星降る夏のしるべ星

あけづき

星降る夏のしるべ星

 みんなかえっていく。おちる、まわる、めぐる。


 期待と願いは私の背中には重すぎるのに、ひとときの休みも許されない。


 星屑の中に飛び込むあなた。きっとそこでは、光の雨が降るのでしょう。


 ――その中になら、私も落ちて構わないでしょうか。


 ほんの一瞬、体を浮かせた。






 夏、夏だ。


 ぎらぎらと照りつける日差しに、私は手で目元に影を作りながら、高くそびえる入道雲をにらみつけた。周囲の木陰から蝉の声が立体的に襲いかかってきて、立っているだけでぐらぐらとゆだってしまいそうだ。


 我慢できなくて、肩に提げたクーラーボックスから棒アイスを引っ張り出して一口かじる。家族分のおやつのアイスを近くの商店におつかいに行って、おつりが余って余分に買ったアイスなのでこれはノーカウント、ご褒美のはず。


 私たち家族は、お盆に合わせて父の田舎に里帰りしていた。普段住んでいる街に比べれば、自然がある分いくらか涼しく感じるものの、地球温暖化と異常気象が叫ばれる昨今、暑いものは暑い。


 溶けるより先にアイスを噛み砕くと、シャクリ、と爽快な音がほんの少し蝉の声を遠ざけた。




 玄関前でつまみ食いの後を抹消して、引き戸に手をかけた瞬間に内側から勢いよく扉が開いた。


「すばる、アイス!」


「私はアイスじゃないっ」


 かみつくよう飛び出した、汗だくのよく似た顔――双子の弟のなゆたの前にクーラーボックスを突き出してやった。


「やりぃ、俺このチョコバー!」


「はいはい、じゃんけん敗者の私は余り物で十分ですよーだ」


 つまみ食いは内緒だ。


「それよりなゆた、本当に今夜行くつもりなの?」


 サンダルを脱ぎながら訊くと、なゆたは大袈裟に慌ててシーっと指を立てた。


「父さんにも母さんにも、伯父さん伯母さんにも内緒だって言っただろ! ……だってさ、馬鹿にされたままじゃヤだろ」


 ……ことのはじまりは、この村に到着した今日の昼食時まで遡る。


 父の実家には今は伯父一家が住んでいて、みんなで一緒に冷たいそうめんすすっていた。その折に、私となゆたより年上の、高校生と大学生の従兄弟たち二人がこの村で最近話題の怪談を話し始めたのだった。


「松の下の幽霊ぃ?」


 なんてベタな、と私は顔をしかめて、


「松の下の幽霊っ!?」


 なゆたは目を輝かせて身を乗り出した。そう、と高校生の従兄弟は頷いて、


「ほら、うちの裏に山があるだろ。あそこのてっぺんに結構立派な松があるんだけど、ここ最近、その松の下で白い影が泣いてるんだと。この辺の中学生の間じゃ夜中に山に登って、証拠にその松の枝持って帰ってくる肝試しが流行ってるんだ」


 あの松の少し下の方には墓地があって、そこを通るのが基本ルートらしい。毎年お墓参りに行くから見たことがあるけれど、人気がなく、集落の明かりも殆ど届かないあの墓地を夜に歩くのはかなり不気味そうだ。まぁ、白い影なんてどうせレジ袋か何かが風に吹かれたのを見間違えているだけでしょうけど。私がそう言うと、大学生の従兄弟はにやりと笑った。


「すばるとなゆたは都会っこだからなぁ。ホンモノの幽霊、出るんだぞぉ、こういう田舎には」


 それを聞いてむっと顔をゆがめたのはなゆたの方だ。


「俺は信じてないわけじゃないよ! 幽霊やUFOはレアすぎてなかなか出会えてないだけで、信じていればいつかきっと出会えるんだ!」


 拳を握りしめて力説するなゆたに、思わず私は頭を抱えた。


「ふぅん、じゃあせっかくレアもの幽霊の出現情報を手に入れたんだし、会いに行くんだよな?」


 高校生の従兄弟までニヤニヤしてそう言って、こらっ、と伯母さんの鋭い声が飛んだ。夜中に山に入るなんて駄目よ、とお母さんも怖い顔をする。


 はぁい、となゆたは肩をすくめて諦めた――その場では。


 昼食を片付けて縁側で涼んでいると、なゆたが肩を小突いてきた。


「なぁ、幽霊、見に行こうぜ」


 そしてアイスの買い出しじゃんけんで私が負けて、今に至る。いいよ、こうなったら幽霊なんかじゃないって証明してやるんだから。




 夕食時、そういえば、と思い出したようにお父さんがハンバーグを食べる手を止めた。


「今日、12日ってことは流星群か」


「流星群?」


 なゆたは付け合わせのグリーンピース選別作業をやめて首をかしげる。


「流れ星だよ。毎年、決まった時期にいっぱい流れ星が見えるんだ。それを流星群って言うのさ。宇宙に散らばる塵だけど、それがいっぱいある軌道があって、地球が公転でそこに突っ込んでいくと塵がたくさん降ってくる。その様子が流星群」


