堕とされた悪役令嬢

芹澤©️

高潔な貴女

私があの方と初めてお会いしたのは、ほんの偶然だった。


家と折り合いが悪い私が、父とのやり取りに半ばやけっぱちになりながら学園の庭園をうろうろと探索している時に、彼女が東屋で一人読書をしているのを見つけた。美貌もさることながら、その凛とした佇まいに、私の目は釘付けになってしまった。


アーリア・メリル・テレネスティ。テレネティ公爵家の長女で、第二王子殿下の婚約者。その教養、知識、立ち居振る舞い。全てにおいて完璧な淑女だと評判の彼女を初めて拝見して、私は直ぐに彼女に夢中になった。どうにかお近付きになれないものかと考え抜いた結果、自分も手本となる貴族然とした振る舞いをすることに行き着いた。


そして、服装にも気を使い、流行を取り入れつつも悪目立ちしない様に心掛けて、徐々に知名度を上げた。


そうして自信を付けて、アーリア様の主催するお茶会に参加した際に、初めて私を認識して貰えた時の喜びは、きっと誰にも分からないと思う。あんな高貴で気高い方に自分を見て貰えるなんて、本来なら有り得ない奇跡の様な出来事なのだから。


そうして目出度くアーリア様の知り合いになれて、昼食を取る時もご一緒することが増えた。でも不思議なことに、最初は覚えて貰えれば良かったのが、もっと仲良くなりたい、もっと頼って欲しい……そんな欲がどんどん際限無く湧いて出て、私は自分で自分に驚いた。まさか、そんな感情が私にも備わっているなんて、きっと両親ですら思わないだろうから。


私がアーリア様と仲良くなって直ぐに、不穏な噂が学園で囁かれる様になった。第二王子殿下が、庶民の特待生の後輩女子とやけに親しくしていると。

それこそ、アーリア様との逢瀬の時間も取らずにその娘と過ごしていると。


私は信じられなかった。

だって、アーリア様の波打つ黒髪も、思慮深い灰がかった青い瞳も、陶器の様な白い肌も、そして性格を含めたその中身も。全てが完璧な彼女以外に目を向けるなど、節穴どころの話しでは無いのだから。


しかも、その庶民の娘は他に宰相の一人息子や、騎士団長の秘蔵っ子である次男坊、果ては魔法学の先生とも懇意にしているとの噂で、それが淑女の行動なのかと、その話を聞いた時、私は目眩さえ覚えた。


先生は分からないけれど、宰相と団長のご子息は婚約者がいると言うのに、一体全体何を考えたらそんな行動が出来るのだろう。何も考えて無いから…?顔は見た事は無いけれど、きっと汚い中身を持っているに違いない。


アーリア様は、それでも清廉さを保ち、噂にも耳を貸さず、日々の勉学に励まれていた。しかし、庶民の娘の行動はどんどん派手になって行き、終に宰相と団長のご子息の婚約者達が、アーリア様に泣き付いて来た。確かに、親が決めた婚約とはいえ、彼らの行動は完全に彼女達を馬鹿にしているものだと私にだって分かる。


「……分かりました。私から、殿下にそれとなく伝えてみましょう」


アーリア様はその姿同様、凛とした声でそう約束されていた。なんて責任感が強く真面目な方なのだろう。婚約者と言えど、苦言を呈するのは彼女にとっても大変勇気が要る事な筈なのに。私は心配で、もう一人のアーリア様のお友達のカロライナ様と一緒に殿下の元へと赴いた。



丁度通路で談笑していた第二王子殿下を見つけ、アーリア様がお話しがある、と告げれば、ここで申せなどと配慮も何もあったものじゃない物言いの殿下。

いくら金髪碧眼で王族だとはいえ、こんな男、アーリア様には役不足以外の何者でも無いと思う。

カロライナ様は怯えていたけれど、私はこれでもかと思い切り睨んでいた。


アーリア様は溜め息を小さく扇子の陰で吐くと、そこでこれまでの経緯いきさつを説明した。しかし、この目の前の男は、


「……嫉妬で私に文句を言うなど、思い上がりも甚だしいな、アーリア」


などと見当違いも甚だしい言葉を吐いた。


私は開いた口が塞がらなかった。

何をどう聞いたらそんな言葉が出て来るのだろう。

この目の前の男は、本当にこの国の王族なのだろうか?そんな事を言っている間も、彼は庶民の娘、レイラ嬢の肩に手を添えているのだ。

アーリア様のこれまでの説明中でさえ。え、私の目は可笑しくなってしまったのだろうか??


