第17話 タシェスト(前編)

 馬車に乗ってしばらくのち、初めてお会いしたセルジオ殿下に失礼しかしていないことに今更気がついて真っ青になった。許されるならば、このまま消えてしまいたいほど恥ずかしい。

「ルティ。不貞腐れるんじゃないわ」

 王宮から帰る途中で、姉は顔を険しくして怒り、私は恥ずかしさから蹲り、弟は外の景色を眺めたまま、表情はわからない。姉に何も言い返す事のない弟の背中はなんだか怒っているようだった。

 弟が怒る理由は、一つしかない。

「ごめんなさい、ルティ」

 私は謝罪の言葉を弟の背中に投げかけた。姉は私の肩に顎を乗っけると、どうしてリーゼが謝るの?と耳元で問いかけた。モンテリオール家特注の中が広めの馬車とは言え、3人で座っているためスペースに余裕はなかった。耳元がくすぐったくても体がよじれそうになるのをかろうじて堪える。

「殿下がルティの前髪を掴んだ時、きっとルティには考えがあって固まっていたんだと、今になって気がついたわ。私が出しゃばるのはいけなかった……」

 私は自分の浅はかさに頭を抱えてさらに体を縮こまらせた。

「え、違うわよ?ルティはリーゼに怒ってなどいないわ。それに、ルティが意気地なしだから代わりにリーゼが庇ってあげたのでは?まったく、剣術を習っているというのに何故とっさに王子をかわすということができなかったの?学園に通っていないリーゼに庇われるなんて、情けないにも程がありますわ!」

 姉は徐々にヒートアップしていって、最終的に私の膝の上に両手を置いて、弟にどんどん身を乗り出していった。私はなんとか姉を宥める。

「姉様、その辺に……」

「それに、王子も王子だと思いましたわ。モンテリオール家は代々伝わる由緒正しい侯爵家なのだから、少しくらい配慮をする必要があるのでは。なんです?あの自分の意見が通らなかった時の行動。さらに、自分の城も把握してないとは。本当にあり得ない」

「ラジミィア。よしなさい」

 父が有無を言わさぬ圧力を乗せて、姉をたしなめると、渋々黙り込んだもののまだ何か言いたげな表情で目を瞑っていた。

「リリアーゼ。私がいない間に一体何が起こったんだい?」

 父は私の目を見てゆっくりと問いかけたが、すぐ視線を外して私の背後の壁を見つめた。昔はそのような細かい事に一々傷ついていたが、今ではサラリと流せるようになった。

「植物園に3人で行こうとしたところへ、セルジオ殿下がお通りなさって……」

 状況を説明するのに夢中になって、またしても外の景色を見ることはできなかったが、今度は気分が悪くなる事はなく王都の屋敷へ戻ることができた。

 タシェストは明後日。明日は休息日だ。タシェストに向けてゆっくり休まなければ。

 ウトウトしだした目を必死に開けながら、私は王都の屋敷で夕食を食べたのだった。





 タシェストが行われるのは、王宮にある聖ナティア教会だ。古の神殿造りを守り続け、修復を繰り返し、タージアン王国が建国した時からずっと変わらない姿を保ち続けているという、世界でも有数の歴史ある建造物だ。

 壁画の精巧さ、唯一神と精霊の像の美しさ、そして古より受け継がれし修復術。ヨハンが熱く語っていたことを思い出す。ヨハンは私に神殿の本を渡して、『でも、どんなに綺麗な挿絵でもあの美しさは目で直接見るのと比べては劣ってしまう』と堂々と言い切っていた。屋敷から外に出られない私は、ヨハンの言葉にムッとしつつ挿絵を眺めては神殿に思いを馳せたのだった。

 目の前に実物がある。

「一生見られないと思ってた」

 今、実物を前にして私はその神秘的な空気に圧倒されていた。

「綺麗ですわね」

 姉も初めて来たと言って、私に笑いかける。

「世界にはもっと美しいものがたくさんあるのよ」

 私は正直に言って、一昨日の王城と今日の聖ナディア教会で心がいっぱいだった。これ以上に美しいものが世界に一体いくつあるというのだろう。

 いや、比べてはいけないのかもしれない。世界で1番美しいものは、ちっぽけな私ごときが決めていいことではない。第一に王城と庭師の青年が作る屋敷の庭がどちらが尊いかなんて比べることができない。