 お父さんは身振り手振りを使って地球の公転の様子を説明してくれた。とくにたくさんの流れ星が見られるのがしぶんぎ座、ペルセウス座、ふたご座の三大流星群。今はちょうどペルセウス座流星群の時期で、その中でも特によく見える極大の日が今日の夜らしい。


「我が家のあたりだと街明かりが多すぎてよく見えないけど、ここならよく見えるかもな」


「この家からだとちょっと山と雑木林が邪魔かもしれんなぁ……意外と視界がないんだよ」


 楽しそうに目を輝かせたお父さんに、伯父さんが苦笑する。そうかぁ、と残念そうに肩を落とした。


「あぁでも、裏の山に登るとちょうどいいはずだよ。北の方角に開けてるんだ」


「でかした兄さん! よし行こう! 絶対行こう! みんなで行こう!」


 今日は月も邪魔にならない絶好の機会なんだ! と一転鼻息荒く身を乗り出すお父さん。こういうところはなゆたに似てる。


「すばるもなゆたも見たいよな!?」


 ……こういう風にひとを巻き込むとこも。お父さんは昔から宇宙や星が大好きで、よく天体観測に引っ張られていたから今更だけど。それに、流星群はぜひ見てみたい。


「うーん、でも……」


 一方で隣のなゆたは悩ましい顔をしている。あ、そっか、今晩は肝試しの約束だったっけ。


「ここにはあと何日かいるんだし、幽霊は明日でいいじゃない」


 私としては幽霊なんかより流星群を優先したい。お父さんたちに聞こえないように耳打ちしても、でも、と口ごもる。と、突然目を輝かせて手を打った。


「行く! うん、行こう、流星群!」


「な、なによ突然」


 思わず身を引いた私に今度はなゆたがささやいた。


「外に無事に出られるかわからなかったけど、これなら堂々と裏山に行けるじゃないか。山に入れたら後はにいちゃんたちにごまかしてもらって、松の木のとこまで行こうぜ」


 してやったり、と言いたげな表情でそんなことをのたまうなゆたに、軽くため息をひとつ。そんななゆたの思惑はつゆ知らず、お父さんは心底楽しそうに流星群観測必要装備について熱く語り続けていた。




 いつもより賑やかにごはんを食べて、みんなで片付けをして、私たちは山に登った。観測に向いている場所は墓地の少し下で、自然、話題はお盆の話になった。


「親父やお袋、明日かえってくるっていうなら、今頃あの世で荷造りでもしてる頃かね」


 お父さんはレジャーシートに腰を下ろして星空を見上げながら、隣に座る伯父さんに懐かしそうな声音で言った。父方のおじいちゃんは私たちが生まれてすぐに亡くなってしまって、顔は写真でしか知らない。いつも私となゆたに会えるのを楽しみにしてくれていたおばあちゃんも、三年前に病気で亡くなった。私たちの住む街からは少し遠いから、年に数度しか会えなかったけれど、会いに行く度にいろんなお話をしてくれて、料理がおいしくて、笑う顔がかわいいおばあちゃん。思い出すと、きゅっと胸が寂しくなる。


 そうかもなぁ、と穏やかな声で伯父さんが応える。


「こんなこと言ったら非科学的だっておまえには言われそうだけど、この時期に流星群だなんて、なんとなく、流れ星のひとつひとつが、かえってくるひとの魂なんじゃないかって思えるよ」


「そんなロマンの無いことは言わないよ。……魂か。そう言われてみると、そんな気もしてくるなぁ」


 あっ、と、伯母さんが小さく声をあげた。


「流れ星!」


「え、どこどこ?」


 別の方角を見上げていたお母さんが伯母さんの視線を追って首を回す。


 その間にも、あちらで、こちらで光がきらめいた。


 東から西へ、北に南へ。はかなく一瞬きらめくもの、あかあかと尾をのこすもの。


 それぞれの目指す場所へかえるように落ちていく。


 流星がきらめくたびに、私たちは小さく声をあげた。あんまり大きすぎる声を出すと、星の雨が止んでしまうような気がして。


 不意に、ツンツン、と肩を小突かれた。振り返ると、そこにいたのは当然なゆたで。


「作戦決行」


 そうささやくと、伯母さんの隣に座っていた下の従兄弟に目配せをする。従兄弟はすぐに気がついて、ひとつ頷いてにやりと笑った。


 みんなが上を向いているうちに、ひっそりこっそり山を登る。持ってきた懐中電灯には、お父さんの指示で天体観測用に赤いフィルムが貼ってある。あんまり明るくないけれど、なんだか普通の白い光より怖くない気がするのはなんでだろう。


