第5話

事件が起きている。

教室に戻ると女生徒の一人が憤怒していた。

初めはケンカでもしているのかと思ったが激昂女の攻撃対象、対峙している女生徒は困惑の表情をしながらも相手を落ち着かせようと謝罪を述べていた。一方的に因縁をつけられているようだ。


話の通じない、聞く耳を持たない人間は恐ろしい。自分の思い通りになるまで相手に容赦をしない。地位を持っているとさらにタチが悪くなる。自分のネットワークを駆使して気に入らない相手を叩き潰しにかかる。


人類最大の武器は個の力ではなく圧倒的な集団力だ。数の暴力は歴史すら変える。


激昂女はこのクラスで上位カーストに属している。つまり相手を社会的に抹殺出来る条件を有してる訳だ。まぁ校内限定なので社会的と表現するのはいささか誇張的だけれど。

幸いにもふっかけられている少女もまたスクールカーストの上位者。なので内輪揉めというやつだ。心配しなくてもすぐ収束して数日経てば元の鞘に納まるのだろう。


……と高をくくっていたのだけれど。

僕の予想に反して激昂女の怒りは収まらない。

教室内騒然。クラスメイト唖然。

騒ぎを聞きつけた野次馬も集まってくる始末。


激昂女がいよいよ相手の胸ぐらを掴んだ。

見兼ねた男子生徒たちが慌てて仲裁に入る。

男子生徒たちがやっとのことで二人を引き離すことに成功するが、勢いが強すぎたせいで胸ぐらを掴まれていた少女が後方によろめき尻もちをつく。その際、運悪く机の角が少女の顔にぶつかる。


数秒の静寂。


騒ぎを傍観していた女生徒の一人が不愉快な高音で悲鳴をあげる。

倒れた少女の白い肌に鮮血が流れていた。こめかみあたりから出血している。

再び教室が悲鳴、叫び声で混沌とする。


その後、血相変えた教師が到着するまで教室は大混乱。結局、収集つかずに5・6時限目は自習となった。



放課後、朝から降っている雨と強烈な風は止む気配がない。大きな力の前に人は無力だ。これからの道のり思うと憂うつだ。


廊下を歩いていると見慣れた養護教諭が向かいに見えた。


「君、この荷物を運ぶのを手伝ってくれないか」


先生は両手を揺らしダンボールの位置を整える。


「保健室まで持っていけばいいんですか?」


僕は先生が持っていたダンボールを受け取り、体の向きを180度回転させる。


「そうだ。君のクラスが事件を起こしたから備品を補充しなきゃならんのだよ」


そう言うと、先生は僕を責めるように目を釣り上げる。


「なぜ僕が怒られる……」


手伝っているのに不満を言われるとは理不尽だな。


「女子のピンチなところを颯爽と助けるのがヒーローだろう」


「はぁ」


自分はヒーローになった覚えなどないのだが。


「気の無い返事だな。君は主人公なんだからもっと気合い入れてくれ!」


「僕、主人公だったんですか?」


「ん? 君はゲーム内のキャラクターみたいに他人に選択肢を委ね、操られて生きているのか? 私は自分の為に日々過ごしているぞ。ヒロインってやつだな。ふふっ」


「なんの話ですか?」


アラサーヒロインはそれには答えず、保健室の扉を開けて入室するよう微笑し促す。僕は先生の机に備品の入ったダンボールを置く。

先生に任務完了の旨を伝えるために振り返えると、背筋がゾッとした。

かなりの近距離に先生が立っていたからだ。


「本当は助けてあげたかったのではないか? 君を初めてクラスメイトであると認識してくれたあの子を」


無機質な冷たい目が僕の心臓を凍らせる。


「先生、なんでそれを知っているんですか」


昨日の自販機のやり取りを先生が知っているはずがない。この人は保健室に居たはずだ。ドス黒いモヤが頭の中に生まれ、目がチカチカする。


「今知りたいのはそんな事か? 君は予期していたんだろう。クラス内で事が起こることを。毎日裏サイトを覗いているんだ。それを予測できない人間でもあるまい」


「……」


自分の心が見透かされているようで気味が悪い。確かに僕は掲示板を見て、いずれクラス内で事が起こるであろうとは思っていた。

しかし先生は僕が裏サイトを閲覧しているとどうして知っているのか。


「邪の道は蛇。聖職者にはそれなりの権力が与えられるんだ。特定の人間に絞れば生徒の行動はある程度把握し得る。観察をしていれば十数年間長く生きている分、対象者の性格も想定出来るさ」


僕の考えがまとまらないうちに先生は矢継ぎに話を継続する。


「歯がゆいな、情報を持っていてもそれを活用する術がない。哀れだな、力を持っていない人間というのは。廊下で君が考えていた通りさ。君は無力だ。現状成し遂げられることはなに一つとして無い」


「っ……!」


知っていた。頭で分かってはいた。いくら斜に構えて社会の真理を知ったつもりでいても、僕には何も出来ない。他者はおろか、自分自身を変えることすらままならない。


先生はゆっくりと口角をあげた。

彼女の目に光が少し戻り、いつも通りのアンニュイな雰囲気に変わる。


「すまない。現実を突きつけるために君の心を傷つけた。しかし1ヶ月も待ったのだからこれくらいは邪険にしたって良いだろう? 冗談。君は考えることの出来る人間だ、無力ではない。私は君が好きだよ。もちろんライク的な意味でだが」


僕は他人を信じられない。けれどこの時だけは僕自身がこの人は本心を言っていると何故だか確信出来た。


「初めて他人に好意を持たれました」


思わず本音がこぼれた。僕はもう人と解り合えることなんて諦めていた。でもそれと同じくらい強い気持ちでいつか誰かが理解してくれることを期待していた。


「ふふっ。キミの初めてを奪ってしまったようだね。では責任を取ろう。いや、そういう意味じゃないよ。だから一歩ずつ退くのは止めたまえ。地味に傷つく」


足がおぼつかなくて後ろに下がっただけなのだけれど、先生は少し慌てていた。


「こほん。では本題に入ろう。私と協力関係、同志になってもらいたいのだよ。私は君に力と情報を与えよう。その代わり君は私の手と足、そして時には頭になって欲しいのだよ。さあ、この小さな世界をぶっ壊してやろうじゃないか」

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それでも日々は行進する 八子 みやこ @galigalikozo

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