閉幕


 途切れていた意識が、少しずつ目覚めていく。

 僅かに目を開けると、焦点の定まらない視界に銀色が入り込んだ。

 クレア……いや、違う。シンだ。

 彼が俺を支え、起き上がらせてくれて――

「ロック君!」

 という涙交じりの声と共に、ナツメさんに抱き締められた。


「一体、何が……」

「数分記憶を失っていただけだ。貴様は――な」

「……?」

 どういうことだろう。まだ前後の記憶がはっきりしない中、周囲を見回して……

 ハコとOJが何者かを紐で縛り上げているのに気付き、その顔を見てぎょっとした。


 白髪の抜け落ちた、ミイラのような男だ。だがその服装、右手から零れ落ちたガラケーには見覚えがある。


「あ、アルファ……? そうだ、俺はアイツに襲われて……!」

「ウロボロスが貴様を護ったんだ。感謝しておけよ」

 シンの言葉と共に、地面を這ってやってきたウロボロスが俺の手に絡みつき、指輪に戻っていく。何があったのかは解らないが――それでも、この数日間の騒動に決着が付いた、というのは理解出来た。


 その後、ハコがどこかへと電話をかけ――五分もしない内に、喫茶店の前に黒塗りのバンがやってきた。降りてきたのはスーツ姿の屈強な外国人達で、彼らは異国の言葉でハコとOJ、そして若干驚いている様子のシンと会話した後、三人に深く頭を下げてから、アルファを車に乗せ、どこかへと走り去って行ったのだった。


 かなりの騒動だったと思うのだが、ハコの結界の力なのか、周囲や、店内の客は騒ぎに気付いていない様子だった。それを横目に、俺達は喫茶店アクアリアの二階へと上がり、皆でソファーに腰掛ける。

 ナツメさんは俺にくっ付いたままで、シンは表情から若干険しさが抜けていた。


 一歩遅れて戻ってきたハコ達が、大きく息を吐きながらソファーに腰掛ける。急かすようになるが、俺は問わずにはいられなかった。

「一体、何がどうなったんだ?」

「私達の隙をついて、アルファが赤城君を襲ったの。完全な失態だったわ……。でも、ウロボロスが赤城君を護ってくれたのよ」

「けど、ウロボロスが発動したってわりには、体に疲れがないんだが……」

「ごめん、アレは嘘」

「う、嘘って、」

「ウロボロス頼りに、不用意に怪しい場所に近付いたりしないように、脅かしといたの。でも、余計なお世話だったみたい。……それなのに、私達は貴方を護れなかった」

「なんだ、そういうことなら謝らなくていい。心配してくれてたのは解るし、アルファの奇襲を予想しろっていうのも無理な話だ。こうして全員無事だったんだから、問題ないさ」

「ありがとう、赤城君……。……でね、詳しい顛末を説明したいんだけど、私達もよく解ってないところがあるのよ」

 ハコとOJが、神妙な様子でシンを見つめた。

「それじゃあ、説明してもらいましょうか」

「クレアなら未だしも――シン、どうしてキミがウロボロスを?」


「俺が、赤城・イオンだったからだ」


「「「――は?」」」

 あっさりと告げられた言葉に、ハコとOJと共に、俺も間の抜けた声を出していた。

 この数日、予期せぬ状況、未知なる知識に何度も驚き、混乱してきたが、流石にこれには黙っていられない。

「ど、どういうことだよ? お前が俺って……」

「記憶が戻った訳ではないから、未だに曖昧なところは多いが……結晶化された赤城・イオンの魂――つまり俺は、ウロボロスに取り込まれた。そうすることで、ウロボロスはいかなる状況からも主人を護ろうとしたんだ。だが、円環は歪んでいた。捻れた八の字――」

「「――メビウスの輪!」」

 ハコとOJが声を上げる。二人には解ったようだが、俺にはさっぱりだった。

 シンが頷き、言葉を続ける。


「メビウスの輪が持つ数学的な意味は、今は関係がない。重要なのは、過去も未来も内包するウロボロスの円環が捻れていた、ということだ。その結果、円の中に魂は止まれず、ぐるりと過去へと飛ばされてしまった。そして十六年かけて、始点である今日へと戻り、再び円環を取り戻した。

 だが、メビウスの輪は、一周すると表側から裏側に回ってしまうものだ。こうして戻ってきた今、俺は赤城・イオンの魂とは別のものに変質している。もはや貴様の中には戻れないし、戻るつもりもない」

「……いや、待て、おかしいだろ。じゃあ何で俺はこうして動けてるんだ? 今の俺には魂がないんだろう?」

 混乱する俺に答えてくれたのは、ハコとOJだった。


「魂が結晶化されても、肉体は数時間は生命活動を続けてるから、すぐに魂が戻れば意識も戻るの」

「つまり、クレアの中にいるシン――かつて赤城・イオンだった魂が、赤城君の意識を目覚めさせたんだ。パソコンを遠隔起動させたようなものだね。こうして再び電源が入った以上、改めて死ぬまで体は動き続ける。だから安心して」

 なんだか物騒な物言いだが、シンと離れたら意識を失う、ということはなさそうだし、安心していいのだろう。


「じゃあ、どうして俺の魂は過去に飛ばされたんだ?」

「赤城君を護る為ね。過去とは過ぎ去ったもので、誰にも変えられない不可侵の場所だから、これ以上の護りはないわ。ウロボロスにはそれだけの力があって、発動さえしちゃえば、そうした奇跡も起こせるの。何より、赤城君の名前は時間を司るから」

