顔にタヌキと書いてある

青木誠一

第1話

 タヌキがまた逃げた。

 今度はかなり遠く、位置情報を確かめられる範囲を超えて。

 しかも前回と違って、悪ずれしてる。捕獲は無理だし、自分から戻ることもあるまい。

 こんなのってありかよ、と谷は思った。

 役立つだろうと仕込んでやったら、技だけ習って礼も言わずに姿をくらます。

 見つけるのは至難だぞ。

 あいつ、何にでも化けるからな。



†             †             †




 数日後、白ずくめの美女が訪ねてきた。

 くっきりと彫りの深い顔立ち。細身のわりに大柄で、しっかりした歩き方をする。

 妖しい。

 全体に静的な印象ながらも、抜けめない野生的な光を宿した目は、今はおとなしく構えているだけで状況次第では一直線に飛びかかってきそうな気配を漂わせる。

 敵とも味方ともつかない相手だが、ころがり込んだタヌキに化け方を教える彼のこと、何が来ようとひるみはしなかった。  敵とも味方ともつかない相手だが、ころがり込んだタヌキに化け方を教える彼のこと、何が来ようとひるみはしなかった。


 ポップスの作曲と作詞、若いタレントの育成を手がける谷優(たに・まさる)は日本の音楽界で実力にふさわしい業績を挙げてきた。才能は海外でも少しは認められ、外国人との共同作業でオスカーを受けたこともある。

 実年齢はすでに中年の域とはいえ若作りの格好で通しており、端正な風貌とあいまって若い女性と並んでもあまり違和感はない。

 けれども今相手にしているのは、若い女性ではない。

 キツネだった。


「タヌキが逃げたとか」

 自己紹介も何もなし。すべてわきまえてるといった風で、用件を直入に切り出された。

 なんたる情報伝達力。タヌキを家に置くにはキツネ族への届出が必要だったのだが、家出したことまでたちどころにわかってしまうとは。

 谷はそらとぼけた態度で応じる。

「勝手に出て行って、自分の意思で戻ってこないだけなので」

 そういうのを逃亡というのです、と突っ込まれると思ったが。相手はこちらの言い訳はまったくスルー、事後の方途に話をもっていく。

「いずれにせよ、もう、そちら様の管轄にはないわけですね」

「いいえ。こちらが向こうの管轄でなくなっただけでしょう。それと、居場所も判明しています。八キロ四方で手を尽くして探し回ったのですが、探した範囲には存在しないと確認されました。ということは、それ以外のところにいるのが確実……」

 女はうんざりした面持ちで吐息をついた。む、獣くさいぞ。

「そういうのを失踪と呼ぶのですよ」

 うわ、突っ込んできた。


「あなたのなされたことは人の道を踏み越えています。やるに事欠き、人からタヌキに御技を伝授とは。もとより妖術など不要な人の身でなにゆえ、タヌキになど技を仕込んだのでございましょう?」

 おい、決め付けるな。妖術は人外の専売特許じゃなかろうに。人の身で習得して何が悪い。自分たちは車を暴走させるのに、俺たちにはおとなしく信号を守ってろというわけか?

