第9話

 ただ走る。

 ただ夢中に屋上だけを目指して。

 階段を駆け上がり、屋上への入り口に手を伸ばす。


 あと少し、あと少しと階段を駆け上り。


 「雪ー!」


 扉を開け、外に飛び出した。

 一瞬、日光の光にやられるように目が眩しくふさいでしまいそうになるが、それを無理やりにもとめさせる光景が目に入った。


 女二人がニヤケ顔を浮かべながら、何かを囲むようにして立っている男三人組に指示を出していた。

 男たちの隙間から覗けたのは、一人の少女、雪だった。


 「雪から離れろ!」


 大雑把にも真ん中の一番図体がでかい奴にタックルをし、押し倒す。


 「雪! 助けに来た!」


 安心させるために声を掛ける。

 だが通じていないのか、恐怖で体を丸め聞く耳も持たない。


 「おいおい、なーに邪魔しちゃってくれてんのよ。おい由美! こいつってこの子の彼氏?」


 「そうよ! そいつもついでにやっちゃっていいよ!」


 由美と呼ばれた女が愉快そうに笑いながら言った。

 それを聞いた男が、値踏みをするように足から頭までを見てくる。


 「武器とかの確認か? 気持ち悪いんだよ!」


 俺の言葉とともに放たれた拳が、男の顔面を軽捷に突き、さらにもう一度で本腰を入れた右ストレートを放つ。


 「おいおい、いてーじゃなえかよ」


 平然な様子で、少量出た鼻血を拭き取る。


 「おら!」


 いつの間にか移動していたもう一人の男が鼻を拭いた男の影から拳を突き出してきた。


 「おーぉ、こわいこわい。怖いものは潰さなきゃ、なぁ?」


 半身を下げて避けると、完全に伸びきった腕を両手を掴み、体を深く腰から落としながら捻る。

 すると俺の体重に引っ張られ一気に地面に伏せられる。


 「そら! お前にも土産だ!」


 最初の男にやったものと同じようにわき腹を踏み、悶絶させる。

 グチャリなどという内臓が潰れたりする音はしないが、男二人の呻り具合から察せるのか、焦ったように顔を暗くさせていた。


 「どうした? 怖くて逃げるか?」


 俺が男に挑発をかけると、男は狂ったように哄笑を上げた。


 「逃げる? 笑わせんなよ……俺にはこいつがあるんだからなぁ」


 そう言って出したのは、先端が尖り、忌々しいほどに光を反射させる、小型のナイフだ。

 小型といっても刃渡りは5センチ6センチはあり、簡単に人が殺せるほどには脅威はある。

 凶器で、人に恐怖を与えるものだ。

 だが喉から込み上げてくるものは恐怖ではなく、逆にそれを和らげるような嘲笑うような見下す笑いが漏れた。


 「男が武器って。情けなくないか?」


 「う、うるせぇ! お前が素直にすっこんでればこんなことにはならなかったんだよ!」


 男が狂気に暮れたように乱暴にナイフを振り回す。

 後ろで見物をしていた女二人組は情けない声を挙げながら走り逃げていく。


 「なっ、里々架! 由美! お前ら逃げんじゃねぇよ!」


 「あーらら、女の子たちが逃げちゃったけど? どーすんの? やんの?」


 煽るように挑発的な笑みを浮かべて言ってやる。


 「ぁあっくそ! 今回は引いてやる! 先公に地食ったらどうなるか分かってんだろうな!」


 急に後ろ盾の無くなった不安感からか、恥ずかしげもなく逃げていく。

 テンプレと普段は突っ込むのだろうが、今回ばかしは違った。


 「雪? もう大丈夫だよ」


 俺の背後で体をブレザーに隠すようにして蹲る雪に声を掛けた。

 体は小刻みにだが震えており、恐怖から身を守っていることが分かる。


 俺はなんて奴だ。


 先ほどの自分の言動が恥ずかしく感じて仕方がない。

 学校ならそこまでのことをしない。

 だが実際はどうだろうか。しなくても怖いのは確かで、男に囲まれればそう思ってしまうことはあたりまえだろう。

 なのに俺はといえば何をしていたのだろうか。


 別に平気だろうと思っていた俺の心には罪悪感ばかりが身に刺さる。


 「雪……ッ」


