それでもぼくにはぴーひょろがある。

CODE-01

第1話 男君、竹簡を削る。


『あちらの姫君もこちらの姫君も。』


戸籍の編纂へんさんを行うこともつれづれなるこのごろ、この方の女君であらせられるならば僕にも他の公達の夢見るような幸せな結婚というものができるだろうか…と表には出さねど魂だけは通い路に思いを馳せ、周囲にこの妄想が伝わっていないだろうかと、特に上司の様相をうかがいつつ、僕もようやくこの仕事に慣れたものだと一人静かに思う。

そもそも、幸せな結婚とは、どういったものがいちばんの幸せにあたるのだ、と考えたところ斜め後ろに坐する年嵩の同僚にオホン、と声をかけられる。


「なにやら湯気がたっておりますよお若いの」


体にためこんだ熱っぽい息を鼻から追い出して気持ち、かおを引き締め直す。


「どうして分かりますか、私の心が」


「俺も婚家に屋敷が移るまではそうだった、そわそわして落ち着かぬものだよ」


「いやみですか」


「なんだ、違うのか」


「どこかにほどよき姫君がおられませんかね。

 まだどなたとも文のやりとりもしておられぬような」


「垣根の向こうを覗く気にはなりませんか」


今度は左隣の同僚が、便乗して夜遊びの誘いをかけてきた。


「やめておけ、奥手であらせられる」


「やめてくださいよ」


「どうした、親父殿にちくりとやられたか」



あまり言われたくなかった一言に、今朝のやりとりを思い出してしまう。

もし姫君との文のやり取りさえあれば、今朝の名残が父とのやりとりであるはずがなかったのに。









「少しよろしいか。」


「はぁ。

 なんでしょう、父上。」


「父として貴方あなたに一言申さねばならない。」





この頃、内裏に出仕するようになった息子に今日こそは一言物申してやろうと息巻いているであろう父が、自分と同じ年頃の公達の上司でもある威厳を最大限にかもし出して、えへん、と一つ咳払いをする。



おそらく本音では存分に気を使って育て上げた口髭が、代わりに偉そうなことを言ってはくれないだろうか、と考えているに違いない、と思っていた僕の頭がまだようやくまとまっていないうちに説教が聞こえてきた。






「 ― そろそろね、結婚なさいよ。」






「お言葉ですけどね、父上。」



「ん」



「これでも方々に文を出して、それなりにお返事もいただいて」


「嘘をおっしゃい。



 毎日役所で、戸籍に記されているご高名な方の、女君たちの聞こえばかりを追いか

 けている、と………………少し噂になっておりますよ。」



は、と目を見張る間に、胸の内ではふふ、と笑う父の声が聞こえた。




「いい年になったんだからね、夢かうつつかわからぬような暮らしぶりではね

 困りますよ。――香の炊き合わせだってそんなにもてはやされなかったんだから

 ね」




「父上ほどであれば、母君のような方と目合えるんでしょうけどね」




「おだまんなさい」








「僕、もう行きます、表に車を待たせてありますので」







出仕を言い訳に使われると、もはや親としては引き下がるほかない。





屋敷の中のどこにいるかわからないほどだった息子も行動力と判断力だけはいっぱしの大人になったものだが、このままでは我が家の殿が周囲の同僚たちの孫自慢についていけない、というのがこの男君のお育ちになった家ではもっぱらの悩みである。


乳母をはじめ、それとなく屋敷全体で男君の婚礼を促してきたものの、ついに屋敷の長が口を開くこととなった。







胸の熱くなるような家のものすべての思いを込めた一言に対する応えにこらえきれず、遠くなってゆく息子の背に、切ない思いを目で追いかける。







それでも、こらえきれずについに口をついて出た。





「私だってね、孫自慢がしたいんですよ。

 あなたが子供のころはね、それはもうかわいくてね。

 内裏でつい皆様方に自慢してまわったくらいだったのにね、

 お孫さんはまだですかって言われるとね―。」




先日など同僚が、孫が生まれて将来がたいへん明るいなどと子を抱いてあやすようなしぐさで自慢してきたのをまともに聞いてしまっては、家の片隅で少しばかりいただきものだという金瓜を抱いて、もごもごと祖父顔の稽古を積んでいても仕方あるまい。

 



「屋敷に戻って来てからあなたの母君にも、今日の出来事の話をはぐらかすのに、

 色々と土産代もかさむんですよ。」




他の公達よりもおそらく足の速いだろう息子の耳には、聞こえるか聞こえぬかほどの言葉であるだろうことを思うも、言の音に乗せて胸のつかえが、す、と下りた心地だった。









…などとおそらく父は自分のト書きを考えていただろう、と考えたところで少し胸の気が下りた。


「僕だってね、父上の癖くらいは見抜くんですよ」


「まあ確かに貴方くらいの年の頃であれば、通う場所があってもおかしくはないのだ

 けれど」


「まだお生まれでないのかもしれませんね」


「それは…」


「冗談ですよ」




竹簡に乗せた墨が乾くまでのたわむれとして、思いを収めるにとどめた。



八月の暮れである。

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