「わ、私はその様な行いはしておりません! 言い掛かりを付け、私を貶めるおつもりなのですね、酷いお方……!! 」


涙目でそう言うレイラ。なんて不敬な! アーリア様は公爵令嬢で、この場で言えば二番目に位の高い貴い方だと言うのに、許されてもいないのに口を開くなど、この醜悪な生き物は何なんだろう? 魔物か何かだろうか? 魔物の方がまだ可愛げがあると私は思う。


「こんなに怯えて……可哀想に、もしや他に嫌がらせなどされているのでは無いか? アーリア、早くこここから去れ。レイラの視界に入るな」


「……! なんという事を。それが貴方方の総意ですのね。畏まりました。二度とお二人の前に出ない様に致します。失礼致します」


アーリア様は、下げなくても良い頭を綺麗な所作で下げ、私達を伴い殿下の前から踵を返した。涙を流されるでも無く、真っ直ぐ前を向いて歩くお姿はとても儚げで、か弱い。何故この姿を見て、手を差し伸べないのだろう、あの節穴は。

私が今男ならば、直ぐにでも抱きしめて攫うというのに、頭がおかしいとしか思えない。あの節穴男。


私はカロライナ様と目配せをする。言葉にせずとも、彼女も分かったらしい。これは早急にアーリア様をお救いしなければならない様だから。あのレイラとか言う汚物。光の魔法の使い手だ、聖女だと一部で言われているらしいけど、あんな醜悪なモノ、同じ空気を吸っていると思うだけでも汚らわしい。

こんな所へアーリア様を留めてはおけない。



それから、私とカロライナ様は噂を流し始めた。

レイラの淑女とは程遠い行動を、ありのままに。

最初から快く思っていなかった女性達にはあっという間に嫌悪の感情が根付いた。その他に、あの汚物が一人で居る時などは、聞こえよがしにはしたない、聖女では無く魔性だ、魔女だと言って聞かせた。


勿論清廉潔白なアーリア様は一度たりともそれに加わったりしないし、まず、アーリア様のお耳を汚さない様に私達は細心の注意を払って行っていた。






そんな私達の行動の結果が出たのはそれから半年後の夏の学園舞踏会の時だった。本来なら、アーリア様をエスコートしなければならないあの節穴男が、私用でエスコートを断ったとアーリア様から聞いた時から予感はしていたのだ。


案の定レイラと言う名の汚物をエスコートして舞踏会場へ現れた節穴……第二王子は、驚いているアーリア様をあろうことか会場の中央へ呼び付け、騎士団長の息子に取り押さえさせたのだ。


「アーリア・メリル・テレネスティ。今日を持って貴様との婚約は破棄する。今迄のレイラ・コーストへの数々の嫌がらせ、脅迫はいくら公爵令嬢と言えども見過ごす事は出来ない」


押さえ付けられ、声の出せないアーリア様。なんと痛々しいお姿か。隣のカロライナ様は小さな悲鳴を上げて、アーリア様に駆け寄ろうとしたけれど、私達は護衛に止められ、アーリア様のあの状態を助けて差し上げられない。


「そして、晴れてレイラ・コーストは私の婚約者となる。つまり、王子妃となる婚約者、レイラを乏した罪、幽閉を持って処する事にする」


そう高らかに宣言すると、会場内から悲鳴やどよめきが上がる。

何をどうすれば庶民が王子妃になれると言うのだろう。たかだかほんの少し魔法が得意というだけで。

陛下と王妃殿下が隣国へ外遊しているからと言って、勝手が過ぎる。何処までも馬鹿……いや、知能があるのだろうか、あの生き物は?


アーリア様のご両親はタウンハウスに居られるのだから、あっという間に幽閉は解かれるのだろうけれど……早くあの手を離せ、あの筋肉馬鹿野郎。こんな結果になるとは……いざ目にするとなんと腹立たしい事か。


私は耐えられなくなって、ぎゅっと目を瞑った。そんな私を他所に、アーリア様は衛兵に引き摺られる様に会場を後にし、私も足早にその場を去った。







「私は何か間違っていたのでしょうか……」


幽閉された貴族用の檻の中。アーリア様は私が出会って初めて、その綺麗な瞳から涙を零されていた。


『いいえ、貴方は誰よりも高潔で、美しくお過ごしでした』


私はそう言って、彼女を抱き寄せた。只でさえか細い肩が、更に細くなった様に思える。姿を元に戻した私の行動に、彼女が反応する事は無いのだけれど。


「この様な事になってしまって……お父様にもお母様にも、クリスにも顔向けが出来ないわ……」


クリスとはアーリア様の弟のクリスチアーノだ。けど、あれは思い出さなくて良い。奴もあの汚物共と同じ穴の狢だったのだから。

毒婦に傾倒した、愚かな生き物。あれに心を砕くなんて、なんとお優しい方なのだろう。やはり、一目見た時から私の気持ちが動かされたのも頷けた。


アーリア様は私の目の前で、食事で出されたナイフをそっと喉元に添えた。


高潔なアーリア様は、この事態に耐えられないのだろう。いずれあの汚物達は無理矢理彼女を断頭台へ送るつもりだと、聡い彼女は理解しているのだから。私はさっと彼女の持つナイフの刃を魔法により鋭利にして差し上げた。彼女の綺麗な喉元が、汚く裂けるのは看過出来ないから。