 俺に怖がりを向けるように怯える雪の姿に真新しさを感じながらも、淡くはかなくも煽るように押し寄せてくる損失感に、慌てて雪の体を抱き寄せる。


 「聞いてくれ雪! 俺はさっきまで雪のことを助けに来ようなんて思っていなかったんだ。それどころか、雪のことは助けるほどに好きじゃないって」


 「……え?」


 先ほどまで竦んでいた雪が顔を上げる。

 その顔は髪などが酷く散乱とし、白い肌に可愛らしかった涙袋も赤くはれてしまっている。


 「今までずっと俺はお前に好意を向けたことは一度も無かったんだ……ッ!」


 今さら気付いた気持ちに正直になることがとても怖い。

 しっかりと伝えられるかが分からない。

 本当に言って理解してもらえるのか。言っても俺の前で笑っていてくれるか。

 分からない。

 でも……


 「このままじゃ俺は嫌なんだ。君を好きでもないままいるなんて。俺は嫌なんだよ!」


 雪の背で組んだ手を解き、肩を掴む。


 「今までずっと胸の中で蟠りを感じていたんだ。でもそれは、俺が好きな君に、本当の気持ちを出す事が出来なくて、自分自身に憤り覚えていたんだ……」


 「それって……」


 「今更謝っても無駄だと思うけど言わせて欲しい。俺は君に嘘で告白をしたんだ」


 叩かれる覚悟で目を閉じ、歯を食い縛る。

 泣かれる覚悟で耳を澄まし、罰を受けようとした。

 だが。


 「……そんな予感、してたんだぁー」


 覚悟したはずの気が抜けてしまうほどに鈍い声が聞こえた。

 ゆっくりと目を開けてみれば、どこか残念そうに微笑を浮かべている雪がいた。


 「だって月君、私に本当の笑顔、向けてくれないんだもん。それに私がわがまま言っても何も言ってこないし。それに何も求めてこないし」


 「胸の痛みを、痛いことから逃げていたんだ」


 楽な方楽な方へと。

 それできっと智乃のところにいっていたのだろう。いつでも優しく迎え入れてくれる、いつでも調子を合わせてくれる楽な方に。


 でも、自分でも分かっていた。

 自分をそむいているんだと。自分を隠しているんだと。

 それが智乃に言われたことで。


 「でも、コレだけは言いたい」


 「……いいよ」


 「本当は二年前から君のことが好きだった」


 本当に言いたいのはコレではない。

 好きなのは後でいいんだよ。

 今は違う。

 今伝えなきゃいけないのは


 ――嘘を吐かず、吐いた嘘を消す事


 だ。


 「嘘しか吐かなくて本当の感情になれていない俺はそれを隠して、変換して、君に迷惑をかけて。それでもそれが心地よかったんだ。いつも俺に微笑みかけてきてくれて、いつも俺の隣にいてくれて。それが本当はとてもうれしかったんだけど、それを『うざい』っていう感情で否定して」


 これは……告白だ。

 嘘の、告白だ。

 俺は嘘を、告白するんだ。


 「でも本当は好きだったんだよ! 君のことが好きで好きで、自分を否定したくなるほどに好きだったんだよ!」


 「……ちょっと、嬉しい、かな……?」


 照れるように笑ってくれる雪の顔はいつかに類似し、純心な笑顔になりきれていない。

 こうしたのは、俺だ。

 この顔も、笑った顔も、怒った顔も、不思議そうな顔も。

 全部俺のもので、俺だけが雪に与えられる顔だ。


 だから。


 「だから」


 決めるんだ、月汰!

 否定するな、俺の心を受け入れろ!


 「だから好きだ! 付き合ってください!」


 俺は屋上で恥ずかしげもなく、叫んだ。

 少しすると、雪の小さく笑ったような声が聞こえ。

 そして。


 「はい。私も好きです。付き合ってくださいっ」


 嬉しそうに弾んだ、告白が聞こえた。

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嘘で告白してみたけどめちゃくちゃ可愛い件について 朝田アーサー @shimoda192

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