今日と明日とT字路の別れ際。

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今日と明日。T字路の別れ際。

「また、明日ね!」


駅を出てすぐのT字路で、僕らは分かれる。郊外のベットタウンのとある支線の駅。帰宅ラッシュの人影は少なくない。

僕と葉月は同じ高校の、同じソフトテニス部に所属していた。中学は隣同士で、練習後の帰りの電車はいつも一緒になった。


葉月は駅を出て右の道へ、僕は左の道へ行く。彼女はすぐ近くのタワーマンションへ、僕は15分歩いた先の古びた住宅街へと向かう。毎日変わらない光景。

分かれ際、葉月が同じ笑顔で「また、明日ね」と言うのも、毎日変わらない光景だった。



………………………………………



「お前、毎日小山葉月と一緒に帰ってるんだって?羨ましいやっちゃな~」


あるとき、クラスの奴にそういじられた。


「そ、そりゃ同じ部だし、駅も同じだしさ」


「またあ。内心得したって思ってるくせによ」


葉月は成績も上のほうで、テニスも上手い。少しボーイッシュなところがあるが、容姿端麗。学年中の男子が憧れる存在だった。もちろん僕も例に漏れず、だ。


「そんなこと、思わねーよ!」


「いい、いい。告る時は言ってな~」


彼はニヤリと笑った。しかし、その目は笑っていなかった。



………………………………………



6月も過ぎたある日も、僕らは傘を持って電車に乗っていた。県大会の予選も近づき、雨の日の厳しい室内練が続いていて、葉月も僕も疲れていた。

葉月は大会の市選抜メンバーにも選ばれ、僕よりも疲れがあったようだった。彼女は重いバックを抱えて、一つだけ空いた席に座った。


「早く終わんないかなー」


葉月はぽつり、と呟いた。


「ん?」


「試験とか、大会とか、全部ぐしゃっとなって終わんないかなって」


彼女の目は少し虚ろだった。


「相澤くんは今楽しい?毎日おんなじ授業して部活のメニューこなして、その最後に嫌なことが待ち受けている生活」


僕は答えられなかった。確かに今の毎日がとても楽しいという訳じゃない。成績が良くなくて怒られ、部活では怪我もあってか補欠にもなれない。ただ何となく毎日を消化している感覚だった。


「じゃあ葉月は、どうしたら楽しくなるの?」


僕は笑いながらそう返した。


「そうだなぁー」


葉月は小さく微笑した。


ちょうど、電車が駅に到着した。僕らは慌ててバッグを担いで電車から飛び出た。うねるような人に押されるようにして、僕らは別々に改札をくぐった。


「遅いよー」


葉月は僕を待っていてくれた。すぐこの先階段を下ってT字路で分かれるのに。

階段を下りて、分かれ際に葉月は思い出したように僕に言った。


「そうだ。さっきの答えね、君になれたら、もっと楽しいと思うんだ」


「えっ?」


「そういうこと!じゃ、また明日ね!」


ちゃんと聞き返す間もなく、葉月は行ってしまった。


「僕になれたら、楽しい?」

帰り道、その事を考えていた。モテるし、勉強もスポーツも出来るし、友達も僕なんかよりたくさんいる。だが、葉月は今が楽しくないと言った。

葉月から見れば、僕は呑気に見えるということなのだろうか?なんだか、少し見下された気持ちになった。僕だって好きこのんでこうしている訳じゃない。僕なりに頑張っても、結果が出ずに誰にも期待されないだけなんだ。


「ただいまー」


僕はようやく家について玄関の鍵を開けた。ただいまと言ったが、両親は仕事で姉はアルバイト。家は真っ暗だった。



………………………………………



あくる日、僕も葉月も昨日と何一つ変わらない日中を経て、一分も違わない電車に乗りこんだ。一つだけ違っていたのは、雨がやんでいたことだ。


「相澤くんは、将来の夢ってある?」


葉月は唐突に聞いてきた。

僕は特になりたい職業や叶えたい目標はなかった。


「そうだなあー。平凡に就職して、平凡に暮らせれば、それでいいや」


「いい夢だ」


葉月はそう一言つぶやいた。遠くを見るような目、少しやつれたショートヘア、らしくない猫背。その声は、彼女の本音のように聞こえた。


「いい夢だよ。頑張って叶えてね」


「別に頑張んないよ」


「えっ、頑張りなよ」


「そういうものじゃないだろ」


葉月はくすっと小さく笑った。透明で、消えてしまいそうな笑顔だった。


駅に付き、いつもの階段を下り、いつものT字路の前に出た。いつもなら僕は左、葉月は右へと流れるように行くのに、今日は少し違った。葉月はT字路の前で一瞬立ち止まって言った。


