あなたの忘れ物、お届けします
@Akane444
第1話 プロローグ 桜の木の下で
_あんた、名前は?
_名前?…あなたがつけていいですよ
_無いのか?
_あったんでしょうけど、私は知りません
_そうか。…じゃあ、あんたの名前は_
桜が綺麗な理由は、その下に死体が埋まっているからだそうだ。どこかの小説家がその作品の中でそんな設定を作って、それがそのまま迷信のようにひとり歩きしている。
確かにこの桜は綺麗だ。けれど、その桜は、彼女の端正な作りの顔を際立たせるだけのファクターでしかなかった。
彼女は桜の木の後ろに隠れて、訝しげにこちらをうかがっている。
歳は15,6くらいだろうか。肩まで届く桜色の髪と翡翠の瞳、近所の高校の制服を身に纏っている。
「…ご依頼でしょうか」
「たまたま通りがかっただけ、じゃないな。迷子だよ」
稀に、どこか遠くへ行きたくなってしまう。誰も知らないどこかへ、と思っていたのは高校までで、大学に入学してからはいまの環境から逃げ出したいだけなのだと気が付いた。
そんな時、よくこの神社へ足をはこんだ。
境内は廃れていて、人間の手によって管理されている様子はなかった。それどころか、少なくともこの神社に俺以外の人間がいるのを見たことがない。だから、何も考えたくない時はここへ来た。
そんな神社にも神木があった。巨大な桜の木だ。背は俺なんか比べ物にならないくらい高く、幹の太さはとても測りきれない。
今日はたまたま、それにもたれかかってしまったのだ。
瞬きをすると、桜の散る並木道にいた。後ろにはあの桜の神木があるだけで、何もない。
眠ってしまったのか、どうせ夢の中だろうと思って奥へ奥へと進んだが、同じ景色がずっと続いているだけだった。
ずっと続いているのだ。いくら歩いても背後には常に神木があって、進んでいる気配はなかった。
進むのに疲れてしまって、その場にへたり込んでしまった。
そして、彼女を見つけたのだ。
「迷子、ですか?」
急に興味深そうに瞳を輝かせて、てとてと小走りに散った桜を舞い上げて近づいてくる彼女は、やはり年相応に幼く見える。
「私もずっと迷子なんです!おそろいですね!」
何が嬉しいのか、大げさにその場で万歳を繰り返している。
「ずっと?いつからここにいるんだ?」
「さぁ?知りませんけど、いつもここにいます」
「そうか」
夢はいつも曖昧だ。ふわふわとしていてはっきりしない。物事に理由を求めていない。
「ここ何もないだろ。出たいと思わないのか?」
「出口分かりませんし。…お手をどうぞ」
華奢な白い手が差し出される。思い切り握ると折れてしまいそうなほど頼りない。
「ん。ありがとう」
できるだけ力を入れずに握ってゆっくりと立ち上がる。
「でもここ、退屈はしませんよ」
「ずっと同じ景色だろ?」
「いいえ?」
物だけはたくさんありますよといって、彼女は桜の並木道の遠くを指差す。吹雪のように桜が舞っていて、その方向は良く見えないけれど、やはりそこには何もなかった。
「何もないぞ」
「…ここは、誰かが失ったものが集まる場所です。私は、それを取り戻しに来た人と、忘れ物を一緒に探す役割を担っています」
「失ったもの?忘れ物とか?」
「そういうものもあります。けれど、それだけじゃありません。忘れられたことすら忘れられてしまった、そういうものがほとんどです。そしてそれは、失ったものを探しに来た本人にしか見えません」
「…ああ。だから最初に依頼ですかって訊いたのか」
「そうです。ですけど、何も見えないのなら、あなたは何も無くしていないということです」
「そうか。ええと、じゃあ何でおれはここに来たんだ?」
「無意識に何かを探しに来たんじゃないんですか?」
「俺が返る方法は?」
「それなら分かりますよ。この桜に思い切り突っ込めば帰れると思います。少なくとも今までの依頼主はそうでした」
そう言って彼女は俺の背後の神木にペタペタと触る。
「…俺はここを夢の中だと思ってるんだ。もし俺が正気だったら木に突っ込めなんて言われても実行はしなかっただろうな」
ゆっくりと立ち上がって、神木へ歩き出す。
「ありがとう。じゃあな。忘れ物の探偵さん」
忘れ物の探偵さん、と失ったものたちがあるであろう場所を見つめて少し上の空になっている彼女を尻目に神木へ片足を突っ込んだ。
「あ、待ってください」
「ん」
「また、来てくださいね」
「…また、夢の中で」
優しく微笑む彼女は、夢の中の住人で。会えるかどうかなんて分からない。けれど、夢の中は心地が良かった。
「あなたが、私の_」
彼女の最後の言葉を聞くには少し、舞い散る桜が綺麗すぎた。
あなたの忘れ物、お届けします @Akane444
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