想いを、口にして

「前から思ってたけど、それ誰なんだ?」


 八月に突入した部活で、僕の絵を見て田園が聞いてきた。

 僕のキャンバスにはぶれいくたいむを背景に睡蓮さんが座っている図が描かれていた。だいたいの線と色は終わったのでこれから仕上げとして陰影や濃淡を入れていくつもりだ。


「んー……友達?」


「なんだよその悩んだ間は。怪しいなあ……」


 ジロジロと見てくる田園を避けるように僕はキャンバスへと向かい合った。

 ……だけど、うーん、僕と睡蓮さんの関係って結局のところどういうものなんだろうか。

 まあ恋人同士というのは排除できる。あの人本当になんとも思ってないからなあ。でも友達というとなんだか腑に落ちない。店主と常連客というのは紛れもない事実なんだけど。

 結局のところ、個人の主観になっちゃうよね。

 もしかしたら向こうの認識によっちゃ僕が無理やり近づいてきてしかたなく対応してやっている、なんてこともあるかもしれないし。


「珍しいよな、人物を入れた絵描くなんて」


「そう?」


「ああ、いつも風景画とか静物画じゃん。しかもすごい美人だし。……まさか想像上の人物?」


「違うよ! しっかり実在してるから!」


「ふうん……」


 田園は考え込むようにしばらく黙っていたが、やがて思い至ったように僕にポンと手を置いてきた。


「悔いはないようにしろよ。男なら当たって砕けろだ」


「はい?」


 それを問いただしてみる間もなく、田園は自分の絵へと着手し始めた。

 ……意味はだいたい、わかっちゃったけど。


 △


 次の日。

 僕はもう習慣と化した手馴れた動きで喫茶店、ぶれいくたいむの門扉をくぐった。


「いらっしゃいませ、伊月さん」


 いつも通りの声で睡蓮さんが出迎えてくれた。

 今日もおまかせの飲み物を注文し、カウンターへ座る。今日はお客さんが女の人が二人いた。テーブルの相席だ。おそらく同僚かなにかだろう。

 睡蓮さんが飲み物を作ってくれているあいだ、僕は肩肘をついてボーッとしていた。程よい静寂にセミの鳴き声が心地いい。

 もうここには何回目の来店になるんだろうか。数えるのを忘れてしまった。けど僕がここに来た中で同じ顔は二度も見なかったから、常連は僕くらいらしい。それが誇らしかったけど、もうそろそろ睡蓮さんとは深い仲になっておきたいところだ。……本当、通うようになった動機が汚いよなあ。

 なんて自嘲していると、作り終わった睡蓮さんが冷えたグラスを置いてくれた。その白く濁った色からして、ミルクティーであることが伺えた。


「今日は甘いものが欲しいかと思いまして」


「ありがとうございます」


 まあ、何が出てきても飲み干すんですけどね。

 刺さっているストローからミルクティーをちゅーちゅー吸って飲んだ。うん、やっぱりそこらの自販機で売ってるのとはわけが違う。牛乳のまろやかさを感じることができていながらも、それに潰されず口内に広がるのは紅茶の風味。そして砂糖の甘さがその二つと絶妙なまでのハーモニーを奏で、このミルクティーが最高傑作であることを示していた。

 僕は黙ってゆっくりちびちびとそれを飲んでいた。

 それは少しでも睡蓮さんと一緒にいたかったからだ。

 ……だって、今日がここに来る最後の日になるかもしれないのだから。


 △


 ズズズ……とストローがもう吸える液体がないことを合図するように鳴った。

 夕焼けのオレンジの色が優しくぶれいくたいむの中を染めていた。

 いつの間にか、お客さんは僕一人となっていた。

 好きな人と二人きりになった室内で、僕は静かに立ち上がった。飲み物がなくなった今、もうこのまま留まっている口実はない。そのままレジへ向かい、会計を済ませる。


「ありがとうございました。また来てくださいね」


 そんな声に背中を押されて出口に手を掛けた。

 だけど今日は決めていた。

 当たって砕けろという友人のアドバイスを心の中で反芻して、僕はその場で振り返った。


「どうかしましたか?」


「睡蓮さん。お話があります」


 その言葉にも、睡蓮さんは優しい笑みを浮かべてこちらを見ていた。初めて会った時と同じように。

 彼女の頬が若干赤く見えたのは、たぶん夕焼けのイタズラだろう。

 僕は躊躇いを振り切り、口を開いて声を発した。


「睡蓮さん。僕はあなたと――」


 それを聞いた睡蓮さんは、心底嬉しそうにうふふ、と笑った。

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夏、貴方の淹れる茶を味わいつつ 貴乃 翔 @pk-tk

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