優勝しに行こうぜ

 クラブ・マリキータの前を、帰路きろに着く観客が流れていく。

 夜の十時。ロビーに集まり輪を作るグループの中で、二戸クリスは目を赤くらしていた。薄暗いロビーは、開け放たれたエントランスドアから冬の夜風が容赦なく入ってくる。厚着をしたスタッフが、出口で別日のイベントのチラシを帰り際の観客に手渡ししていた。

 アッコに背中をさすられながら、クリスは大きく深呼吸をする。

「落ち着いたか」

 ややトゲのある口調でヨーヘイが問うた。

「はい、ご迷惑をおかけしました」

 枯れるほど流した涙の跡が、クリスの頬に残っている。

 「ミラーズアンド金槌ハンマー」は、準決勝で敗退した。

 ラジえめは試合巧者だった。興奮し怒りをあらわにしているようでいて、頭はひたすらにクレバー。『メロイックサイン』が一曲目に流れることを計画したのは、おそらくクリスのヒーローという言葉を聞いてからだ。テクろーがクリスをナードとののしったのも、『エンカレッジメント・ヒーロー』の言葉の引用。お膳立てをすることによって、DJに曲を選ばせた。来るべくしてきた曲に対して、先攻の利を取らず後攻でジャッジに印象を残すように動いた。

 二曲目以降のDJの選曲も、どちらかというとブレイクダンスに映える曲だった。初見の曲に対応しなければならないライジンに対して、ラジえめは曲を知っていた。クリスは一曲目に強すぎるダンスをしてしまったために、次のダンスで失速してしまった。

 試合運びも、ダンスバトルの勝敗を決する大切な要素だ。総合力の高さで勝っていたとしても、一時の爆発力が試合全てをひっくり返すだけの力になることもある。会場の沸きを味方につけることで、ジャッジの印象をより良いものにすることもできる。個人でダンスのジャンルが大きく違うからこそ、ジャッジの判定に哲学が求められるのだ。

 上手さも当然あったが、ラジえめはミラハンよりもジャッジに好まれた、ということだった。

 試合後、クリスはアニメのような大粒の涙をボタボタとこぼすように泣いた。ラジえめのダンスは圧巻の一言で、負けたくないという思いは当然クリスにはあったが、負けるかも知れないという冷静な判断をする自分もまた頭の片隅にあった。

 クリスに後悔はない。自分の持てるこれまでの集大成を、ダンスバトル内で表現することができた。あれをやれば勝てたとか、もっと事前にこうすべきだったとか、そういういが一切起こらないほどに踊りきった。

 だからこそ、ラジえめの二人と自分との間に実力差があることが、より明確に見えてしまった。それは、後悔よりもずっと厳しい現実だった。

「迷惑なんかじゃねーよ」

 目のわったシゲが、呂律ろれつの怪しい口調でつぶやいた。片手には、相変わらずビールの入ったプラスチックのコップが握られている。

「いいじゃん、泣くほど悔しいんだ。それだけ真剣にやってきたってこった」

「シゲの言う通りだな。泣くほど悔しいなんて、最高だ」

 タニーがクリスの肩をグーで軽く叩いた。

「初出場で優勝できるほどこの界隈は甘くない、ってことですね」

「お?バジルくんも言うようになったじゃねえか。それは俺に対する当てつけか?」

「いや、今はライジンさんについてではなくってクリスくんに言っているんですけど」

「俺も初出場だったしなあー!この界隈は甘くないわあー!」

 ライジンが手を組み後頭部に置いてわずかにのけ反った。

「ライジンさん、バジルに八つ当たりしないでくださいよ、ワガママな子どもじゃないんですから」

 ヨーヘイがいさめると、逆効果とばかりにライジンは体を左右に振って抵抗するようなそぶりを見せた。大きな子どもになったライジンを見て、クリス以外の六人がハハハと笑う。

「まあ、確かに俺もちょっとこの大会を舐めてかかってたな。昔取った栄光なんて、額縁に入れて捨てるべきだった」

「それを捨てるなんてとんでもないぞ!ライジンさん!」

「いや、とんとん、今のライジンさんの発言はものの例えだって」

「たとえ話か!」

 ロビーから、人はどんどんといなくなる。開け放たれた入口から入り込む夜風が人いきれを払い飛ばしていくと、熱気に包まれていた会場は祭りの終わりを思わせる寂しさが足元をひやりとでていった。

「結局、ラジえめが準決勝の熱を保ったまま優勝だったからなあ。ニトクリスとライジンさんで二人のエンジンかけた感じはありましたね」

 ヨーヘイが誰に言うでもなくつぶやいた。

 決勝に駒を進めたラジえめは、ヨーヘイの言う通り、準決勝での勢いをそのままに決勝戦に持ち込んで優勝した。結局、テクろーは全試合でパワームーブを貫き通した。予選から決勝が終わるまで合計七ムーブ。それだけ持ち技にバリエーションがあるのも言葉にならないほどに凄いが、それ以上に七ムーブを踊りきるスタミナは、人間離れしていると言っていい。

 ブレイクダンスに必要な身体能力は、ある意味では体操の選手に求められるそれに似ている。ストリートダンスで勝利できるその身体能力を、ストリートダンスとは別の競技に向けられたならば、もしかしたら大きな栄光を得られたかもしれない。

