十七の夏。俺たちの恋愛と友情

仲咲香里

十七の夏。俺たちの恋愛と友情

 熱い空気を宿す夜の街を、俺は一人、無心で歩く。

 片道三車線の幹線道路は、ひっきりなしに車が行き交い、無駄なクラクションと、無意味にふかすエンジン音が時折つんざいて、まだ夜更けには程遠いと感覚的に思う。

 この道が、一本折れるだけで、市街地から閑静な住宅街へ続くとは、俄かには信じ難い気もする。



真紘まひろ君、ごめんなさい』



 すれ違い様に、ヘッドライトで無遠慮に照らされる俺は、彼らの目にどう映るのだろうか。


 今日、俺に何があろうと、今、どんな心境でいようと、彼らにとっては、ただの風景の一部にしか過ぎないのだろうけれど。


 ぐしゃぐしゃなのに、不思議と涙は出てこない。

 代わりの汗なら、嫌というほど流れ落ちてくるのに。



『最後に、楽しい思い出ができて良かった』



 歩を進めるために腕を振ると、俺の手が、パンツのポケットにねじ込んだ小箱に当たる。

 もう用を為さないそれは、この橋の上から投げ捨てたところで、何の未練もない。


 ——あいつなら、迷うことなく店に返しに行くんだろうな。


 欄干から、右手に広がる黒い川面をちらりと見て、そんなことを考える。

 いや、そんなことを考えられる位には、冷静になってきたのかもしれない。

 その為に、ここまで歩いて来たのだから。


 本当はバスで二十分かかる距離は、歩けば一時間近くはかかるだろうか。

 自宅方面へ向かうバスが、途中で二便、俺を追い抜いて行った。


 それでも一人になれる時間が欲しかった。

 その時間が長ければ長い方が、落ち着いて向き合える気がした。

 自分とも、あいつとも。




『ねぇ、今日会えないかな?』


 久し振りに来た彼女からの連絡に、俺はスマホを二度見して、思わず歓喜の声を上げ、すぐにあいつに報告してた。

 すれ違う毎日が続いていたとしても、会いたいって彼女から言われれば、走って行ってしまうぐらい、俺には気持ちが残っていたんだ。


 無駄かもしれないと思いながらも用意した、彼女へのプレゼントを掴んでバスに乗った。

 待ち合わせ場所へ一直線に向かうそのバスでさえ、いちいち停留所で止まるのを煩わしく感じながら。

 あの逸る気持ちは、確実に期待していた証拠だ。



 その道を今は、正反対の気持ちで下って行く。



『他に好きな人ができたの』



 彼女の誕生日だった今日、思わせぶりに呼び出されて入ったカフェで、彼女が突如切り出した。

 しかも、その店で一番人気の、SNS映えすると話題のスイーツを完食した後で。



『きちんと会って言いたくて』



 紅茶を一口すすった後、俺を窺い見る彼女に、俺は「分かった」とだけ絞り出した。


 俺が呼び出された意味は何だったのか。

 正解にたどり着いたら、二度と恋愛なんてできない気がする。


 そんな誠実さならいらないのに。

 そう、悪態を吐く自分が、酷く幼く感じて、彼女が去った後も、俺はしばらく席を立てないでいた。




 信じなければ良かった。

 望みはまだあるって、いつもの軽薄な笑顔で送り出したあいつの言葉を。


 店を出る時に浮かんだ思いは、ただ、責任転嫁しているだけだと、自分でも分かってはいた。

 でも、その方が楽だから。

 今、自分の非を受け止めたら……受け止め切れる、自信がない。



 まだ気持ちに整理はついていなかったけれど、あいつの家が目前に迫ってきた。

 このルートが、俺の家への最短距離でもあるから、仕方がない。

 それに、熱帯夜の一時間のウォーキングは身体に堪える。

 身体的にも、精神的にもダメージが大きくて、回り道までする気には、さすがになれなかった。



「お帰り、真紘ー。久々のデートはどうだった?」


 二階のベランダから、穂高ほだかが行き掛けと同じ軽薄な笑顔で俺に話し掛ける。


「……見りゃ分かんだろ」


「えーっ、女の子のことなら分かるけど、男の子はちょっとねー。俺の守備範囲じゃないしー」


「あっ、そ。もう、いいわ。今、お前とだけは話したくねー。帰る」


 本当は寄るつもりでいたのに、その為に一時間も歩いたのに、俺は言うなり穂高に背を向ける。


「来れば?」


「は?」


 穂高の声に、肩越しに見上げると、真剣な顔の穂高と目が合った。

 あいつが今日も家に一人なのは知ってる。


「俺も今日誕生日なんですけどねー。真紘、知ってた?」


 忘れるはずがない。

 小一の時に穂高が転校してきてから、高二に至る今日まで、何年一緒にいると思ってんだ。

 彼女との記念日は忘れても、穂高の誕生日を忘れたことは一度もない。


 ——もしかして、そういうところか?


