第5話 真守 VS『ぬし』

(こいつはでかい!)


 相当な大きさだろうことを確信して、自然に口角が上がる。


 リールを巻こうとしたが、それは叶わなかった。重いのもあるが、それ以上に相手の抵抗が強かったのである。


 歯を食いしばり、重心を後ろに置いて必死に耐える。気を抜くと、竿ごと持っていかれそうだ。


(くっそ……! どんだけでかいんだよ?)


 心の中で悪態をつく。


 しばらく耐えていると、魚も疲れたのかおとなしくなった。チャンスとばかりに、真守がリールを巻く。少し寄せられたと思った矢先、また盛大に暴れだした。


 舌打ちをして、抵抗に耐えながら相手がおとなしくなるのを待つ。


 そこへ、


「真守! それって、もしかして……」


 と、晴人が駆け寄ってきた。


「ああ、たぶん……『ぬし』だぜ」


 視線を水面からはずすことなく、真守は言った。真剣なその声音には、どこか楽しんでいるような響きがあった。


 またしばらくすると、魚がおとなしくなり真守がリールを巻く。だが、やはりそう簡単に釣られてくれるはずもなく、魚はまたしても抵抗する。


 それをくり返すこと、数十回。ようやく、魚の姿が見える位置まで寄せることができた。それは、真守が今まで釣り上げてきた中でも断トツに大きくて丸々と太っていた。


 自然と笑みがこぼれる。だが、まだ油断はできない。陸に引き上げるまでが、魚との勝負なのだから。とは言え、真守の腕は限界に近い状態だった。長時間、暴れる魚がかかった竿を支えていたのだ、疲れない方がおかしい。


(また暴れだされたら、ヤバいかもな……)


 嫌な予感が頭をよぎる。だが、ここで諦められるわけがなかった。


「晴人。網、準備しといてくれ」


 真守が晴人に声をかける。晴人はうなずいて、真守の足もとにある網を手に取った。


 真守は、ゆっくりと魚を寄せる。が、もう少しというところで、魚が暴れ逃げるように泳ぎだした。


「……っ! 暴れんなってのっ!」


 思わず声に出し、竿先を上げるように腕を引いた。竿がしなり、糸がピンと張る。これ以上引くと糸が切れてしまうというギリギリのところで、真守は逃げ回る魚を制御する。


 最後の力を振り絞って逃げようとする魚と、それを阻止しようとして耐える真守。彼らは、互いに必死だった。


 どのくらいの時間、そうしていただろう。真守には、長い時間に感じられた。右腕がとても重い。竿を持って支えているのもやっとの状態である。力任せに引っ張られたら、竿ごと持っていかれてしまうだろう。それでも、なんとか耐えていられるのは、絶対釣り上げてやるという意地があるからだ。


 それは魚も同じなのか、暴れては逃げ回るをくり返す。が、体力が尽きたのか、ほどなくしておとなしくなった。


 真守がリールを巻くと、すんなりと岸際まで寄せることができた。


「晴人、網頼む」


 ふたりは、タイミングをあわせて網に入れ、どうにかこうにか魚を陸に引き上げる。釣り上げたのは、丸々と太った大きなイトウだった。このイトウが『ぬし』なのだろう。顔やヒレにはいくつもの傷あとがあり、数多くの釣り人とファイトしてきたことがうかがえる。


「や……やったーーっ!」


 真守が驚喜の雄叫びをあげると、周囲から歓声が沸き起こった。驚いて周囲を見回すと、いつからいたのか、多数のギャラリーがふたりを取り囲んでいた。


 彼らから多くのおめでとうをもらい、真守はうれしくなると同時に照れくさくなった。


「……おう、坊主。釣り上げたんだってな?」


 と、受付けの男性が、ギャラリーの中からひょっこり顔を出した。


 真守がうなずくと、男性はギャラリーをかきわけて真守達の隣に並ぶ。


「間違いねえ。こいつは『ぬし』だ」


 うれしそうにつぶやくと、ポケットからメジャーを取り出し、おもむろに魚の体長を測りだした。


「……ふむ、63㎝だな」


「よっしゃ! 今まで釣った中で、一番でかいぜ!」


 真守が喜びの声をあげると、またギャラリーから歓声が上がった。


「やったな、真守!」


「おめでとさん」


 晴人と受付けの男性も、真守を祝福する。


 大勢の人におめでとうと言われて照れ笑いを浮かべていた真守だったが、魚をそのままにしていたことを思い出し、持ち上げようとする。男性も手伝い、ふたりがかりで、なんとかびくに入れる。


 それを合図に、ギャラリー達はその場から離れていった。


 ようやく静かになったところで、残り時間が気になった真守は、スマートフォンを取り出した。画面を見ると、午後4時27分と表示されている。


(あと3分……。う~ん、もう1本上げるのは、さすがに無理か)


 そう判断した真守は、晴人に声をかけて帰り支度を始めた。晴人も少し遅れて支度をする。


 釣り道具を片づけ、びくを大きなビニール袋に入れる。袋の口をしばり、やっとの思いでクーラーボックスに入れた。


 今日の最終的な釣果は、真守が4尾、晴人が3尾であった。


「あ~あ、『ぬし』釣り勝負、負けちゃったな」


 晴人がつぶやく。が、その声音には悔しさが微塵も感じられなかった。


「言葉の割には、スッキリした顔してるんじゃね?」


 真守がからかうように言うと、晴人は満面の笑みで、


「そりゃあ、楽しかったからね」


「それなら、良かったぜ。それじゃあ、帰りますか」


 真守の言葉で、ふたりはほぼ同時に荷物を持った。思っていた以上にクーラーボックスが重い。駐輪場までの道のりが不安になってくる。


 そこへ、真守を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、昼に魚を放流しにきた男性が荷車を引きながらやってきた。


「『ぬし』を釣り上げたんだって? おめでとう。これ、ささやかだけどプレゼント」


 そう言って、男性は荷車から袋に入った氷を2個取り出し、ふたりに差し出した。これで釣った魚を冷やせということのようだ。


 ふたりはありがたくもらうことにして、それをクーラーボックスに入れた。


「ありがとう、お兄さん。それじゃあ」


 礼を言って歩き出そうとしたふたりだったが、男性に呼び止められた。どうやら、荷物を駐輪場まで運んでくれるらしい。


 少し迷ったが、ふたりは運んでもらうことにして、荷物を荷車に置く。3人は並んで駐輪場に向かった。


 駐輪場に着くと、男性はふたりの自転車の荷台にクーラーボックスを落ちないようにくくりつける。


「気をつけて帰るんだよ」


 男性の言葉に、ふたりは同時に返事をした。そして、ほくほく顔で帰路についたのだった。 

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夏休みに釣り堀で 倉谷みこと @mikoto794

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