 それでも、角の立ちそうな意見出しは控えねばならない。

 彼は、教え子にいかに愛情を感じたかわかってもらおうとした。

「あいつを見ていたら、いろいろ教えてやりたくなったのです。しかも習ったことはなんでも覚える。とても教育欲を刺激される教え子でした」


 女は、こばかにするように口元をゆるませる。

「見せかけだとわかりませんでした? あの種族に人の振りはできても、人と融和する気はないのです」

「うまくやれると思ってました。タヌキの中でも、あいつは特別だと信じてました」

「タヌキに化かされた人はみなさん、そう言います」

 女の姿をした異形の者はしたり顔で、ゆっくりと瞬きしてみせた。

「性(さが)なのですよ、彼らが人を騙すのは」

 キツネからそう言われると迫ってくるものがある。


 女は、さらに非難を続けた。

「あなたはわたくしどもが人と共存してきた世界をかき乱す真似をしました。責任は取っていただきますから」

 人と共存? 谷は女の言葉をいぶかしんだ。正体を隠して、人間界にゲリラ戦術で対してきただけだろ。タヌキとも共存できずに化かし合いを続けてるくせに。

「責任を取るとは……罰金ですか? 結構です。提示された額をお払いします。あとは、タヌキが戻っても二度と逃げないよう鎖をつけ檻に入れて飼うことを約しましょう」

「その必要はありません。あなたはすでに、あのタヌキへの扶養権を失っています。住所不定、人との絆もない、衛生処理を要する個体として扱われるでしょう」


 一概にタヌキもキツネも人を化かすとされるが、実のところ日本の闇世界はキツネが牛耳っている。キツネは人々に自分たちを信仰させることで地歩を広げた。マイノリティとして片隅に追いやられたタヌキは、そんな中で細々と命をつないできた。

 谷がタヌキを家におく時も、容易ではなかった。キツネたちの領分を侵さぬよう責任もって「飼育」を果たすと誓うことでやっと認めてもらったのだ。

 だが谷は、その誓約にそむいた。

 いきおい、生殺与奪の権限をキツネどもに握られた。

「すなわち、当方で見つけ次第、処置させていただきますので」

 これは参った。抹殺するということだ。いかん。逃げられても愛着はある。

 谷は懸命に食い下がってみせた。

「あいつは静かな場所は好まない。賑やかな人群れの中にまぎれこむ習性があるのです。稲荷神社になど入り込んでご迷惑はおかけしません」

「もとより当方の領分には立ち入らせませんのでご心配は無用かと。だいいち、あなたの誓約では信用なりません」

 さすがにムッとくる。キツネの口から信用できない相手だとは。

 反射的に言い返す。

「信用ならないとは。お狐さまから言われたくない言葉です」

 相手もムッときたようだ。

「わたくし、キツネじゃないんですよ。姿が似ているのでよく間違われますけど」


 知ってる。

 荼枳尼天(ダーキニー)が乗ってきたのは別の生き物だ。ジャッカルに近い異界の猛獣なのだが、日本ではキツネということになってる。

 実際まぎらわしいから、キツネと呼び続けよう。


「だいたい、そちら様はなさることが粗相なのですよ」

 女は喧嘩でも売りたいかのように、とがったことばかり言う。

「隠秘術にほんの少し触れた程度で奥義をわきまえたマスター気取り。他の人間より少しばかり高い位置から森を見ているだけなのにオカルト世界を知り尽くした口ぶり。 あなたのような人間はタヌキになど関わらず、せいぜい人間の少女を仕込んでくだらない詞を付けた拙劣な歌を歌わせていればよかったのです」

 人の世での成果まで否定されたとあっては、さしもの谷も言い返さずにいられない。

「そのくだらない歌が世界中で結構、歌われておりまして。そんな程度でも人間の世界では権威として名が通るのです」

 相手は肩をすくめるように、冷笑の態度。

「人間の世界の住人でなくてよかったと心から思います」

 谷の口調はもはや買い言葉になっていた。

「あなたがたのほうこそ、広い世界のことをご存知なのですか? 狭い日本の中で威張っているだけではありませんか。あなたがたがこの国で引きこもっている間に、キリスト教世界の堕天使たる悪魔は全地を制圧しましたよ。そこまでこの国で権威を行使できるのなら、いっそ国外にも討って出たらどうでしょう? 悪魔が怖くて、海外では威張れませんか? なんと内弁慶な」