 俺はふっと自嘲する。


「玄関、開いてんの?」


「裏。鍵の場所、知ってんだろ」


 穂高の両親が聞けば、間違いなく怒られるのだろうが、俺たちにとってこの会話は、今に始まったことではない。

 そんなことも知らない程、穂高の両親は、家に居ないことが多かったし、穂高にも関心がないことを、俺は知っていた。


 慣れた足取りで、俺は二階の穂高の部屋へと入る。

 見慣れた穂高の部屋は、出掛けた時のままで、ベッドに掛ける穂高を見ると、あの時のように、ただ布団にくるまり、泣いて過ごしていたんじゃないかと勘ぐりそうになる。


「あー、疲れた。穂高、これ飲んでいい?」


「どうぞ。どうせお前用だし」


 俺は床に座り込み、テーブルの上に置かれた五百ミリリットルのペットボトルを掴み、蓋をひねった。

 音を立てて回ったそれは、未開封だったことを示す。

 よく冷えたミネラルウォーターを、俺はとりあえず、一気に飲んだ。


「あーっ、生き返る!」


「ぶはっ。今のCM依頼来そうだな。しかもビールの」


「今のうちにサイン書いてやろうか?」


「いるか。お前のサインにどんだけ価値あんだよ」


 何も聞かず、いつもどおりに接してくる穂高が、有り難くて、同時に胸が痛む。

 その笑顔の裏に抱える思いも、俺は知っているから。


 ——知っていたのに。


 俺は、残り三分の一程になったペットボトルをテーブルに置き、穂高に対する。


「穂高、今日、誰でもいいから彼女呼べば良かったじゃん」


 無責任にそんな言葉で逃げる俺はずるい。


 俺の言葉に、穂高が一瞬だけ真面目な顔で俺を見返す。

 一度瞬きをすると、いつもの穂高に戻った。


「彼女なんていねーよ。どうせみんな遊びですから? 来るのも去るのも拒みませんよー」


「相変わらず最低だな」


「もうそれ、聞き飽きた」


 穂高の両親は、この町に越して来た時から、とうに関係は破綻していた。

 繋ぎ止めているのは、穂高曰く、ただの世間体らしい。

 時折、テレビ画面の向こうで、穂高の母親が教育問題について笑顔で語るのを観たことがあるから、そういうものなのかもしれない。


 自分のことでいがみ合う両親に、穂高は、出会った頃には自分の存在を否定し、特に誕生日には、嫌悪感しか抱いてなかった。

 本当は、誰も祝う者のいないその日を、誰よりも欲し、一人きりで過ごすことが、人一倍寂しいくせに。


 いつも暗い顔で下校する、近所に住む穂高のことが、何故か俺はほっておけなくて、いつからか、頼まれもしないのに側にいるようになった。


「でも、さっき一人、振ってやったわー」


「え? 穂高が?」


「どの口が言ってんだっつって、ひっどい振り方したからさー、泣いてるかも。良い気味ー」


 ——まさか……。


「前から思ってたんだけどさー。真紘には、ああいう人の気持ち分かんないような子は合わないでしょ。だから、真紘が傷付く必要ない」


「……そう思ってたんなら、何で背中押すようなこと」


「一緒だよ。お前と一緒」



 ——僅かな期待に賭けた。



 穂高の目が、何年一緒にいると思ってんだって言う。



 初めて人を好きだと思った。

 少なくとも、俺はそうだった。

 彼女から告白された時に、馬鹿みたいに浮かれて、それでも穂高に同じテンションで祝福されたのは、一年前のことだ。