「そういえばさぁ」


 前を行くなゆたに、ふと声をかける。


「んー?」


「あんた、なんで幽霊に会いたいの?」


 なゆたは幽霊やUFOや妖怪や宇宙人が存在すると頭から信じているらしく、いつも彼らに会いたがっていた。私は、そういうのは今のところいるって証明もいないって証明もないけれど、いるって証明がないならいないんじゃないかな、って思っていたりする。百歩譲ってそういうのがいるとして、一体全体どうしてそんなのに遭遇したいのかというのが、今ひとつわからない。


 だってさ、となゆたは振り返らずに言う。


「幽霊も宇宙人もいるのに会えないって、それって超レアだからってことじゃん? 俺がそれを見つけられたらさ、すばるみたいなやつらに紹介して、幽霊も宇宙人も本当にいるんだぞーって、この世の不思議ってまだまだいっぱいあるんだぞー! って言ってやるんだ」


「――そんなの、幽霊や宇宙人関係なしに世の中の不思議なんていっぱいあるじゃない」


「そっちの方はすばるがどうにかするんだろ。俺は俺、すばるはすばるでいい感じにやる」


「なぁにそれ」


 結局、なゆたのことはわかるようでわからない。なゆたの方も、きっと私をわかってるようでわかってなかったりするんだろうし、私たちはこんなもんでいいのかもしれない。


 ずいぶんと登ってきた気がする。墓地にさしかかって、さすがに少し落ち着かない気持ちになってきた。風にこすれる葉っぱの音が墓石の合間に静かに響く。前を行くなゆたの背中も、幾分かこわばって見える気がした。


 山頂方面へ抜ける出口の近くに、うちのお墓はある。


 毎年、お昼の時間に来ているときにはなんてことない星野家之墓は、暗闇の中なゆたの持つ赤い懐中電灯に照らされて、むやみにおどろおどろしく見える。


 ふと、先ほどのお父さんと伯父さんの話が脳裏をよぎった。もし今も空から降り注ぐ流星のひとつひとつが魂なら、もしかしてもうおじいちゃんもおばあちゃんも、もうかえってきてるのかしら、なんて。


 私たちはちょっとだけ手を合わせて、墓地を山頂に抜けた。




 墓地からはそう歩かないうちに、山頂の松が視界に入ってきた。星明かりの夜空を廃幣に、黒々とした影として風に揺れている。私たちはその周囲をぐるりと回ってみることにした。


 二人とも、なんとなく押し黙って、横並びになって歩く。一歩、二歩、五歩六歩。


「ほらね、何にも無い――」


 ちょうど一周の場所でなゆたの方を向こうとして――すすり泣きが聞こえた。


 なゆたも同時にはっと目を見開いて、私たちはばっと後ろを振り向いた。


「な、なゆた……見える?」


「見える……」


 松の木の中程の枝に、いた。白いワンピースを着た、女の子。顔を手で覆うようにしてすすり泣いている、私たちと同じくらいの年頃の子。


 ……いや、まだわからない。ただのご近所の子かもしれないじゃない。そういえば足もあるし別に透けてない。一般に言う幽霊とは様子が違うのでは無いか。そう考えるとそもそも全然怖さを感じない。


「ねぇ、大丈夫?」


 声をかけると、女の子の肩がピクリと震えた。そろりそろりと顔を覆う手が降り、金色の瞳がのぞいた。すごくきれい。髪の毛もふわふわした金髪で、もしかして外国の子かしら。


