春になったら。

月宮はる

春になったら。

その日はとても穏やかであたたかかった。




ついこの間まで満開だった桜はもうほとんど散ってしまって


今は鮮やかな緑の葉をつけ始めている。


そして僕はいつも通り、彼女を待っていた。





『シュウくん』



ひとつ風が吹き届いたその声に、ふと振り返る。



ふわりと揺れる栗色の髪。

薄桃色のワンピース。


小さく微笑む彼女は、一か月前、初めてここで出会ったあの日から毎日この場所に現れる。



でも今日は、どこか少しだけ寂しそうな顔をしていた。



「どうしたの」



そっと手をとると、彼女は ううん、と言って目を逸らした。


それから、今日は5分しかいられないの、と付け加える。


彼女にも用事があるのだろうと、僕もなんとなしに うん、と返事をして、2人いつもの道を歩き出した。



彼女は、かすかに潤む瞳に僕を映す。




『シュウくん、覚えてるかな。初めてここで会った日のこと。』



「もちろん、覚えてるよ」



仕事でうまくいかず気分が沈んでいた僕は、気分転換を兼ねてこの川沿いを散歩していた。



季節外れの雪を降らせる桜並木を見上げながら、そのうちの一本にもたれかかり、

気づけばうたた寝をしてしまっていたらしい。



誰かに肩を叩かれて目を覚ますと、そこに彼女の姿があった。




初対面だったはずなのに、まるで、ずっと前からお互いを知っているかのような懐かしさがあったのをよく覚えている。




話すだけで心が落ち着いて、いつしかこの川沿いの桜並木を散歩するのが2人の当たり前の日課になり_____






僕の手を握る華奢な手に、少しだけ力がこもる。



『また来年も…ここで会えるかな』



「来年だなんて…明日も、明後日も、また会えばいいじゃないか」



すると、彼女は小さく首を振った。



『私は…もう、行かなくちゃいけない。』



その瞳から、はらりと透明な雫を落とす。




『シュウくんが笑ってくれたの、嬉しかったよ』




状況が飲み込めない僕は、彼女の言葉と涙の意味がよく分からなかった。



すると、もう木は花びらをほとんど残していないはずなのに、どこからともなく、あの日と同じ雪が降り始めた。



『桜の神様にね、お願いしたの。

最後に5分だけ、シュウくんに会わせて下さい、って』



「桜の…神様」





いつか、彼女がしてくれた話を思い出す。



4月最後の日、桜の花が残っている木の下でお願いごとをすると、桜の神様が叶えてくれる、と。




『でも…桜の神様もそろそろ限界みたい』




するりと彼女の手が離れる。




また一際強い風が吹き、桜の花びらが宙に舞った。




『また、次の春にね。バイバイ、シュウくん』




あたり一面が優しい光に包まれて、僕はとっさに手を伸ばした。



ゆっくりと薄くなる腕を掴んで抱きしめた時、もうそこに彼女の姿はなかった。





そっと手を開くと、そこには1枚の桜の花びら。



ぼやけてゆく視界の中で、僕はまたそれを握りしめた。





「…春になったら、また会おう」





あたたかい風が、まるで彼女の返事のように僕の髪を撫でていった。


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春になったら。 月宮はる @Haru1187

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