「今日は左から帰ろうかな」


僕は内心驚いた。ずっと毎日変わらなかった光景が、今日変わったからだ。僕は表向き冷静を装ったが、いつもと違う変な感覚を覚えた。


「えっどうしたの?突然」


「気分だよ。気分」


「そんなら、いいけどさ…」


少し腑に落ちなかったが、それでも僕と葉月は並んで左の道へ曲がった。葉月は無邪気で小さな子供のように笑っていた。


「こっちの道って、始めて来たんだ。なんか探検みたいだね」


もちろん僕はいつもの帰り道と変わらなかった。ただ、隣に葉月がいるという事実はそれだけで十分な非日常だ。


それから10分ほど他愛もない話をして歩いた。今歩いている道はいつもの帰り道ではないかもしれない。何度も錯覚した。

そして、二つ目T字路に差し掛かった。ここを左に行けばすぐ僕の家に着く。右に行けば、ぐるりと遠回りして葉月のマンションへ着ける。


「大丈夫だったの?かなり遠回りになったろ」


僕は聞いたが、葉月は何だか楽しそうだった。


「たまには知らない道を通るのもいいね。すごく新鮮」


「じゃあ、気を付けて帰りなよ?」


「うん、わかってるよ。ありがとね、バイバイ!」


僕は葉月の後ろ姿を見送った。そしてなんとも不思議な充実感に満たされて、家に帰った。



………………………………………



翌日、葉月は学校に来なかった。放課後、部活のミーティングに集まると、顧問の先生が開口一番、こう言った。


「小山だが、怪我をして当分来れないらしい。一先ず、選抜メンバーには八津が入って練習してくれ」


怪我…?!葉月が?


もし昨日分かれた後に事故にあっていたとしたら…。僕は気が気でなくなった。職員室に戻りかけた先生を走っていって呼び止めた。


「先生!小山は大丈夫ですか?!」


「ああ、小山のことは今は考えるな」


「違うんです!昨日、一緒に帰って、それで………」


先生は一瞬はっとしたが、すぐに眉を寄せて、僕を校舎のすみに連れていった。


「小山のことだが、お前なら何か知ってるか?」


「え?」


「いいか?誰にも言ったら駄目だぞ。だが知っていることがあれば言ってほしい」


「な、なんなんですか?」


「小山は、小山は今日未明にマンションから飛び降りを図ったらしいんだ……幸い命はあったらしいが、意識が戻ってないそうだ。…この後俺も病院へ行く」


僕は何か悪い夢を見ているような気持ちだった。葉月がマンションから飛び降りるなんて、冗談だとしか思えなかった。


気がつくと、僕は先生に病院へ連れていってほしいと、泣きながら頼み込んでいた。



………………………………………



病院へ着き、先生と一緒に病室に入った。葉月は酸素マスクを着けて、包帯を巻いた姿で寝ていた。隣の母親は始終泣いていた。父親と先生はなにやらしきりに話していた。「いじめとかは、全く………」先生がそう繰り返す声が何度も聞こえた。


ふと、僕の立っている隣のテーブルに一枚の紙を見つけた。薄いA4の紙。葉月の文字だ。





明日って何だろう。希望、期待、夢、憧れ。きれいな言葉がいっぱい。でも、本当はそうじゃないのかもしれない、と思い始めました。

普通になりたいと思いました。普通に生きたいと思いました。でも、それはできませんでした。

いままでたくさん妬まれました。でも、始めて人を妬むことができました。私は、進む道を間違えた気がします。



薄い字。だが一文字一文字、しっかりとした葉月らしい字だった。



僕は病院を出た。日は沈みかけ、空は憎いほど鮮やかな深紅に染まっていた。

僕は一人、夕日を見ながら考えた。

あの時、あの別れの時、僕に何か出来ることがあったのかもしれない。かけられる声があったのかもしれない。昨日の笑顔は、もう吹っ切れていたから?

なあ葉月、道を間違えたなら、戻ればいいんだよ。一方通行じゃないんだ。もう一度戻ってきてくれよ………。

この声は届くのかな。

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