火花を刹那散らせ

白地トオル

火花を刹那散らせ


 彼が突然、姿を消した。

 いつものように「ただいま」と言ったのに返事が返ってこなかった。


 「ねえ……?」


 どうせ夕飯も食べずにソファでいびきをかいて寝ているのだろうと思い、私は構わずリビングのドアに手を掛けた。


 何かが可笑しい。

 私はドアノブを握ったままじっとその場に立ち尽くした。彼は普段このドアを閉めない。エアコンの冷気が苦手なので、このリビングの大きなドアを開放して自然の風を送り込むようにしている。私がこのドアを閉めると彼は決まって文句を言う。だから私も彼がいるときは暑いのを我慢して開けるようにしていたし、いない時でも開けっ放しにしておくのが癖になっていた。

 磨りガラスの小窓から照明の光が零れる。人影らしきものは見えないが、確かにが室内にいたことは分かった。


 いやいや。誰か、などと滅多なことを言うもんじゃない。この家を出入りする人間は同棲している彼か、遠い田舎の両親くらいで、素性ははっきりしている。ただ彼ならこのドアを閉めたりしないだろうし、両親なら必ず一言連絡をくれるはずだ。

 私はどうか杞憂であってほしいと神に祈り、勢いよくドアを開けた。


 「誕生日ぃぃ……おめでとぉうっ!」

 「えちょっと、え?なにこれクラッカー?どういうこと?やだもう、びっくりしたあ」


 ……という展開を想像してみたが、室内は至って静か。空っぽの部屋に蝶番ちょうつがいのきしむ音が反響する。人の気配はなく、淡いオレンジ色の照明灯だけが明々と室内を包んでいた。飲みかけのコップも、ソファに転がったリモコンも、風に揺れるカーテンもそのままだ。私が朝、出勤した時と同じ状態だ。


 「ヒロ君、いるの?いたら返事して」


 返事は相変わらず返ってこなかった。しんと静まり返った部屋に私の声は吸い込まれた。

 

 朝と違うのは、照明灯がついていること。今日は朝から天気も良かったので、窓を開けて目一杯の朝陽を浴びた。照明などつけるはずがない。

 私はすっかり暗くなった窓の外を見やり少し怖気おじげづくも、意を決して照明のスイッチに指を掛けた。


 パチン、と音がすると周囲は暗闇に包まれた。


 ジワジワと視界が暗闇に慣れていく。おおよそ物の配置が確認できたところで私は、ゆっくりと周囲を見渡した。月明かりに染まった青白い室内。そして机いっぱいに並んだ


 『HAPPY BIRTHDAY!!』


 暗闇に文字が浮かび上がる。アルファベットをかたどったおもちゃ、暗闇で光る蓄光性のおもちゃが並べられていたのだ。


 「え……、なにこれ。すごいロマンチックなんだけど。こんなの思いつくなんてヒロ君、すごいじゃん」


 ……とここまで想像できる自分こそ本物の夢想家ロマンチストだと思う。彼はそんな手の込んだサプライズなんてできない。いつだって直球で向かってくる。本当に誕生日を祝ってくれるなら、玄関のドアを開けた瞬間、真正面から「おめでとう」と言うはずだ。


 「全く……、どこ行ったのよ」

 

 暗く鬱蒼とした部屋、この見慣れた部屋が急に他人の家のように思えてきた。

 

 私は大きく息を吸って吐く。少し落ち着こう。

 今朝、彼は何か言っていただろうか。今日は帰りが遅いとか、先にご飯食べといてとか、そんなことは言ってなかったか。……言ってないな。彼の帰りが遅いとき私は決まって近所の銭湯に行く。窮屈なユニットバスから解放され、足をうんと伸ばせる、あの銭湯が大好きだった。彼には悪いが、密かにこの時間を楽しみにしている自分がそのチャンスをみすみすと逃すはずがない。


 いつもと同じ笑顔で私を見送る彼の姿が脳裏に焼き付いている。

 彼はいつもと同じ様子だった。もう少し真剣に探してみよう。私を驚かそうとどこかで息を殺している可能性がまだあるから。隅々まで探してみよう。


 クローゼット、トイレに浴室、キッチンの死角を覗いて、ベランダに駆け寄る。


 しかし、彼の姿はない。 

 それどころか、彼が日中ここで生活をしていた形跡が一つもない。コーヒーの空き缶も、割りばしの刺さったカップ麺の容器も、読み捨てられた漫画の山も、全てが片付いている。いや片付いているのではない。昨日、私が堕落した生活を送る彼を叱って全て綺麗にしたのだ。その時から何も変わっていない、つまり朝からこの部屋はずっとこの状態だったということだ。


 私が出勤するとすぐに彼はここを抜け出し、忽然と姿を消したことになる。


 「あ待って、そうだ」


 私は玄関に急いで駆け寄ると下駄箱の引き戸を開いた。ここを出ていったならば彼の靴はないはず。私は暗闇の中、スマホのライトを照らしてその中を確認した。

 ある。彼の靴が確かにある。お気に入りのスニーカー、オフホワイトのスタンスミス。いつどこに行く時も履いていくこの靴を忘れていくはずがない。じゃあやっぱり彼は、この部屋に―――――。


