枝垂桜
@NEMUTAl
枝垂桜
2018年8月、上旬。
僕、田中太郎は、高校一年生。
成績中、顔も中の中、家は金持ちでも貧乏でもない。勿論、ずば抜けた才能は持ち合わせていない。代わり映えのない毎日を過ごしていた。そんな僕は夏休みだからといって、特別なことは何もない。
「宿題だってやり終えることがゴールだし、結局は終わったら皆一緒だ。早く終わった奴が偉いんじゃない。」
誰かのあてつけでもなく、自分をごまかすため、立方体の部屋にそんな言葉を投げかけた。
だが悲しいかな、蝉が僕の声をかき消し、更にやるせない気持ちでいっぱいだ。
ああ、この悲観的な気持ちは暑さのせいだろう。気持ちを変えようと、僕はテレビへと歩を進めた。
これは僕より歳上のテレビ。何でも僕が産まれる前から、ずっとあるらしい。コイツも一切代わり映えがない。
「僕と一緒だな。」
頭を撫で、仲間にそう呟いた。そんな仲間の身体から、量産型の綺麗な声をしていたニュースキャスターの人が発していた言葉。何々、どうやら今年は「暑すぎて蚊も活動出来ない」らしい。
「まったく、どこまで暑いんだ世の中は、選挙活動している政治家か何かか?」
そんな皮肉をこぼしてみる。ところが、僕の頭はすぐ別の思考へと流れていた。
ん?待て待て「ここで暑さゆえに部屋で過ごしている」のと「暑さゆえに活動しない蚊」と、僕は同じだというのか?
いかん、蚊以上の男にならねば!いざ行かん!
そう意気込み僕は迷わず外へと駆け出した。
本当は適当な理由を付けて、宿題から逃げ出したかったのかもしれない。
予想はしていたものの、中と外の気温差、まるで小籠包の蓋の中に入った気分だ。
「しかし、嫌ってほど夏を感じさせる彼等が、今季に姿を見せないとは、何だかなあ。いやいや、別にいてほしいとは思ってないんですよ、ええ。」
僕を馬鹿にするように燦々と照らす太陽を睨んでは、そう呟いてみた。瞳をつんざくような刺々しさがあるので僕は太陽が嫌いだ。
「さて、どうしようか。」
煮えたぎるこの世に負けじと外に出たところで、行きたい場所などはない、いや、むしろ本音をいうならば、今直ぐ帰りたいくらいだ。
だけど、どうだろうか。暑さに打ち勝つために出た矢先、ここで帰ってはただの
「意気地なし。」
そう、そうだ。朦朧とする意識の中で誰かがそう言った。確かに、僕ではない誰かが、そう発したのだ。…え、僕に向けてか?
そんな少しの焦りと、図星をつかれた怒りで
僕は声のする方へと首を動かす。
「意気地なし」
僕の瞳が捉えた彼女は、確かにそう言っていた。
ええと、彼女の特徴を述べるならば、暑さを吹き飛ばすほどの涼し気な瞳、ずっと見ているとビー玉のように吸い込まれそうなほど。そして、アスファルトに対比する肌の白さ。思わず僕は息を飲んだ。息を飲んだ理由は喉が渇いていたからだ、ということにしよう。
いかん、僕はいつからそんな破廉恥な、ああ、いやいや、ところで彼女が誰に何を言っているかだ、それが本題だ。
心の中で一人で暴れては、興味本位で僕の耳を彼女へと拝借してみた。
「貴方は本当に意気地なしね。」
そんなことを言う彼女の目は確かに、上を向いている。
正直に言おう。最初は暑さで頭がおかしくなったのかと思った。小学生の頃あたりで死んだと思っていた僕の微量な同情心が動き始めて、暑さにやられた彼女をこの夏から救ってあげなくては、どこか涼し気な場所は、などと僕はまた一人、頭の中で暴れていた。
そんな死にかけの蝉みたいに暴れる僕に気付くわけもなく、彼女はただ一点を見つめて、こう呟く。
「ねえ、夏に死んでもいいなんて、誰も言っていないわ。どうして、その綺麗な姿を隠してしまうの?私には理解が出来ない、私が貴方なら、春夏秋冬、年中無休、いつでも皆に見てもらいたいと思うのに。」
と、子どもに叱るように、だけれども優しさをどこからか滲み出させるような、そんな声色をしていた。例えるならば、そう。向日葵のような、そんな音色に僕は耳を傾けている。
この時僕は、夏の暑さなどとうに忘れていたであろう。何故なら、彼女の存在に、僕の熱が集中したからだ。夏の向日葵のような、冬の雪のような、そんな彼女は静かに続ける。
「来年まで貴方を待てる自信はあるけれど、来年、貴方は貴方のままでいる自信はあるの?だって、一度は儚くも散ってしまった命でしょう?私はね、とても、哀しいの。姿は変わらずとも、貴方の心が、貴方では亡くなってしまうことが。私も貴方のように一年で、記憶を失くしてしまえればいいのに、貴方みたいに、貴方を。私だけが覚えてるなんてずるいじゃない。」
彼女はとても悲しそうな顔をしていた。耐え切れず、僕は思い切って
「あの、」
と、声をかけた、のだと思う。
だけども恨むべきか、憎き太陽は僕の水分を奪い、枯れ果てた喉は彼女にとって恐らく雑草のような存在でしか無かったのだろう。届いてはいない。
だけどそれで良かったんだ。僕は、次の彼女の行動を見て、そう思った。
