第31話 かつてあの時、あの場面

「これが全てだ」

 ドノヴァは全てを語り終える。静寂だけがあたりに漂っていた。

 誰も口を開かない。

「オブリよ、おれが殺してやるさ」

「殺す? 無駄だ、いくらそんな大層な武器を使おうとも、余は死なん」

 魔王は泰然たいぜんと言い放つ。だがどこか覇気はきがない。

「ドノヴァ……それは本当の話なの?」

 訊ねたのはイリスだった。

「本当だ」

 ドノヴァが答える。

「そうか、本当なのか。だとしても、だとしても、いや、だからこそ、ボクはお前に殺される訳にはいかない」

「だろうな、すまなかったよ相棒。そして待たせたな、相棒。決着をつけよう」

「いいだろう、魔王の力を見せてやろう」

 ドノヴァは剣を引き抜く。紫色の禍々まがまがしい剣。剣とも言えぬ、何かエネルギーの塊にしか見えない剣。

「待て!」

 静止の声はイリスだった。

「邪魔立てをするな、わかるだろう。あの剣は確かに尋常ならざる力を秘めている、お前ごとき消し飛ぶぞ」

 オブリがイリスに向け言い放つ。

「それは魔王様も同じことでは?」

 イリスは魔王におくすることなく、言い放つ。

「余は死なん。だから下がれ。ボク、一人で十分だ」

 魔王は言った。どこか寂しげに。

「大した余裕ね、私達もいるのよ」

「そして、私もね」

 マリア、ドレスも杖を構える。

「だが、私も居る。そこにフィリもいる、魔王様、これで三対三です」

 イリスは二人からオブリをかばうようにずいと前に出た。

「イリス。下がっていろ。ボクひとりで十分」

「いいえ! 下がれません、魔王様!」

「下がれ!」

「魔王様! 下がれません!」

 イリスは頑なだった。

「ドノヴァ、私とフィリが相手よ。我らを倒さなければ、魔王様には指一本触させない」

 突如名前の出てきたフィリは困惑する。己はこの場で蚊帳かやの外のような存在なのに。

「無駄なことだ、いずれにせよ、この剣の藻屑もくずとなるだろう」

 ドノヴァは嗤う。

「殺せるかな、お前に我々が?」

「不思議なことを言う。この剣の前でいかなる魔物も、存在を消滅させる。殺せるさ、簡単に」

「それがかつて愛した人でもか?」

 そしてイリスはそう言った。

「何?」

 静寂が訪れる。

 その言葉に驚いているのは、ドノヴァだけではなかった。魔王さえも、息をのむ。

「ドノヴァ、二つの記憶があるといったわね」

「ああ、魔物の時の『オレ』と、人間のおれだ。魔物の『オレ』は既に死んだ」

「そしてドレス、あなたは、魔王様と同じ、もう一つの世界から来たということになる。では、マリア、あなたはどうなの? ドレス、あの僧侶マリアはあの世界の僧侶の生まれ変わりなの?」

「ええ、そういうことになるわね。生まれ変わりってわけではないけれど、代替存在っていうところかしら。僧侶だけではないわ。勇者も戦士も武闘家そうだった」

 答えたのはドレスだった。

「そう、そして勇者も戦士も盗賊も武闘家もすべて、僧侶、マリアの中にいる」

「ええ」

 マリアは頷く。イリスは続けて問う。

「だから、ドレス、あなたは思ったのでしょう? そろった、と」

「ええ、そうよ。あの時と同じね」

「しかし魔王城にドノヴァはいなかったはずよ」

「魔王城?」

 ドレスは驚きの目でイリスを見返した。

「どういうことだ? イリス……」

 それは魔王も同様だった。

「あの日、魔王城で対峙した日、ドノヴァは既に死んでいた。そこへ乗り込んでくる勇者一行。当時の……その世界の魔王アイリスにその側近の二人が、勇者たちと戦う……あの日、あの場所、魔王城での出来事」

「どういう意味よ! 何故それを知っているの?」

 ドレスは叫ぶ。遥か遠い過去の話、いや、違う次元の今の話だ。魔王とドレス以外は知らないはずだった。ならば魔王から聞いたというのか?