 それでも、ストリートダンスをする者はダンスに魅せられる。

 それはアニソンダンスも同じだ。ストリートダンスと同じように、優れた身体能力をもって、世間一般に称えられる栄光とは無縁の世界を生きる。

 誰かが彼らを「栄光無き天才」と呼んだ。

「まあ、彼らは優勝できる器よね。テクろーの方はアアニストでも何度も優勝しているほどの猛者なんだし」

 アキハバラ・アニメーション・ストリートダンス、通称アアニストは、個人でアニソンダンスバトルをする最高峰のイベントだ。テクろーはそこで二期連続のチャンピオンに輝いている。

 それでも、あきばるは~らでは敗退続きだった。ラジえめが優勝したのは今回が初めてだ。

 実力があって、勢いがあって、運があって初めて優勝できる。

「あきばるは~ら優勝は、いつかの夢だな」

 ライジンがクリスの腰を叩きながら言った。

「次の目標ですよ」

 眉をハの字にさせてクリスが微笑んだ。

「ほうほう、俺達を全部ブッ倒して優勝する、ってお前は言うんだな?」

「シゲさんには今日勝ちましたもん、僕達」

「おァ!?言うようになったじゃねえかクリスァ!?」

 シゲはクリスに近づくと、その首を羽交はがめにしてもてあそぶ。なごやかに笑い合うグループに、ホールから突然現れた一人の男性が声をかけた。

「おい、ニトクリス」

 真っ赤な薄手のダウンジャケットを着たその男性は、テクろーだった。大きなアニメイトの紙袋を提げており、その中には優勝の副賞としてもらったラノベ原作アニメのヒロインが描かれた抱き枕がギュウギュウに詰まっている。

 いかつい顔つきも姿格好もその抱き枕のせいで台無しであったが、準決勝でクリスに土下座野郎と挑発したことを思いだした面々は、クリスとテクろーの間に自然と割って入るようにして、かばった。

 テクろーは、わずかに眉を上げ、それからクリス達に向けて軽くハンズアップした。シゲとタニーが構えていた体を力を抜いて警戒の度合いを下げると、テクろーもハンズアップを止めた。

「またやろうな」

 それだけを言いに来た、とばかりに、その場を颯爽さっそうと去っていく。どれだけ格好をつけようとしても、優勝賞品の美少女キャラ抱き枕がアニメイトの紙袋からはみ出しているので格好はつかなかった。

 しゲルやそのほかの仲間に合流するようにしてマリキータを出ていくテクろーの後ろ姿を見送りながら、クリスは喉奥から溢れそうになる感謝の言葉を飲み込んだ。どんな言葉も、きっと再びテクろーとダンスバトルをするときに交わす肉体言語には敵わない。

 だとすれば、余計な言葉は全部飲み込んで、その時にまた語らえばいい。

 そんなクリスの様子を、まぶしいものでも見るように眺めていたライジンと、青臭さに顔をしかめるその他の面々。

 ヨーヘイが拍手を一つ打って、全員の視線を集めた。

「それじゃあ、そろそろ俺らも優勝しに行きますか!」

「おっ、良いねぇ~!」

「俺ももうずっと優勝したくってしたくって!」

「シゲは負けてからずっと飲んでたでしょ」

「いや、アッコちゃん、それとこれとは別なんだってば」

「クリス!動いたら食う!食えば今日の全部が血肉になるぞ!」

「なんかとんとんが言うと微妙に意味が違う感じになるのはなんだろうな?」

「あの……優勝って?」

「ああ!……ああじゃねえわ、分かんねえのか?」

「ヨーヘイさん、そのネタも多分通じないッスよ」

「ライジンさんも一緒にどうスか?」

「良いねぇ、久々に俺も優勝しに行くかあ!」

「よっしゃァ!ライジンさんのおごりだぜえ!!!」

「おいタニー!?別に俺はおごりだなんて一言も言ってねぇぞ!」

「優勝っていうのは、優勝ってことよ」

「トートロジーじゃないですか、アッコさん」

「飯食って、今日の反省して、楽しかったーって笑い飛ばすんだよ!!!ほら、どうせ今日も終電なんか間に合いやしないんだろ?お前の今日のダンスは撮ってっから、飲み食いしながら見ようや!」

「おっ、さすがヨーヘイさん!楽しみですねえ」

「それより、場所はもう予約してあるんスか?」

「俺が予約しておいたぞ!近くのモツ鍋屋だ!肉、ニラ、ニンニク!体を作るには最高の食材揃いだな!!!」

「まあ、とんとんの嗅覚なら信頼できるからな」

「ほら、ボケッとしてないで、行くぞ、ニトクリス!」

 酒臭いシゲに肩を組まれ、バジルに後ろから押され、クリスはクラブ・マリキータを後にする。

 そんな七人の後ろ姿を、少し遅れたライジンが微笑みながら見ていた。

 ポケットからスマホを取り出して構えると、すっかり仲間になったクリス達の後ろ姿を写真に収める。

「ライジンさーん、なァにやってんスかあ?早くモツ食いに行きましょうよー!」

「ほら、ニトクリスも言ってやれ。お前の相方だろ?」

「タニーさあ、相方って言い方はどうなのよ」

「それ以外に言いようがないじゃないじゃん。ほら、ニトクリス。呼べ呼べ」

「ライジンさーん、早く来ないと置いていかれちゃいますよー」

「はッ、今までずっと独りだったヤツが、何を偉そうに呼んでやがる」

 クリスの住む田舎と違って、夜の十時でも街の灯りは一向に消える気配がない。

 煌々こうこうともる街灯とイルミネーションの光の中に、クリスは仲間達とともに笑い合いながら消えていくのだった。

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オタクなボクでもダンスでヒーローになれますか? 雷藤和太郎 @lay_do69

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