 図星だったようだ。

 相手はあごをギリギリとせり出してきた。

「言っておきますが。わたくしたちに守られたおかげで、この国はコーカソイド系の妖魔に征服されることから免れています。感謝していただきたいものですね」

「鼻先のとんがった妖魔には牛耳られたまま」

「なんですって?」

 キツネ女は、飛びかからんばかりに身を乗り出した。

「今、聞き捨てのならぬことをおっしゃいましたね」


 相手を怒らせてしまえばもう、谷のペースである。

「あなたがたのように大きな耳では小さな言葉でも聞き捨てられないでしょう。でも、あなたたちは姿を変えられる。すこしくらい見かけを馬鹿にされても痛がることないのに」

「人の分際で人外の容姿を笑えるとお思いなの?」


 ついに、谷とキツネ女は、罵りあいを始めた。

 だが谷のほうが口がうまかった分だけ、こうむる打撃は相手のほうが大きい。

 キツネは口での喧嘩をやめ、怒りを行為というかたちであらわすため蹴るようにして席を立った。


 女はまず、居間のグランドピアノをぶっ壊した。西洋技術の粋をきわめた逸品を。一撃で、厚みのあるビルディングでも粉砕するように。凄まじい物理的振動をひき起こして。まあ建物は防音構造なので外には聞こえまい。しかし何百万円もする奴だ。滅多に弾かないが、飾り物としては良品なのに。それでも一番強く感じたのはもったいないとかよりも、後始末が厄介だなという思いだった。

 続いて女は、テーブルやソファを人には不可能な怪力で四散させ、自身が暴れる空間を確保したのち、効果的に室内の調度を攻撃する。

 谷の体は腰掛けたソファごと跳ね飛ばされ、ひっくり返った。

 キツネは、家の中の名品をあれこれ選んで打撃をくわえるというより、まるで舞うがごとく美麗なフォームをもって触れるものにかまわず回転運動をおこない、破壊をきわめる。その周囲に谷の家が置かれたようだった。

 豪勢だった応接間を破壊しつくすのに一分かかっていないだろう。


 キツネ女は、荒く息をずませながら、谷の喉笛に喰らいつくのだけはかろうじて制している様子だった。

「ようござんすか? 今度わたくしに不快な思いをさせたなら、息も脈も止まるものと思し召せ」

 そうして獣性を剥きだした真赤な眼で谷を睨め付けつつ、キツネ族のゲシュタポ長官としての立ち場から啖呵をきってみせる。

「言い置きしますけど、もしもこの期におよんで、あのタヌキを匿ったり逃がそうとしたなら、あなたもタヌキとおなじになるとお覚悟なさいまし」


 谷は、不快感の表明だけはぐっとこらえた。

 女は去った。

 家の中で無事だったのは谷の身だけ。

 かくも生活空間を荒らされながら、なす術もなく見ているしか出来なかったとは。今更ながら、異界の住人への無力ぶりを思い知らされる。

 部屋いっぱい乱雑に散らかったものの中には、彼の人間界での優越性を証する品々もあった。レコード大賞、グラミー賞、アカデミー賞、レジョンドヌール……人間界では栄冠とされるいくつかの賞に輝いた時のトロフィーや盾。政治家や財界人、映画スター達から会った記念に是非とせがまれ並んで撮った写真の数々。

 まるでガラクタの堆積に思える周囲を見回しながら、俺の家にはどうしてこう、役に立つものが少ないんだという諦めともつかぬ自虐的な気分のうちに感慨にふける。

 この次、女が来たときはこれら不用物の中に自分の死体が加わるだろう。


 さて。

 どうする?

 タヌキの行く末が案じられた。

 あのキツネ女のことだから、そう遠くないうち居場所を嗅ぎつけるだろう。

 一応、匂いの消し方は教えておいたが。生態はタヌキのままだから、誰に成りすまそうと見分けられる者の目には顔にタヌキと書いてあるようなものだ。

 馬鹿め。逃げさえしなければ、こんな厄介ごともなくて済んだのに。

 いや、馬鹿なのはタヌキに大事な技を教えた自分のほうか。あの技があれば、世界だって征服できる。それを習得され、持っていかれてしまうとは。





( 続く )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

顔にタヌキと書いてある 青木誠一 @manfor

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