 今日が穂高にとって、どんな日か知りながら。

 穂高が笑って、希望をくれるから。

 だから置いて行ったのに。


「真紘にはずっと俺がいるから。だから今日ぐらい、俺と一緒にいてよ、真紘」


 穂高と出会って、初めての誕生日に見せた表情で穂高が請う。

 あの日から、毎年この日を、別々に過ごしたことはなかったのに。

 始めからそう言われていたら、俺は彼女と穂高、どちらを選んでいたんだろう。


 でも穂高は、俺に選択肢を与えないほどに成長した。

 彼女のことしか考えなかった俺を、何の躊躇いもなく送り出した。

 もしも期待が叶っていたら、穂高は今日を、一人で過ごせるまでに大人になれただろうか。


 気を抜くと、汗じゃない何かが溢れ落ちそうで、俺は顔を伏せた。


「遅くなって、ごめん……」


 やっと言えた謝罪の言葉は、彼女との別れに応じた時より、苦しかった。


「で、俺へのプレゼントは?」


「はっ? 彼女に会いに行くのに持ってたらおかしいだろ。家だよ、家」


「えー、じゃあそのポケットの中のは、何?」


 反射的に、俺がポケットの上から小箱に触れると、穂高が期待の目でニヤリと笑う。

 観念して、俺は雑にそれを取り出す。


「……もう要らねーし、やるよ、これも」


 綺麗に白いリボンの掛けられた、ミントグリーンに近い色の小箱を放ると、カラと乾いた音を立てて、それは穂高の手に収まった。

 穂高は一瞥しただけで呆れ顔になる。


「お前、そういうところがさー。……ちなみに、中身、何?」


「……ピアスだよ」


「ぶっ。お前が選んだの? 大丈夫?」


「な訳あるか。何ヶ月も前からアピールされてたやつだよ。いらないなら捨てる」


「いや、待て。そういえば来月誕生日の子がいたような気するし、その子にあげよっかな」


「はあ? お前はそういうところだろ」


 穂高がベッドから立ち上がり、その小箱を机の引き出しにしまう。

 俺はそれきり、その誰のものでもないプレゼントの行方を、穂高に託すことにした。

 そうやっていつからか、俺の方が穂高に救われることがあった。

 もしかすると、本当はもう、一人でも平気なのかもしれない。


「つか、ゲームしようぜ。俺もう待ちくたびれたんだけど」


「いや、俺、今傷心……って、もうどうでもいいわ。穂高、その前に何か食わして。俺、腹減った」


「カップ麺で良ければ三分で食えるけど」


「お願いします」


「残念ですが、うちはセルフサービスとなっております」


「あ、穂高いらねーんだな」


「いるわ! つか、誕生日のディナーがカップ麺て……切な過ぎる」


「今度奢ってやるって」


「今度っていつ?」


「……なあ、ピアスは仕方ないとしてもさ、パンケーキ一皿二千円って、あれ適正価格なのか?」


「さあ? 俺、基本、奢られたことしかねーから知らねー」


「あ、やっぱ奢んねー」



 恋愛相手より、今は親友の心を本気で推し量りたいと思う。

 そんな今の俺たちに、恋愛なんて、当分先の話でいい。

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十七の夏。俺たちの恋愛と友情 仲咲香里 @naka_saki

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