「あの……ごめんなさい、なんでもないの」


 細くて小さな声が聞こえた。なんだ、ただの近所の子か、と隣でなゆたが胸をなで下ろす。


「降りられなくなっちゃったの?」


「いえ、そんなことは……ただ、星がよく見えるから」


 顔を上げた女の子の視線を辿って、北の空を見上げる。きらり、短い尾の流星が落ちる。


「きれい……」


 女の子がつぶやく。


「ほんの一瞬、全力でもえてるのね」


 声音ににじむのは、うらやましさ? 私となゆたは女の子の足下、松の幹に背を預けた。


 風が松の葉をサラサラ鳴らす音だけが響く。


「……ね、どうして泣いてたの」


 沈黙を破ったのはなゆただった。


「何か嫌なことでもあったの?」


 んー、と女の子は少し困ったように微笑んだ。


「嫌ではないけど、少し疲れちゃっただけ。ほんのちょっとだけ、休憩」


「勉強とか部活とか?」


 同い年くらいにみえる女の子が疲れるって、なゆたにはそれくらいしか思いつかないらしい。


「おうちで何かあったり、友達と一緒にいるのに疲れちゃったり?」


 私からすると、こういうことの方が疲れちゃうと思うのだけど。


 女の子は曖昧にうなずいた。


「少し似てるかも。……期待に応えるのに、ちょっと疲れちゃったんです」


 華奢な腕を上げて、女の子は北天を指した。


「あの星、どう思いますか」


 女の子の指を辿って目をこらす。あまり明るい星はないけれど、あの方角って事は、


「北極星?」


「……ええ、そう、北極星」


 どう思いますか、と女の子が繰り返し聞く。おずおずとなゆたが応えた。


「方角を調べる時とかに便利なんだよね。一年中、一晩中見えるのってすごいなぁって思うよ」


「すぐに探せる?」


 そう言われると、うーんとなゆたはうなってしまった。確かに北極星って、特別に明るいわけでもないからぱっと探すのって難しいかも。


「例えばあの星とか、あの星」


 北極星を指す腕を天頂に向かってあげる。指した先の明るい星は、デネブ、アルタイル、そしてベガ。確かに、これらの星はぱっと空を見上げただけで目に入る、強烈で派手な星だと思う。


「ポラリスって、すごく地味で、目立たない星なのだけど。みんなあの星を特別な北極星だ、なんていうの」


 それはそうよ、と私は思わず口にした。


「だって、あそこでずっとほとんど動かないもの。特別でしょう」


「でもずっとポラリスが北極星だってわけではないわ。ただ偶然、今、そこにいるだけ。もう少し先の未来、北極星になるのはあの星です」


 指さしたのはベガだった。そう、学校の授業で聞いたことがある。北極星は地球の自転軸を空にまっすぐ伸ばした先にある星で、自転軸はゆっくり動いているから、北極星は不変のようで不変で無いのだと。


「きっとね、あの星が北極星ならすぐにわかるわ。……そういうことを考えるとね、疲れちゃったんです、少しずつ」


 だから休憩。女の子はぶらりぶらりと足を揺らした。


 なんとなく、わかる気はしないでも、ない。自分の力以上のことを、ただそこにいるからというだけで任されるのはきっとすごく気が重い。自分よりも立派に役目をしおおせるひとがいるって知っていたなら、なおさら。多分、女の子が言いたいのはそういうことだ。


「でも俺、あの控えめな北極星、好きだよ」


 おもむろになゆたが口を開いた。えっ、と目を丸くして、女の子が視線をこちらに落とす。あ、やっぱりきれいな金色だ、とその瞳を見て思った。視線を浴びたなゆたは少しはにかみつつも女の子に視線を返す。


「ベガとかアルタイルって確かに派手で見つけやすいけどさ。今の北極星って、ぼんやり白くて、優しい色だ。でも見つけにくすぎるってわけでもない、いい星だと思うよ」


 俺、見つけ方知ってるよ、となゆたは右手を空に向けた。


「まず北斗七星を見つけるんだ。こっちも一等星はないけど、形がわかりやすいね」


 そして、ひしゃくの先端を伸ばして、指を止める。


「見つけた」


 ね、となゆたは自慢げに胸をそらした。


「ポラリスだってすぐにわかるよ。もしポラリスがすぐにわからないって人がいるなら、俺はこうやって教えてあげるだけさ」


 ――あぁ、こういうことか、と不意にストンと胸に落ちた。ほんの少しだけど、なゆたが幽霊に会いたかった理由、わかった気がする。なゆたって、誰かを認めてあげるのが多分得意なんだ。そして、自分が認めた誰かの素敵さを、ほかのみんなに伝えるのが好きなんだ。


 女の子はしばらくの間、大きな目をパチクリとさせていたけれど、やがてにっこりきれいにほほえんだ。


「――ありがとう。私、もう少し頑張れそう」


「また疲れちゃったら、今度は私たちの街に遊びにおいでよ」


 私たちの街の方角を指さすと、女の子は大きくうなずいた。そして、視線を北天に戻してすぐ。


「あっ、流れ星!」


 星が瞬いたあとには、松の枝だけがゆれていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星降る夏のしるべ星 あけづき @akedukim

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