「二つの記憶、それは私にも有る。私はあの世界では……私こそが魔王だった」

「馬鹿な!」

 次に叫んだのは魔王だ。それはつまり、魔王オブリュッドはイリスに過去を教えてないという事を意味している。

「私の名前はイリス、しかし、私はその世界ではアイリスだった」

「まさか、いや、そんな……! お前がアイリスだと、いうのか?」

 すかさず反応したのは魔王オブリュッドだった。

「魔王様、……いいやかつての側近その二、オブリよ……。久しいな。何故気づかなかった、余は哀しいぞ」

 イリスは、不敵な笑みを浮かべ、魔王オブリュッドに言う。いや、イリスこそが真実魔王であるかのような風貌ふうぼうと威圧感を兼ね備え、そこに泰然たいぜんと立っていた。

「……馬鹿な」

 オブリがうめく。ドレス、ドノヴァは驚愕の目でイリスを見つめた。

「それが真実よ」

 イリスは言う。

「さらに言えばね、現魔王様、この子がソヨンよ。オブリとソヨンは結婚する話もなくはなかったわよね」

 イリスはフィリを指さし、にっこり笑う。

「え……? は……?」

 フィリは困惑した。何の話か全然理解が追い付かない。話を総合すると、己は別次元で目の前の魔王と婚約者だった? この私がか? 意味が解らなかった。

「いやいや、イリス様、いきなり何のことかわからないんですけど」

「わからなくとも、私が保証するわ。あなたはソヨン。あの世界のソヨン。たましいが同じだもの」

「たましい?」

 その言葉にドレスが反応する。

「ええ、たましい。貴女はたましいが見えるんだったわね。私もよ、アーキュラス・アラ・ドレス。貴女のたましいも見えているわ。かつて? それとも今? 別世界で私は千里眼の水晶玉という魔王にしか使えない魔法具を使っていた。私は……今もそれを持っている。ドノヴァ、あなたと同じように、私には前世の記憶があり、使い方も、その在処も知っていたから」

 イリスはドノヴァを睨み付け、言った。

 沈黙が降り立った。胸に積もる想いは様々だ。

 マリアやフィリは困惑と混迷の中に居た。魔王の記憶の話やドノヴァの記憶の話は突飛すぎて、理解がなかなか追いつかない。

 オブリは今、その感情を説明できない。驚愕きょうがくはある。困惑もある。そして、途方もない徒労感。いや脱力感? あれだけ探し求めていたアイリスやソヨン、その二人がイリスとフィリ?

 ドノヴァもどうすればいいかわからなかった。アイリス? 眼前の四天王が、美しい魔王アイリスだと? しかし、己も人間だ。魔物の記憶を持つ人間。どうすればいいのか、あれは本当に魔王アイリスなのか?

 ドレスは……喜びを心の中に打ち立てた。復讐の相手が目の前に居るのだ。フィリやイリスが仮にあの世界での魔王やその側近でなくとも……構わない。ともかく復讐を果たすだけだ。

「ようするに、全員そろったのね! まさしく!」

 ドレスは嬉しそうに叫んだ。

「ドノヴァ、アレらがかつての仲間としても、お前はスライムを殺すのでしょう?」

 ドレスはドノヴァに問いかける。

「ああ、そうだ、おれは……オブリ、お前を殺す。呪いの鎖から解き放つ」

 ドノヴァの心はまだ混乱していたが、それでもオブリを殺すのは確定事項だ。

「ドノヴァ……何故そうなる。解放だ? 解き放つ? 身勝手な男だ、何故その力を魔族のために使おうと思わん?」

 問うたのはオブリではなく、イリスだった。イリスは魔王オブリの前に、立ち塞がる。それから厳かな口調で詰問したのだった。

「思わんな、終わらせるさ。オブリ、最期の勝負だ」

 ドノヴァは静かに言った。

「させん、私とこのフィリを殺すまで、魔王様には指一本触れさせない」

 イリスは引かない。

「ならお前らを殺すまでだ」

「愛した女をか?」

 イリスは問うた。

「だとしてもだ、もはやおれは人間なんだ」

 声たかだかにドノヴァはイリスを射抜く。二人の視線が交差する。

「そうかな? お前は前の世界の因果に囚われているのだろう? だからオブリを殺すのだろう? 私もそうだ、だから、だからこそ、私は引かん! 私との愛は……偽りだったのか? ドノヴァよ!」

 イリスが憤然ふんぜんと言った。

「決意は固いさ、おれの決意は固い」

「……お前だけは許さない、ドノヴァ、裏切者! お前だけは。お前だけは、あの時あの場所にいなかったそうだろう? あの時お前はいなかった。既に死んでいたのだろう? あの時、お前があそこに居れば、また違う、違う未来があったやも知れぬのに!」