彼女はポケットから一枚の花びらを取り出す。
そうそう、ここで豆知識だが僕は花のことには自信がある、なぜかというと、僕が暇だったときに、モテそうだという浅はかな理由で植物を育てていた経験があるからだ。そんな僕が言おう、あれはそう、間違いなく、枝垂桜。花言葉は確か、
「ごまかし。」
僕が思い出すが早いか、彼女はそう吐いた。
「貴方の花言葉はね、ごまかし。世間はそう言うわ。でも、でもね、私は花言葉って好きじゃないの。だって、動物はどんなものであっても、動物言葉、なんてものは無いでしょう?パンダはパンダ、ゾウはゾウ、人間は人間よ。そこに意味なんて無いの。貴方は貴方、他の誰でもないわ。それに、こんなに綺麗なのに、ごまかし、だなんておかしくなあい?私なら、産まれてきた瞬間に、ごまかしだなんて意味を付けられたらたまったもんじゃないわね。」
そう彼女は笑顔で文句を垂れる。
そこで僕はようやく理解したのだ、彼女が語り掛けているのは、近所では少しばかり有名な枝垂桜のあった場所だということ。
もう夏だから桜なんてありはしないが、そこに存在していたのを噛み締めるが如く、彼女は語り続ける。
「だから、だからね。あえて私は貴方に意味なんて付けないの、貴方という存在に意味なんて無いわ。勿論私もよ。だけど大人はね、皆、自分の存在の意味を探しているの。それが無いと、生きていけないから。でも、見つけたとしてもね、死んでしまったら、今日世界で死んだ人、っていう中の統計と一緒になってしまうのよ。結局は世間で、数としかみられないの。馬鹿みたいに思えてきちゃうじゃない?大人達が言う貧困者も、裕福で幸せ者だと決めつけられる私達も、死んでしまったら何も変わらないのよ。それなら今日くらいは、遠くの国にいる人のため思って泣くんじゃなくて、私は私の哀しみを憂いてもいいじゃない?ねえ、貴方はどう思う?…そう、それでね、私も、私もね、貴方みたいに一年ごとに産まれ変わって、全てを忘れたい。いつ産まれても、綺麗だね、って、皆に言われたい。だけど、大人達に私自身の意味なんて付けられたくない、変よね。私は貴方になりたいけど、なりたくもないの。でも、だからこそ、私は貴方を心から愛せるんだわ。貴方と出逢ったとき、とても悲しいことがあったのに貴方は一瞬で私の涙を止めてくれた。自然と笑みがこぼれたの、代わり映えのない日々に色をくれたの、だから、だから、…っ」
“いなくならないで欲しかった”、だろうか。
彼女は嗚咽のようなものを吐いては、弱々しいがハッキリとした声で、見えない枝垂桜に告白をした。
彼女の、か細い腕は確かに震えていて、ビー玉のような瞳からは大粒の涙をこぼしていた。
それをごまかすように、彼女の口端は無理に上へとつりあがって、へんてこな、ちぐはぐに縫ったぬいぐるみみたいな笑みを浮かべる。
果たして、怒っているのだろうか、哀しんでいるのだろうか、はたまた寂しいのか、愛しさでいっぱいなのか、外から見ていた何の代わり映えもしない僕は、彼女の気持ちなんて分からなかった。
だけど、彼女も、極彩色な感情を抑えて愛しい枝垂桜へと語りかけているんであろう。そんな中、僕は、それは無意味だということしか分からなかった。
だって、どうせ、枝垂桜はもう忘れてしまうから、産まれ変わってしまうんだ。来年も、再来年も、新たな「ごまかし」へと。
でもきっと、それで良いんだろうな。
彼女と、今は亡き、彼女の愛した枝垂桜。彼女達は自分の「ごまかし」を通じて、心を通わせているんだ。枝垂桜はいつまでも美しさを持ったまま死に続ける、だけど彼女の愛した枝垂桜は、彼女の記憶の中で、補填され、ごまかしてごまかして、だけれども鮮明に、いくつになっても生き続けるんだ。
と、そんなことを、その場でしゃがみこむ彼女を見届けながら思っては、朦朧とする意識の中で、僕は何事もなかったように踵を返した。そして、もう一度、僕を馬鹿にする太陽を睨み呟く。
「なあ、おまえのことは気に食わないし、代わり映えもしないけど、来年もよろしく頼むぞ。」
今度は劈く光に負けじと、自分の目を「ごまかし」、真っ直ぐ睨み続けた。
その瞬間、太陽が照らし出した、大きな枝垂桜が僕と彼女を覆うかの如く表れたように見えた。
「枝垂桜って、こんなに綺麗だったけな、」
まるで世界が変わったように思え、そう呟いた自分に笑みをこぼした僕は、それを隠すように家路へと急ぐ。
ああ、もうすぐ夏休みが終わる。
そして僕は代わり映えのない日々を過ごす。
来年も再来年も、それでもいいんだ。
だって、僕以外の何かが、毎日めまぐるしく変わっていく。時には本当の姿をごまかしてまで世界を変えていく。存在の意味を探し、それに見合った姿へと、変化する。
そんな世の中で、どれほど心が変われずにいられるかが、大事だと気付かされたから。
枝垂桜 @NEMUTAl
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