「正直にいうと、一昨日の王城や今日の教会で今の私の心は美しいもので飽和状態なの」

「どういうこと?」

「胸がいっぱいで……あ、これはおそらくタシェストのこともあるけれど……私もう世界の美しいものを全部見た気持ちになってしまって」

「もったいないわね。そうだ!いつか世界中を旅行しましょう!綺麗で美しいものはそこら中に散らばっているのよ?ほら、例えば私とか」

 姉がおどけたように自分を指差すと、私は少し可笑しい気持ちになった。緊張で頬が強張っているため、うまく笑えないのが申し訳ない。

「そうですね」

「僕もリーゼ姉さんにはもっといろんなところに連れて行ってあげたい」

 弟が真っ直ぐな瞳で私を射抜く。光が灯った緑の瞳に私はまだ違和感を隠せない。



 一昨日、屋敷に着くや否や、『髪を切る』と言って私達を驚かせた。『気が変わらないうちに』と父は直ちに王都で1番腕の立つ髪結いを手配し、姉と私は目を丸くした。皆が見守る中、どことなくやりづらそうな髪結いは弟の真っ直ぐに伸びた前髪に鋏を入れた。

「前髪を切るだけで、こんなに変わるのならもっと早くに切ればよかったのに」

 姉は弟を横目に見ていた。

「とても綺麗」

 私が心のままにそういうと、弟はブワッと顔を赤くして「それは男にいう言葉じゃない!」と言ってそっぽを向いた。

「でもこの顔じゃ学園の皆が騒ぎ立てるわね。特に貴族の令嬢……婚約のお手伝いなんて、私は全てお断りいたしますわよ。自分でなんとかしてね」

「当然だ。ラミィ姉さんから牽制しておいてくれ」

「ほんと、こういうのが1番面倒よね……」

 姉と弟がしみじみと話している最中、私はふとマリアのことを思いだした。ひとつめの夜を過ごした時は5つ夜を数えるって、果てしなく長い道のりだと思ったけれど、今思えばあっという間だった。

 しかし、濃密な経験をした今でも屋敷に帰りたい気持ちは変わらない。父やきょうだいが付いていても、やっぱり無条件で安心できるマリアのいない日々は堪える。




「頑張らなくては」

 白いドレスの胸元をギュッと握る。

「お前達、あまり肩肘を張るんじゃないぞ」

 父が心配そうに、それでも微笑ましいものを見るような顔で私達を見下ろしていた。

「ここからは私は付いていけない。だが、モンテリオールの血を継ぐお前達なら、きっと神も喜んで受け入れてくださるだろう」

 父は右手で姉の頭を、左手で弟の頭を撫でた。私はいつも姉と弟の真ん中にいるから、父に頭を撫でてもらうことはない。でも、その代わりに姉と弟が私の髪をそっと撫でてくれる。私はそれで十分だった。

「さぁ、行って来なさい」




「人払いが行われているから、安心して目を開けて行くがいい」

 父は私にそう言うと、くるりと踵を返して歩いて行った。父の背中が小さくなる度に不安が募るようだった。

 やっぱり、私が目を瞑っていた理由を父は知っていたんだ。知っていて、黙っていたのだ。私は何故か寂しく感じて、目を瞑っていないのに姉と弟の手を握った。

 よく磨かれた床は天井の見事な彫刻を反射していた。コツンコツンと3人分の足音が響く。私達のほかに誰もいなかった。

「この道をまっすぐよね」

 私とお揃いの白い膝丈のドレスを身に纏った姉は、少し不安そうに私達を振り返った。弟も白いタキシードを着ている。タシェストでは純潔、誠実を表す白を身に付けるのが決まりであるらしい。姉と弟は肌が白いので、肌と衣が透けているように感じる。

 扉は教会を真っ直ぐに進んだ奥にあった。重そうな扉で、金の取っ手は少し錆びていた。壁や床とは違いその扉だけ木でできていたので、ところどころ傷ができていたがそれはそれで年月の重さを感じられる。

「僕が開ける」

「開けれなかったら言ってね。また一昨日みたいに私が身体強化を使うから」

 一昨日は常に姉とともにいたけれど、姉が身体強化を使った記憶はない。私は少し首を傾げているうちに、弟はいともたやすく扉を開けた。ギギギと予想外に大きな音に、私は思わず声を上げた。

