人生最後の5分間

柚木サクラ

第1話

人生最後の5分間は一体誰が決めるのだろうか。死を迎えるその人か、その家族か。はたまた神か仏か。現代日本においてその答えは明確だ。それは、本人でも家族でも神でも仏でもなく、死亡確認をする医者である。医者が死亡確認をすることで、その人は死ねるのである。それまではいくら心臓が止まっていようが、呼吸が止まっていようが、全身がバラバラになっていようが、その人は生きている。対光反射がなくなり、呼吸と心臓が止まっていると医者が確認することで、その人は死亡となる。

私は医者になって、幾度となく人生最後の5分間を見てきた。人間の死というものは、物語で語られるような綺麗なものではない。何かを言いながら死ぬこともないし、大部分の人は以前の元気な姿で死ぬことはない。痩せこけていたり、いろいろな管がつながっていたり。どんな人にもその哀れともいえる瞬間が訪れる。人生最後の5分間というものは、もう死んでいるであろう人、そして、家族に、死を突きつける準備をする時間である。

死の5分前に医者は蘇生を諦める。そして家族にもう諦めてしまった方が本人のためであると説明しに行く。そして死の3分前に家族を入れて、最後の時間を設ける。そこでの家族の姿は様々な姿がある。泣きわめく家族、諦めている家族、達観している家族、最後の時間を静かに過ごす家族。私は死に慣れている自覚はあるが、この瞬間だけは涙が出てしまいそうになる。助けられなかったという自責の念なのだろか、患者家族への感情移入なのだろうか、それともただつられて涙が出そうになるだけなのだろうか。はっきりとした原因はわからないが、良い気分でないことは確かだ。家族の最後の時間が終わって、最後の1分を迎えると、医者は死亡確認をしていく。呼吸音・心音がなく、心電図も動いていないことを確認する。眼に光をあてて、対光反射がないことを確認する。心肺、そして脳が止まっていると判断した時、医者は時計を見る。その時間を宣告したときが、その人の死だ。

私は何百回とこの作業を行ってきた。昔は手間取っていたこともあったが、いまは流れ作業となっている。それでも、人の死というものはつらい。そして、わからない。死というものにほぼ毎日接している私でも、死が何かわからない。私にも人生最後の5分間が訪れる。それまでに、死というものがわかるのだろうか。そんなことを私は日々の人生最後の5分間で考えている。

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人生最後の5分間 柚木サクラ @bynobu

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