火花を刹那散らせ

青い向日葵

入浴介助

 早朝から、職員の間では、この場所は戦場のようだ。連絡ミスと先方の勘違いによる送迎のトラブル、理由なしの当日キャンセル。急な見学の申し込み。ちょっと近くに来たからと、利用中の方の担当ケアマネージャーによる予定外の訪問。挨拶から話が長引くこともあるが、現場の人間として一つ一つ対応せざるを得ない。まさにドタバタの連続である。



「早く入浴ケア始めてね。今日は午前中に10人。身体的に介助が大変な人から先に」

 管理者は、家族からの要望もあって、利用者様の入浴は必ず予定通り遂行するように、毎日厳しく言う。相手が人なのだから、そんなにうまくいくとは限らないという大前提は考慮に入れてはならない。そこを滞りなく実行するのがプロの仕事ということなのだ。

 まあ、その通りなのだが、内容と質の問題である。


   ◇


 ここは、高齢者向けのデイサービス。通所介護施設である。私は、駆け出しのパート職員だ。

 異業種から転職してきた私のような低資格の者は、難易度の高い医療ケアは法的にも出来ないので、入浴介助が主な仕事になる。


 私は、お風呂のケアが好きだ。確かに高温多湿で重労働、生命の危険を孕む厳しい仕事であるが、ここでは個浴(1人ずつの入浴)であることも影響して、浴室では、ほんの少しだけ心を開いて、誰にも言えないことを話してくれる利用者様がいることも事実なのだ。

 私を信用し、そっと打ち明け話をするお年寄りの表情は、時に小さな子供のように愛しく思える。

 同時に、彼らは私の何倍もの時間を、激動の時代を跨いで生きてきた人生の大先輩であり、何気ない言葉にも深い含蓄がある。学ぶところは計り知れない。



 私は、先月から利用を開始された認知症の女性、淑子よしこ様の頑なさが気になっていて、個人的に、より丁寧なケアを心がけていた。この方は中程度のアルツハイマー型認知症である。

 ひとたび環境に慣れてしまえば、それほど一々気にしなくても、利用者様側の誤解や不安といったネガティブな思いが壁になることもないのだが、新規のまだ探り合いの段階では、ちょっとした言葉遣いや仕草などで、場合によっては取り返しのつかない不信感が根づいてしまう。

 何よりも、まず信頼関係を構築することから始めなくてはならない。


 この日の出席者の中で、最も身体的介護度が高いのも淑子様だ。大腿骨折による入院の後、要介護度が上がり、現在の認定は要介護4。普段の状態では、おそらく要介護2といったところか。


 一番風呂というのは、心理的にも優遇されているような気持ちにさせる。実際には浴室がまだひんやりとしていたりして、高齢者にとっては、あまり快適ではないことも多いのだが。

 入浴係の私は早速、今日一番のきれいなお風呂はいかがですか、と声をかけてみるが、来所の時から入浴を拒否する発言を繰り返している淑子様だった。

「あたしは入らないって言ってるでしょう。わからないの?」

 拒絶の一点張りだ。


「皆様そのように仰いますから、私共がおすすめするのです。遠慮もお気遣いも要りません。私は淑子さんのよろこばれるお顔が見たくて、今日もここに来て働いています。私に仕事を頂けませんか。退院されたばかりですから、なるべくお身体に負担が掛からないように、お手伝いさせてください」

 私は、嘘八百の演技が苦手だった。だから、少々恥ずかしいけれど、本音をぶつけてみる。若者(利用者様から見て)が真摯に請う姿というものは、高齢者の尊厳に訴える。彼らの意思に委ねるというていを取るのだ。


「あんたが、お風呂の係かね」

「はい」

「あんたもここの先生だよね」

 高齢者の方々は、私たちスタッフを先生と呼ぶことが多い。体操や脳トレを行うことからも学校のような感覚なのだろう。

「はい、職員です」


「入ったら、あとは横になって寝ててもいいかい」

「勿論です。ご自由に、ゆっくりとお過ごしください」

「よし、行くか」

 こうやって、すんなりと成功する時もある。昼寝の要望は、入浴が終わる頃には忘れられている。

 デイサービスでは、夜に自宅でしっかり眠っていただく為、充分に活動させることが重要なのだ。昼夜逆転のお年寄りは、ご家族にとって非常に大きなストレスの原因となる。

 デイの重要な役割には、家族の負担を軽減することも含まれている。


   ◇


 そしてこの日は、お願い作戦は失敗だった。


「あんな言い方、スタッフとしてどうかなあ。もっと器用に演技してさ、さらっとやればいいよ」

 先輩からは正論が飛んでくる。だけど私は、この時の淑子様に関しては思うところがあって、誰の助言も響いてこなかった。

 利用者様の信頼を得たい。一度でいいから、この人は嫌じゃないと思ってもらえれば、あとは自ずと、必ずうまくいく。

 認知症では、感情が失われることはないという。寧ろ、思考する能力が低下することで、快・不快などの本能的な感情が研ぎ澄まされるようなイメージだ。人に対しては、名前は覚えられないけれど何となく知っているとか、好きか嫌いかなどの直感的な印象だけが意識に残る。