 怒声だった。イリスはありったけの声量でドノヴァをにらみ付ける。

御託ごたくはいいわ、もういいわ、終わらせましょう。私には前の世界の記憶なんてないもの。そこの女にそんなこと言われてもピンとこないし。さっさと終わらせましょう。私は魔王を殺すだけよ」

 イリスの叫びに答えたのは、マリアだった。

「そういうことよ」

 ドレスもマリアの言葉に呼応こおうする。

「イリス様、私が前の世界の魔王と婚約者だなんて、全然わけわからないです。私にはあなたやあの人間のように、二つの記憶があるわけでもないです。……だから、倒しましょう、あの人間たちを、私も微弱ながらお手伝いいたします」

 フィリもそう言った。

「そういうことだ、最終決戦始めるぞ。勝つのは我々魔物だ、あの時のようにいかん。もう過去にも戻らせん」

 魔王オブリュッドが言った。

 それでもイリスは頑なだった。イリスは泣いていた。涙を流していた。

「何故……ドノヴァよ! よく聞け! あの時な既に、お前の子が私の中に宿っていたのだ! 何故死んだ! 何故人間どもに殺された! お前は、何故、今その女の側にいる! 私の側に居ないのだ! 四人で幸せな人生が、その女さえいなければ、ずっと幸せに暮らせたと思わないのか!」

 そしてそう叫んだ。

「何……」

 ドノヴァは茫然ぼうぜんとした。

「聞くな、ドノヴァ。惑わされるな! 私たちは魔物を滅ぼす、ただそれだけでしょう」

 ドレスがドノヴァをいさめる。

「もういい、イリス。説得など無意味、勝つのは我々」

 オブリュッドもイリスにそう告げた。

「黙らないわ、魔王様、……いいえ側近その二! あなたは魔王だけれども、あなたにとって私こそが魔王だったでしょう? ドノヴァ、お前は私を愛していただろう! 今、それを証明しなさい、その女を殺し、こちらへ来るの。お前が私を愛していたなら」

「世界は変わった……それに『オレ』はもう死んだ!」

 ドノヴァは叫んだ。

「世界が変わった? その世界を変えたのは誰だ? お前の隣にいる女だろう! 何故そんな女を取る! その女さえいなければ、私もソヨンもオブリも! 皆幸せに……――」

 イリスが叫ぶ、だがその先は続かない。

 鞘からその剣、精霊の剣は引き抜かれていた。そしてドノヴァは大声で咆哮をほとばしらせる。その咆哮にはいかなる感情が込めれれているのか……もはや、ドノヴァには分からなかった。無心で、いや、心を無にするためがゆえの咆哮だった。振られた剣はイリスを貫いていた。紫色の光が、巨体と堅牢な体を射抜く。崩れ落ちるイリス。

 イリス……! オブリはそう叫んだ。そして魔法詠唱に入る。

 イリス様! フィリもそう叫び、斧を構える。

 ドレスも魔法の詠唱にはいった。

 マリアも呪われた杖を掲げた。彼女の中にいる『彼ら』も、最大限にマリアを助力する。

(行きますよマリア!)

 心の中でタオが、マリアに語り掛ける。カピンプスもアブジもガロも、皆マリアに助力をする。

 イリスは貫かれながらも、ドノヴァの体をつかんだ。つかみながら憎悪をドノヴァに向けていた。

 最終決戦が、今始まる――



 何故だろう。彼は思う。

 目の前で小さな体が倒れ込む。紫色の光が巨体を蝕んでいた。フィリ。ソヨン。アイリス。イリス。

 又だ。同じだ。己がスライムとして何度も人生を繰り返していたあの時と同じだ。己の世界が守れない。己は、無力だ。魔王になったのに、皆死んでいく。

 紫の刀身がこちらへ延びる。それに触れた。体中に走灼熱の痛み。消える。己の魂が消える。そんな感覚があった。ああ、終わる。もう繰り返さない。そんな感覚があった。

 自分は消えていくのだ。長い人生だった。百何十も人生をやり直し、そこから六百年さかのぼって、また人生のやり直しが始まった。もはや数えていないが、通算三百ほど人生を、一千二百年もの人生を辿ってきたのだ。その長き人生が、終わりなき人生が、哀しき人生が幕を閉じるのだ。

 紫の光が煌めく。

 ドノヴァ、お前は……お前は、……。ボクはお前を、許さない。許さ――

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