「お父様、お母様、先立つ不孝を、無力な私をお許し下さい……」


何処が不孝だと言うのだろう。この汚物だらけの世界など、彼女には必要無いだろうに。けれど、やっとだ。彼女のあるべき場所は本来ならば天空の楽園。そこに行く筈だった。穢れの知らない魂が清いままの身体で断頭されれば、彼女はそのまま楽園へと迎えられる。


そう、私とは絶対交わらない魂。


私が父と喧嘩をし、この現世うつしよにふらふらと遊びに来なければ出会えなかった眩しい輝き。


あの淀んで暗い世界。絶対王者の父に、私に感心の無い母。確立した私の地位に、何もかもが決まった未来。私はそんな自分の立場から現実逃避し、現世に家出していた。


そこで初めて見た高潔な魂の輝きに、私は魅入られ、欲してしまった。汚く穢れた魂しか堕ちて来ない冥界住みの私にとって、全てが初めてで、恋い焦がれて、必ず手に入れたいと思ってしまった、思われてしまった、綺麗で可哀想なアーリア様。


手に入れたいが為に、私は人の女性の姿を取ってまで、ずっとこの機会を待っていた。


アーリア様は震える手で、ナイフを首に走らせる。極限まで研ぎ澄まされた刃は深く走り、途端に赤い鮮血がまるで命の噴火の様に舞い上がった。私はその鮮やかさに目を細めながら、そっと痛みが和らぐ魔法をかけて差し上げた。


人が自身で自分の命を刈り取るのは大罪だ。生命の神により与えられた生を、謂わば拒否した形になるのだから。向こう何千年は現世も天界も足を踏み入れる機会が無くなる。けれど、これでやっと私の故郷、冥界へと彼女を連れて行ける。


『ずっとお慕いしておりました。アーリア様』


アーリア様は片足を既に現世からはみ出したのだろう、私の姿を薄っすらと開けた目で見咎め、その瞳を動揺で揺らした。


「だ……れ……? 」


声にもならないその問いに、私はにこりと微笑んで見せた。


『冥界の王、シュヘナザードが第一子、メルゼルクと申します。アーリア様、良く我慢されましたね。貴女様の潔白は私が一番理解しております。カロライナが貴女様の潔白である証拠を携え、この国の王へと進言致しますので、貴女の家族は無事な事でしょう。安心してお眠り下さい』


「そ……う……、良かっ……」


そう言って、彼女は目を閉じた。私は彼女の心の臓が停止したのを確認すると、首の傷跡を跡形も無く閉じた。このまま彼女の魂を体ごと向こうへ連れ帰ろう。現世は汚いと耳にはしていたけれど、ここまでとは私も思いもしなかった。

輝く魂にも気付けず、それどころか貶めるなど、人間とは何と浅はかな生き物なのか。

カロライナの様に理解出来る者が居るだけまだましだが、私が現世に足を運び入れるのも今後はもう無いだろう。


『これからはずっと一緒に居られますね、アーリア様』



彼女の体と魂を抱え、私は冥界に飛んだ。






その後、アーリア・メリル・テレネスティの潔白は、数々もたらされた証拠や、学園の生徒の殆どが証言に名乗りを上げたお陰で証明され、逆に第二王子とレイラ・コーストはあからさまな不貞と国内を無用な行いで騒がせた罪で王子は王位継承権剥奪の上、国王陛下の目を欺いた陰湿さが問題視され、一生涯幽閉処分になり、あの醜悪な庶民の女は、高貴な身分の令嬢を貶めたとして一族郎党国から追放の上、女は近隣の国でも一番厳しいとされる修道院送りとなった。


魔法が使える分、酌量されたらしい。私にとっては不服なのだが、汚物女のお陰でアーリア様がこの手に舞い込んで来た面もあるのだから、放っておくことにした。


しかし、現世ではアーリア・メリル・テレネスティの行方は終ぞ判明せず、抜け出せない檻から姿が消えた事もあり、彼女は天界から迎えが来たのだ、聖女だったのだといつまでも囁かれる存在となった。





ーーーーーー





『今日も美しい。何故ここまで私の心を支配するのだろう、この方は。これが一番の貴女の罪では無いだろうか?アーリア様』


人々に囁かれるお陰で、現世との繋がりがきっぱりと切れず、アーリア様は今だにすやすやと寝台の上で眠っておられる。噂が廃れない限り、魂の目覚めが来ないのだ。


『……寝顔も見ていて飽きないのだが、そろそろあの鈴の音の様なお声も聞きたいものだ。……あの下らない国を潰しておけば良かったか? 』



そうは思っても、アーリア様が悲しむ行為はこれ以上は控えたい。私は悩ましく思いながら、アーリア様の美しい髪を指先でくるくると弄ぶ。



この冥界の王子として生じて、何も変化も無い、つまらないこの世界での無限とも思える生涯に、側に彼女が居ると思うだけで……私は幸福感で満たされる。


『お慕いしております、アーリア様。早くその瞳で私を見つめて下さい……』


恋とはかくも切ないものだと、私は彼女の寝顔を眺めて歯痒くなるのだった。






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