第六章 裏切りの魔法使いの章

第32話 たましいの拡張と上書きの書の終わりの場所

 結末だけ簡素に書けば、人間側の勝利に終わった。――のだと思う。

 オブリュッドは在位三百年という長い魔王人生に終止符を打ち、また永遠とも思われる人生の繰り返死かえしを終えたのだろう。四天王イリスも戦いの中でち、フィリもそれは同様だった。

 マリア、ドノヴァ、ドレス三人は無事に魔王城から帰還したのだろう。

 実のところは、何も知らない。私は、もはや何も感じることができない。だから願うのだ。彼ら彼女らについて。

 幸せに生きている。そう切に願った。

 私の人生もここで、ようやくようやく幕切れだった。しかし、幕切れの間際、会えてよかった。ただ後悔があったのだ。運命への裏切りだ。それが運命かどうかは分からなかったが、おそらくそうだったのだろう。運命とはそういうものだ。目には見えない。しかし、確かにあるのだ。そして私は選択しなかった。運命を裏切った。いや、彼女を裏切った。そしてあの男も裏切ってしまった。そして、あの幼い子供をも裏切った。都合三人の人間を裏切った。私は最悪の人間だったと思う。

 時の遥か昔、私と彼女は出会った。

 彼女の名前はドレスと言った。聡明そうめいな魔法使いだった。驚くほど、幅広い知識を持ち、特にグオチージンに詳しかった。彼女から、私は多くのことを学んだ。彼女は未来に行く方法を探していた。私も一緒にそれを探したが、ついぞ見つけられなかった。ただ一つ、ただ一つだけを除いて。彼女は、己の肉体を封印したのだ。冷たい冷たい雪山の中、精霊の住まう山と言われる、イゲル。その山よりもなお険しい、吹雪の山、タバラディア。その頂上、標高七千メートル頂上で彼女は自らを封印した。肉体を凍らせ、生命の活動を停止し、来るべき六百年の未来に、その封印を解くように彼女は魔法を施した。私もそれを手伝った。私は彼女と一緒に六百年後の未来へ行く、という選択もあった。しかし怖くてできなかった。彼女の計算は完璧で理論的には不可能でないように思えた。だが不測の事態は常にあるし、六百年という時間、本当に人間がそれに耐えられるか分からなかった。私はだから彼女と一緒に封印はされなかった。彼女は私を巻き込むつもりはなかったが、それでも私は自責の念に駆られていた。それが運命への裏切りの一つ目だった。

 そして、六十年余りが過ぎた。私は老いた。自分の人生の幕引きをひしひしと感じていた。死神がそっと私の手を引いているような気がした。嫌だった。死は怖かった。私は臆病な人間だった。しかしどうしようもなかった。

 だが、不意に思い出した。彼女、ドレスが残した研究の中に、魂の融合について書かれた研究書があったはずだ。彼女は一度魂を離脱と融合によって、六百年を生き永らえさせる方法を模索したのだ。彼女の書籍や手記は全て保管してあった。それを全て総ざらいに確認する。何度も確認したはずの作業を、もう一度行う。痛感させられる彼女の非凡さ。何故私は彼女と共に氷の中に居ないのだ? そんな後悔の念だけが押し寄せる。しかし、今更どうしようもない。今更彼女と同じように肉体を凍らせても、年老いた体で耐えられるとは思えなかった。

私は彼女が断念した研究を引き継ぎ、魔法を完成させた。それが【たましいの拡張と上書き】の魔法だった。数年の歳月の後、己の肉体を捨てた。赤の他人の魂を殺し、その肉体に己の魂を宿した。そして生き長らえた。私は死が近づくたびに何度も何度も体を捨て生き長らえた。時には動物の体に依ったこともあった。何度も何度も生き長らえているうち、一人の男と出会う。その時私は老人の恰好をしていた。