 その時だった。

 玄関の扉の向こうで不意に話し声が聞こえてきた。私は思わず後ずさりをして、ゆっくりとリビングまで戻りドアをピタッと閉めた。話し声がやむ気配はない。二人の男が何か言い合っていることは分かる。それもこの部屋の方に向かって。そうかと思えば今度はドアの鍵がガチャガチャと音を立てる。金属同士が激しくぶつかり合うような音。横着をして鍵穴に何かを突っ込むような音がする。

 彼ならもちろん合い鍵を持っているはずだから、すんなりと扉を開けて入ってくるはずだ。


 「―――――!」

 「―――――!」


 相変わらず扉の向こうで二人の人間が言い合いをしている。

 玄関の扉とリビングのドアの二重扉に阻まれた私はその内容を聞き取ることはできないが、およそ感情的になっていることは分かった。


 そうか。彼……、友達とお酒を飲んできたんだな。よくあることだ。普段お酒を飲まない彼は、友達と飲む時には気前が良くなって飲み過ぎてしまう。そしていつも家の前まで送ってもらう羽目になるのだが、今日もそんなとこだろう。恐らくぎゃあぎゃあと中学生みたいに騒いでは、歪む視界の中で必死に正解の鍵穴を探しているんだろう。


 何やってんだか。今日、何の日か分かってるの。私にとって、とても大事な日なんだよ。そんな酔っ払った顔で私に何て声を掛けるつもりなの。


 「誕生日おめでとう」なんて言わないよね。言う訳ないか。言えないよね―――――だって今日、私の命日だし。



 一年前の今日、私は交通事故で命を落とした。いつものように彼に「いってきます」と言って出勤をした。ただいつもと違ったのは彼がそわそわしてたこと。私の誕生日覚えてたんでしょ。何かサプライズをしようと思ってたんでしょ。私、全部知ってたんだから。そういうのすぐ表に出るから、分かるんだよね。

 でも本当に気持ちが浮ついてたのは私の方だったんだ。背後から巻き込み左折してくるトラックに気づけなかった。……ホント情けない。

 

 でも、どうしても貴方のプレゼントが欲しくて帰ってきちゃった。いつものように素知らぬ顔で帰ってこれば、同じ日常に戻れるかと思った。



 「ミキぃ!!誕生日おめでとう!!」


 

 リビングのドアが勢いよく開き、彼が姿を現した。

 私の想像じゃない。確かに存在する現実の彼だった。


 「なんで……、ここに」

 「ミキ誕生日おめでとう。あの日できなかったサプライズやっとできた。大家さんにお願いして部屋はこのままにしてもらってたんだ。一年越しでごめんな」

 「違うよ、だって私はもうとっくに」

 「でも悪い、もっと早く来るつもりだったんだけど。大家さんがどの鍵か分かんなくなったって焦り始めてさ……、え?あ、はい!すぐに出ますんで!はい!あれだったら鍵置いといてください!事務室持っていきますから!」

 「なに大家さんに迷惑かけてんのよ」

 「さ、取り直して、誕生日おめでとう………はい、着火!」


 彼は背後からホールケーキを取り出すと、中央に刺さる細い棒に火を点けた。

 その刹那、パチパチとまばゆい火花がはじけ飛ぶ。飲食店でよく見かけるスパークラー花火というものだろう。暗い部屋に安い火花が爆ぜては消える。


 「なにこれ、なんでロウソクにしなかったの」

 「じゃじゃーん、びっくりした?いいだろこれ」

 「こんな派手な火、消せないよ」

 「いつかこういう豪華な演出がしたいと思ってたんだよな」

 「豪華っていうかさあ、これどこで買ったの?」

 「え?なになに?なんでロウソクにしなかったかって?」

 「いや、そうじゃなくて」

 「この火花の数だけお前に長生きしてほしいからだよ。俺って、キザだろ?」

 「バカじゃないの、だから私はもう」

 「あ、きたきた。ビビッと来たよ、聞いてくれ」

 「ねえ、ちょっ」


 「火花を刹那散らせども かぬ命のともしびかな」

 

 体を貫く一本の柱を引っこ抜いたように、彼はその場に泣き崩れた。

 独り言つ言葉の意味を今一度噛み締めたようだった。私の声も聞こえてなければ姿も見えてないくせに、柄になく強がるからだ。


 「ほんとうにっ……、ほんとうに俺…、おまえにばっがかけてごめんな……。いつか、いつか成功するって信じてやってきで……、おまえに頼っでばっがで、いつもいつもあの日もおまえがいてくれるのが当たり前になってだから、なにもしていゃぁれなくでっ……」


 彼は売れないコピーライターだ。おまけに泣き虫。私が養ってあげなければ、今頃路頭に迷っていたと思う。素人目から見ても彼はセンスがなかった。SNSやHPで仕事の依頼を呼びかけ、たまに斡旋業者の元に足を運んでいたが一向に芽が出なかった。それもそのはずだ、彼の言葉には心に訴えかけるものがなかった。

 持ち前の優しく温厚な性格が災いしていたと思う。同業の人間に対して臆病になっていた。熱くたぎるものが彼には欠けていた。


 私はもうあなたの支えにはなれないから。頑張って。火花を散らせ。

 


 (火花を刹那散らせ 終わり)

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