの重石になる。重罰なのよ、あれでも」
「じゃあ、アルファはどうなったんだ? 収容施設がないんだろう?」
「アイツの場合はまた別。国際手配されてる重犯罪者だから、既に海外に搬送されてるわ」
「かなりの人数を手にかけてるし、寿命が来るまで塀の中だろうね」
寿命、という単語に、ミイラのようになっていたアルファの姿を思い出す。
「……今更だが、あの時シンは何をしたんだ?」
「あれはウロボロスの力よ。生まれて死んで、を強制的に体験させられたの。『出生』っていう高い崖の上から、『死』の奈落へと何度も何度も突き落とされた感じね。閉じた円環の中には、過去も未来も全て内包されてるから、生も死も等しく操れるの」
「操れるって、ウロボロスは防御するだけじゃないのか?」
「今の赤城君の力だと、それが限界ってだけ。ウロボロスに不可能はないわ」
思ってもみなかった言葉に、思わずウロボロスを見ると、紅い瞳と目が合った。
それに動揺しつつも視線を戻したところで、ハコとOJから、真剣な口調で問い掛けられた。
「「戦う力が欲しくなった?」」
「――いいや、俺は護る力が欲しい。この一週間、俺はずっと逃げてばかりで、助けられてばかりだった。だから、今度は俺が助けられるようになりたい。それに――
攻撃する為にウロボロスを使ったら、俺は捕まるんだろ?」
「「ご明察」」
声を揃えて言うハコとOJに、俺は苦々しい顔をするしかない。
「そういうことは、先に言っておいてくれよ」
「大丈夫よ、ただ防御するだけなら、何の罪にも問われないから。それに、赤城君がウロボロスに攻撃を命じるには、三十年くらい修行が必要なの。シンの場合は、クレアの持っている魔力を使えるけど、赤城君はそうじゃないからね」
「ああ、それなら説明する必要もないな……」
結局俺は一般人で、護ってもらうしかないのだ。自分から危険に近付かないよう、ハコが嘘を吐いたのも理解出来た。
「なら、シンはどうなるんだ? アレは防御とは言えないよな」
「ギリギリ正当防衛ってところね。あの場には私もいたし、もしアルファが死んでいたら、今頃クレアは強制送還されているわ」
「身内にも容赦なしか」
「土地の管理者、だからね」
ハコが曖昧に微笑む。
自由気ままなようでいて、一番縛られている。そんな苦労が感じられた。
と、場の空気を変えるように、OJがハコの手に触れた。
「でも、これも二十五年前みたいで、親子の血を感じさせるよね」
「そうね、言われてみればそっくりだわ」
「どういうことだ?」
「二十五年前にも街で事件が起きて、巻き込まれた女の子がいて――その子も、護る力が欲しいって言ったのよ。その子の名前が、美玲。彼女が十四歳の時の話よ」
「母さんが……」
それは、俺が生まれるよりも前――
街の各所に公衆電話が存在し、人々が終末の予言を信じていた時代。
一人の少女が遭遇した、変化と決断の物語。
「ハコの血筋なのかなー。巻き込まれ体質で、困ってる人を放っておけなくて。だからウロボロスは力を貸すんだろうね」
「うっさいOJ」
「照れてる照れてるー」
「うっさい!」
ハコが若干赤い顔で、OJの腕をベシベシ叩く。こういう風に褒められるのは苦手らしい。
「って、ハコの血筋? どういうことだ?」
「あれ? 美玲から聞いてない? 私には妹がいたんだけど、その血を引いているのが赤城君の家系でね。だから私は日本で土地の管理者をやってるの。更に言えば、私は『取り替え子』でね。私と入れ替わって姉をやっていたのが、クレアの祖先になるわ。だから、家系図上で見れば、赤城君とクレアは遠い親戚になる、と」
「ああ、だからシンが宿れたってことなのか。いやでも、血縁はないんだよな……?」
「血の繋がりがなくても、家族になれるわ。そしてクレアは、妖精の血を引いてる。それが、あの子の特殊な体質を作り出したんだと思う。一種の先祖返りね。そして赤城君もまた、祖先からの力に影響を受けているの」
「霊感と、ウロボロスか」
「そうよ。――私は国を出る時、一匹の白蛇を助けたの。それは信仰を失い、名すらも忘れ、今にも消えかけていた蛇神だった。そんな彼女に新たな名と、守護神としての人生を与えた姿が、ウロボロス。そして私は、指輪となったウロボロスを妹に託したの。妹の家系を護ってくれるように。……まさか、魂を過去に飛ばすとは思わなかったけどね」
ハコが思う以上に、ウロボロスは強大な守り神だったのだろう。
全ての物事は繋がっている――何か一つのピースでも欠けていたら、今の俺達はないのだ。それを思い知らされて、俺は歴史というものに圧倒された。
だが、だからこそ、連綿と受け継がれてきたものに横槍を入れてきた存在に、言及せずにはいられなかった。