 そこは小さな部屋で、中には幾重にも重なった神衣を着ている男と、その背後に重そうにメガネをかけたしかめ面の男がいた。

「驚かせてしまったね。この扉は侵入者を知らせるためにとりわけ大きな音が鳴るような仕掛けになっているのだよ。しかし、君達は神に招かれているのだから、心配しなくてよろしい。さ、こちらへ来なさい。モンテリオール天使達よ」

 豪華な神衣を着ていた人は、優しい目をした白髪で顔中に深い皺が刻まれていた。この人がこの聖ナディア協会の最高司祭であるのだろう。司祭はふと床を指差すと、音もなく三脚の見事な椅子が現れた。

「無詠唱」

 姉が思わず呟いたが、司祭はニコリと笑っただけで何も咎めなかった。一方で、司祭の後ろに立つ男は眉をひそめて不機嫌そうだ。ゴテゴテと装飾がついた重そうなメガネを取れば幾分楽になるのに、と思いながら、促されるまま椅子に座る。真ん中に姉、その左右に私と弟が座る。

「タシェストを行う前に少し話をしようかね。きっと、君らはこの儀について、何も聞かされてはいないだろうからな。しかし、これは当然のことなのだ」

 言葉を途切れさせ、少し間を置く。あたりはしんと静まり返っている。私も、きっと姉と弟も司祭の一言一句を聴き漏らさぬよう、耳を澄ましていた。

「タシェストは、成人へと変化の兆しを見せる者を導くための儀式であるのだ。成人の儀は18に行われるが、それとの違いは子どもである自分を見つめ直すという意味が含まれているかどうかだ。タシェストを機にそなたらは成人へと変わって行くのだ。そしてそれは、内なる未熟と向き合うことでもある。そなたらは、神を慕っておるか?」

「はい」

 私達が声を揃えて答えると、さすが三つ子だなと司祭は笑った。

「これを見てみよ」

 司祭は左に避けて、背後のステンドグラスに目線を上げた。立派なステンドグラスは柔らかに光を反射して、とても綺麗だった。

「この青年は、若き日のタージアン神を示している。彼は民の声を聞き、孤独を抱えながら自ら命を賭して精霊王の聖域に足を踏み入れなさった。その勇気ある行動と、彼の誠実さに心を打たれた精霊王は、彼に魔法という特別な力を授ける。彼はその礼を尽くし、精霊王に一生を捧げ、民が精霊を傷つけずまた彼らが我々を貶めぬよう不可侵の誓いを立て我らの王国を作りなさったのだ。タージアン神の右上にいる方が精霊王だ。火、風、水、土、闇の精霊王はタージアン神と手を取り合って今も民を守っているのだ」

 私は司祭の言葉を聞きながらも、ステンドグラスに描かれているタージアンと精霊王に釘付けになった。

 ステンドグラスのタージアンは王族特有の銀色の髪に金色の目、そして精悍な顔立ちをしている。そして、優しいそうな眼差しで精霊王に手を差し伸べていた。その手を取る精霊王も同じく銀色の髪と金色の目。

 もしかすると、タージアンは人間でありながらも精霊の仲間だったのかもしれないな、とぼんやりと考えた。

「そなたらは、私の祝詞を聴きながら神に祈りを捧げなさい。ハデス、彼らに聖水を」

 後ろに控えていた青年ーーハデスは隅の方に置いてあった大きな壺の中に入っていた液体を酌で掬うと、その酌を捧げ持って司祭に手渡した。司祭は酌からガラスのゴブレットに黄金色の液体を移した。

「ちょっとそなたらには喉が焼けるように感じるかもしれないが、毒ではない。これはネツという柑橘類を用いた酒のようなものだ。一口ずつ含むと良い」

 司祭から手渡されたゴブレットを両手で持つと、そっと口をつける。たしかに一口含んだ途端に口や喉が焼けるように感じたが、それは一瞬だった。後からフルーティな甘さと爽やかさが広がり、身体が火照ってくる。

 ふわふわとした意識の中、姉にゴブレットを手渡し、最後に弟が聖水を飲むと、司祭がゴブレットをとった。

「神に祈りを」

 両手を組んで目を瞑って仕舞えば、自分が意識を失っているのか、いないのかさえわからなくなってしまった。

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禁じられた青と精霊王 風都 @futu

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