 その男は私に向かって、もうよしなさい、と言った。

 初対面にもかかわらず、意味の分からないことを言うものだと、私は思った。

「お主、常に死神が纏わりついているぞ」

 彼は言った。

「何?」

「もう死んだ人間だろう? 何をそんなに生に執着する?」

 彼は私の正体を見抜いていたのだ。それがワンだった。

 ワンには物事の本質を見抜く類まれなる才能が有り、そして占いに長け武術にも長けていた。

 私は彼に恐怖を抱いたが、同時に興味をも抱いた。そしてそこで、またある人物と出会う。勇者だった。勇者カピンプスの父、勇者ピエルトッダだ。ピエルトッダは陽気な男だった。彼はとても魅力的な男だった。いつしか我々三人は、仲間となり、共に魔王討伐の旅をした。

 しかし、旅の途中、私とワンは彼を裏切った。旅を途中でやめたのだ。

 簡単に言えば臆病風に吹かれた。

 私は既に死んでもおかしくない人間なのに、未だに生に固執こしつしていたようだった。

「俺独りでいいさ、今までだってそうだった。だから心配するな。ワンは道場を開くんだろう? 魔王を倒すだけが人間の平和じゃない。孤児を助けることも大切だ。俺にはそんな事は出来ない。俺は魔王を倒す、そして魔王の首を手土産に、お前らのところに来るよ」

 彼は言った。我々の裏切りを裏切りとは考えていないようだった。

 私はまた裏切ったのだ。ワンが旅を辞めたのはあくまで孤児のためで、保身ではない。私の目から見てもそう見えた。たとえワンが自責の念を感じていたとしても、彼は立派な人間だ。では、私は? 私はただ保身、自己の身を案じたがため、裏切った。それだけだった。ワンのような立派な志や責務はなかった。私は本当に、純粋にピエルトッダを裏切ったのだ。

 そして、時が流れ、勇者ピエルトッダの死を知った。私は泣いた。私はなぜ生きている! ドレスを見捨て、ピエルトッダをも見捨てた!

 更に、私は、私はあの幼い少年までも見捨てることとなる。

 少年の名前はタオと言った。私の裏切りの三つ目は、幼き少年を見捨てたことだった。



 私の名前はアンガニー。幾度とない【たましいの拡張と上書き】の中で、その魔法を研磨していった。そしてついに物に魂を拡張することに成功した。

 私の最後の依代よりしろは、禁書<たましいの拡張と上書き>だった。タオに渡した本の中、そこへ私はたましいを拡張させ上書きさせた。私はタオと共にあった。私はタオの仲間が死ぬ場面を幾度となく見てきた。そしてタオが、マリアへとたましいの拡張と上書きをする場面も見ていた。だが大きな心の揺れはなく、淡々として悲哀の感情をもってそれを見届けた。それからはマリアが『私』を持ってくれた。私はマリアの側に居た。タオの死を見届けたならすぐさま消滅するつもりだった。でもなぜかできなかった。魔王とマリアの戦いを見守っていた。

 するとどうだろうか。私は再びドレスに会ったのだ。

 私は感涙に打たれた。感激に打ち震えた。

 ドレス、ドレス、ドレス……会いたかった! よかった!

 そして、私は戦いを見届けた。魔王オブリュッド、四天王イリス、そしてフィリ。マリア、ドレス、ドノヴァ。壮絶な六人の戦い、無論マリアの中に居る彼らを含めれば十人。その十人の戦いを見守っていた。

 そして勝利した。おそらくはそうであろう。私はようやく満たされた。運命の裏切りが報われた気がした。そうだ、報われたのだ。私は、私は満足した。よかった、よかった、切にそう思った。

「そこに居たのね、六百年ぶりかしら、シュリタケイン・アンガニー」

 あるいは幻聴だろうか。戦いを終えた、ドレスが私に優しく触れている。そんな気がした。だが、意識が混濁となり、感覚が消え去り、全てが終わろうとしていた。

 そこで私のたましいの旅は終わる。【たましいの拡張と上書き】の魔法が書かれた本は、独りでにぼろぼろと砕け散った。

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たましいと記憶の旅 古都旅人 @dthese

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