「……アイオーン」

「名前は意味を与えるもの。その名前を得たのも、偶然じゃないのよ。そしてウロボロスとしてみれば、『赤城・イオンの魂』の安全が確保されたまま十六年経ち、今日に至ったから、問題がないんでしょう。……神様だからね。『赤城・イオン』が護られたのなら、形は関係ないのよ」

 守り神、という言葉は比喩でもなんでもなかった、ということだ。

 ウロボロスが俺を見上げてくる。その紅い瞳と相容れるのは、難しいように思えた。


「魂が赤城君としての記憶を失ったのは、クレアに宿ってしまったからね。本来の魂がそうであるように、十月十日の間に過去を忘却してしまった。でも、ウロボロスの加護と、クレアの体の特異性から、自我そのものは消えずに残った……と。

 そうして今日、ウロボロスは捻れを解消し、完全さを取り戻した。裏返ってしまった魂――シンは、もはや赤城君とは完全な別人になってる。赤城君の中に戻るのは不可能でしょうね」

「例え戻れたとしても――私は、シンと離れるつもりはありません。絶対に」

 はっきりと、クレアが言う。明確な拒絶に、彼女の強さを感じた。


 ……頭がグラグラする。

 魔女の存在を受け入れたとはいえ、俺は一般人だ。魔法の原理もよく解っていない。

 その上で、今の説明だ。理解も納得も難しい。

 だが、これが現実なのだ。 

 ナツメさんが俺の手をぎゅっと握り締めてきて、思わず握り返しながら彼女を見ると、ナツメさんは酷く不安そうな顔をしていた。

 その瞳が、シンを見つめる。それに彼が気付き――

 今までの様子からは考えられない、柔和な笑みを浮かべた。


「大丈夫だ、ナツメさん」

「っ、」

「貴女のことは、もう名前しか思い出せないが――それでも、俺という魂に大きな影響を与えてくれた人物なのは解る。貴女の防御魔法は、今も俺の中にあるだろう。それが、俺をこの街に導いてくれたんだ」

「でも、貴方は……」

「俺のことは気にしなくていい。俺はクレアと出逢えて幸せなんだ」

「でも……触れ合えないのは、辛くないですか?」

「いいや、触れ合えているよ。肉体ではなく、もっと深いところで繋がっている。愛し合えている。だから――嗚呼、一つだけ思い出せた。

『触れ合えないのは地獄ですよ、ナツメさん』」

「ッ、あ……」

 ナツメさんが顔を伏せる。

 そうだ、シンとクレアの関係は、ナツメさんが求めていたもので――

 けれど、クレアの体質がなければ成しえないものなのだ。


「ただ魂を結晶化しただけでは、相手と触れ合えない。それは永遠の孤独だ。俺はその絶望の一端を垣間見たことがあるが、あれは本当に辛いものだ。貴女には同じ道を歩んで欲しくない」

「解っています。私はそれを、ロック君に――かつての貴方に、教えてもらいました」

「そうだったか。なら、今の言葉は忘れてくれ。そして――幸せになって欲しい。それが俺の願いだ」

「はい……!」

 ぎゅっと俺の手を握りながら、ナツメさんが頷き返す。

 シンがそれに満足そうに微笑み……改めて、俺を見る。

 一瞬前までの表情が嘘のような、険しい視線だった。


「――しかし、何事もなく貴様の中に戻ったかもしれない未来を考えると、ゾッとするな。貴様もそうだろう?」

「当然だ。お前が俺だった過去があるなんて、虫唾が走る」

 嗚呼、そうだ。


「「――俺達は、『赤城・イオン』が大嫌いだからな」」


 二人同時に出た言葉に、苦笑とはいえ、シンが初めて俺に対して笑って、俺もまた苦く笑う。

 そうだ。俺は、自分自身が大嫌いだ。

 平凡で、退屈で、取り得がなく、ネットという窓を通してさえ、ナツメさんのような才能に圧倒される。ウロボロスの話を聞いた時も、心は躍らなかった。当然だ。直前にハコの魔法を見ていたのだから。

 そして、この名前だ。そこに込められた意味を知ったところで、日常の中ではただのキラキラネームでしかない。鬱屈もしようものだ。

 そんな俺だ。シンと顔を合わせた時、相容れないと思ったのも当然だった。


 忌むべき自分自身が、目の前に現れたのだから。


 だが、

「大丈夫ですよ、ロック君。私は貴方が大好きで、私の一番なんですから」

「ナツメさん……」

 嗚呼――彼女がそう言ってくれるから、俺は救われる。

 救われたのだ。


「――話が纏まったところで……クレア、お茶を淹れてきてくれる?」

「はい、解りました」

 ハコの言葉にクレアが立ち上がって、キッチンへ。それを見送ってから、ハコが真面目な顔で俺を見た。

「これ以上失言する前に言っておくわ。――赤城君も席を外して」

「……解った。――じゃあ、ナツメさん、また後で」

「はい。また後で」

 胸に様々なものが渦巻くが、彼女が決めたことだ。

 ハコ達が見ている前だが、気にせずにキスを一つして――手を離す。


 振り返らず、俺は一階へと降りて、店を出て、

「――ッ!」

 当てもなく、走り出す。


 こうして、騒動の幕が下りた。




 

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