世界に意味なんてない

@K_aikawa

第1話

 彼女は一言だけ呟いた。

 いや、この場合は『呻いた』と表現するべきだろうか。

 ……それも違うな。呻きですらない。


 ただの『音』だ。

 声帯が鳴ろうとして、喉の肉を絞る音だ。粘ついた、気色の悪い音だ。


「うん、そうだね」


 その『音』に、僕は返事をする。すると彼女は、もう一度『音』を出した。


「うん、そうだね」


 だから僕は、もう一度、返事をした。


 今夜も、とても静かだ。

 経済活動をやめた世界の空は、闇と呼ぶに相応しい暗黒世界で、そこに輝く無数の光は「ただ在る」という現実を、否応なく押し付けてきた。

 世界は、超然としていて、偉大で、何の意味もなく、存在している。それは、何者に歪められることもない。


「人間なんて……無力な、肉の塊でしかなかったね」


 感傷に浸りながら呟くと、彼女は『音』で答えてくれた。

 だから僕は、もう一度「うん、そうだね」と返した。


 今、僕たちは二人きりだ。二人並んで――僕は、星を眺めている。

 彼女は何を見ているだろう? 顔を近づけて、その瞳をのぞき込む。

 栗色の瞳は乾いていた。そして瞳孔が少し動くと、彼女は歯をガチガチと鳴らした。どうやら、僕のことはちゃんと見えている様だ。

 虚しさと喜びを半分ずつ感じて、たまらず涙が零れた。

 原始の光が溢れる、ノスタルジックな夜だから、どうしても感傷的になってしまう。


 ……どうしよう。これから。


 水は尽きた。食料は尽きた。武器はもうない。走る気力もない。彼女に至っては頭から下が無くなった。


「でもまだ、君は生きてる」


 視線で抑えつけるくらい、じっと、彼女の生首を凝視した。

 血の抜けきったであろう、真っ白な顔が、まだ歯をガチガチと鳴らしていた。


 噛まれないように後ろから、そっと彼女を抱き上げた。

 砕けた頸椎が指の皮膚を破りそうになって、慌てて肉の部分に持ち変える。危うく感染するところだった。


「ほら、見えるかな?」


 彼女の、左右のこめかみ辺りを両手で持ちながら、空に向かって掲げた。

 星の光が意味もなく、彼女の顔を照らし出す。彼女はまだ歯をガチガチと鳴らしていた。

 そして、ゆっくりと、彼女を元の場所に戻した。すると、ようやく彼女は静かになって、何の意味もない世界が戻って来た。


 ……あの日、彼女は言った。死にたくない、と。

 僕たちは二人で誓い合った。どこまでも、ずっと一緒に生きていこうと。

 彼女はまだ生きている。そして今、二人で星空を見上げている。


 だからまだ、僕たちは生きていかないと、ダメなんだ。

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