「……結局、アルファって男は何者だったんだ?」
「軽く調べた限りだと、真っ当な両親の元で生まれた、真っ当な人間だったわ。でも彼には、自分以外の人間が全て等価値に見えていたみたい。だから、蝶の標本を売買するように、人間を売買することにも抵抗がなかった、と。……そして、この街にはクレアがいた。オメガである夏目・霞美と、赤城君の魂を同居させることの出来る人間が」
「……ど、どういうことだよ」
「アルファが契約を反故にしたことは一度もないの。界隈では信用されていたのね。だから、クレアに繋がるような情報まで手に入れられた。……その上で、夏目の願いは『赤城君に自らの魂を渡し、幸せになること』だった。赤城君の生死にまで言及していなかったのよ」
「ま、待ってくれ、それじゃあ……」
「契約の裏をかくような話だけれど、結果的に見れば、アルファの行動には矛盾がないの。クレアの中でなら、確かに赤城君と夏目の魂は同居出来る。オメガの願いは叶う」
「……、……」
ミイラのようになっていたアルファの姿を思い出す。
男達に運ばれていく時、その口元には笑みが浮かんでいた。
まるで、失敗すら楽しんでいたかのように。
「まぁ、推測に過ぎないけどね。狂人には狂人の理屈があって、それは私達には理解出来ないものだわ」
結果だけを重視し、相手の都合を考えない。ウロボロスと同じように、根本的な思考が違うのだ。例え出来たとしても、理解なんてしたくない。
俺が殺されかけたことは、事実なのだから。
「――お待たせいたしました。ホットサンドセットと、ホットケーキセットです」
と、ナツメさんが料理を運んできた。そつなくこなしているように見えるが、皿を置く手が若干震えている。俺の視線に気付いて、ナツメさんが弱々しく苦笑した。
ネームプレートなどは付けていないが、しかし彼女にとって、『ナツメ』ではなく『夏目・霞美』として仕事をするのは初めてだろうし、偽っていない素の自分のまま人前に出るのは、否が応でも緊張してしまうに違いない。魔法が使えない、というのはそういうことだ。
その上、飲食業では、化粧という魔法を使うにも限度がある。俺が想像する以上に、ナツメさんには大変な職場なのかもしれなかった。
「ええっと――ご注文の品はお揃いでしょうか」
「大丈夫。でも、」
と、ハコが店の最奥に置かれている、大きな振り子時計へと視線を向け、
「夏目、そろそろ休憩時間じゃない?」
「ボク達は席を外すから、代わりに食べちゃってよ」
「え、えっ、いや、でも、」
「「まぁまぁ、いいからいいから」」
ハコ達が笑顔で席を立ち、ナツメさんの背中を押して俺の対面に座らせてしまった。そして二人が伝票を持ってカウンター席に向かい、追加の注文を始める。
気を利かせてくれた……のだろう。
ああして悪戯に笑っているのが、本来のハコとOJなのかもしれなかった。
「えっと、じゃあ……食べますか」
「そ、そうですね。ロック君はどっちを……」
「ど、どっちでも」
「なら、半分ずつ……」
話したいことは沢山あるのに、上手く言葉が出てこない。どころか、お互いに目も合わせられない。
ワタワタしつつ料理をシェアして、改めて向かい合って……
ふと、ナツメさんが小さく笑った。
「『まさかそれが、あんなことになるなんて――』なんて」
「解ってて言ってたんですね、アレ」
「はい……。こうして訪れた結果は、思っていた状況とは大きく違いますが――でも、これでよかったって、今は心から思います」
だから、
「私のことは気にしないでくださいね。ロック君は、ロック君の幸せを選んでください」
「解ってます。だから俺は――明日もここに来ます」
「えっ、でも、」
「俺は、俺の幸せの為に、ナツメさんを幸せにするって決めたんですから」
「ロック君……」
肩を震わせ、大粒の涙を浮かべて泣き始めてしまったナツメさんに、俺はハンカチを手渡した。
ナツメさんが何度も涙を拭って……自身を落ち着かせるように、深く息を吐いてから、顔を上げる。
そこには、幸せいっぱいの笑顔が浮かんでいた。
「不束者ですが……これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
小さく会釈を交わして、二人で笑い合う。
俺達はお互いをよく知っていて――でも、まだ何も知らない。
だから、これが俺達の本当の出逢いであり、始まりだ。
一つずつ、一歩ずつ。
幸福な円環――大団円へと至れるように、俺達は手を取り合い、歩んでいく。
end
双極のウロボロス 宵闇むつき @redchain
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