「ねえ、ちょっと、まだ入浴始めてないの? 間に合わないよ。ちゃんと10人、必ず入れてね」

 強い口調で、管理者が言う。返す言葉はない。時間は過ぎてゆく。

 負けるもんか。私は静かな表情の裏で、少しの仄暗い感情と抑えきれない強い思いが膨らむのを感じていた。

 熱くなる動機もポイントも完全に履き違えているのは承知で、私は誰より穏やかな笑顔を作り、持てる限りの演技力を駆使して、淑子様に語りかける。

「淑子さん、この前ご一緒させていただいた時のことは、もう忘れてしまったかしら。夏蜜柑の香りの入浴剤を入れてね、あれはまだ残っているかなあ。確か、あったと思います。もしかしたら、最後の一個かもしれません」


 お嬢さん育ちで、裕福な家に嫁いだ奥様で、風流な遊びの好きな淑子様は、鋭い目をこちらへ向けた。

「まだあるのかい」

「はい。今すぐ確かめに参りましょうか」

 私は、間髪入れずに淑子様の手を取り、よいしょと反射的に立ち上がった彼女に、自分の二の腕を軽く掴むように促した。そして肘の下から両腕をそっと支え、引っ張らないように誘導する。腰を落として、私が後ろ向きになって、慎重に先を歩く。

「いち、に。いち、に。ゆっくり行きましょうね、いち、に。ここから少し上り坂です」

 淑子様は、スムーズな足取りで進む。脱衣所への緩いスロープを難なく越えて、何事もなかったように、呆気なく浴室に到着した。


「お疲れ様でした。すごく良い感じに歩けましたね。今日のリハビリは順調です。連絡ノートに書いておきますね。しっかりと筋肉を使いましたから、お湯で温めて解してあげましょう。気持ち良いですよー」

 淑子様は、疲れたのか無表情で、備え付けの椅子に、くたっと座っていた。もう抵抗はない。入浴剤の話は、既に忘れている。尤も、根拠のない嘘はよくないので、入浴剤は実際にいくらか在庫があるのだが、夏場は殆ど使うことはない。香りは夏蜜柑ではなくて、柚子のブレンドである。


 手順に従って脱衣を介助して、浴室内へ誘導する。肘掛け付きのシャワー椅子に腰を下ろすと、淑子様は、自ら頭を垂れて両手でぴったりと耳を塞いだ。

 私は自分の手に湯をかけて温度を確認してから、頭を洗いますね、と耳元で聞こえるように声をかけて、すぐに洗髪を始める。

 利用者様の頭に直接シャンプーや、酷い場合はコンディショナーも同時にかけてサッと撫でるように形だけ洗い、すぐに流してしまう職員もいる。だが、私はどうしても、洗うなら自分が毎日いつもそうするように隅々まで清潔にしたいし、シャンプーの軋みを滑らかに整えるのがコンディショナーだと思うので、順番は守っていた。


 この違いで、所要時間にも当然、差が出る。職業的評価が高いのは終了が早いほうだ。実態を知るのはスタッフ本人と認知症や高齢の利用者様だけ。状況的には、やりたい放題と言えなくもない。

 だが、もし仮に速さだけで高い評価を得たとして、処遇が変わるわけでもなく、利用者様の満足度には関係ない。それどころか、実際にケアの質が低下している。あってはならないことなのに。


「人に頭を洗ってもらうっていうのは、気持ちがいいねえ」

 不意に、別人のように柔和な淑子様の声が聞こえた。横顔を覗き込むと、微笑みさえ浮かんでいる!

 こういう瞬間が、私がこの仕事をする意味のすべてだ。

「さっぱりしますよね。よかったです」

 心の底から淑子様に共感し、なんの意図もなく話しかけていた。仕事だからではなくて自然発生的に、声をかけずにはいられない時。心を揺さぶられる一言。これが純粋な人と人とのコミュニケーションではなかったか。


 淑子様はおそらく、シャンプーが済んで頭をタオルで拭いてしまえば、私の手でシャンプーをしてもらったという記憶自体は忘れてしまう。けれども、同時に感じていた今この時の「気持ちがよかった」という感情は心に残り、帰宅しても忘れないのだ。これが人間として最も大事なことであり、ケアの基本だと私は信じている。


「淑子さんの気分がよくなって、私も嬉しいです。ありがとうございました」

 入浴を終えて、ぼんやりしている淑子様に話しかけ、私はドライヤーの温風を洗い髪に向ける。ただ水分を飛ばすだけでなく、髪の毛の艶を出し、梳かして整え、本人の持つ元々の美しさを引き出す。

 これは、整容という歴とした介護ケアの一つである。この時の私は気持ちだけでやっているのだが、人が人として生きる為に必要なケアなのだ。


「淑子さんの髪は、とっても綺麗ですね」

 本当に思ったことをそのまま言った。

「おとうさん(夫)がね、長い髪が好きでねえ。ずっと伸ばしてたの。だけどね、娘がうまいこと言って、バッサリ切ってしまって。なんとまあ、こーんな短くなってしまったのよ」

 淑子様の髪型は、顎までのボブである。入院の際にロングヘアを散髪したのだろうか。それとも、もっと前のことだろうか。


 この時の淑子様は、私にとっては認知症患者でもクライアントでもなく、身近にいるひとりの女性だった。亡き夫の愛した長い髪を思う女心が胸に沁みた。

 私は時々刻々と迫るタイムリミットを暫し忘れ、目の前の小柄な老女が歩んできた長い道のりに思いを巡らせながら、二人きりの狭い脱衣所で、艶のある美しい白髪を梳かした。

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