Episode3 運命の悪戯

次に着いたのは都会にある大きな病院だった。


「ここだ」

「また病院?」

「まあ突然の事故でない限り病院で亡くなる人が多いからな」


病室のベッドには一人の女性が寝ていた。

歳は五十歳くらいだろうか。

女性の身体には大量の管と医療機器のケーブルが繋がれている。


その脇には医師と看護師の他に、五十歳くらいの男性が一人と高校生の女の子が並んで立っていた。

この女性の夫と娘だ。


その女性の意識は全く無かった。


「ジャンク、これから亡くなるのは、この女の人?」

「そうだ。重い脳障害でかなり前から意識不明が続いてる。ずっと植物人間状態だ」


夫は黙ったまま女性つまを見つめている。

娘も何か思いつめたように女性ははおやの顔を見つめていた。

何か言いたそうだが声が出ない、そんな感じだった。


「では、よろしいですか?」

医師が夫に尋ねた。


「はい・・・よろしくお願いします」

静かな声で夫は答えた。


パレルは医師と夫の会話に違和感を感じた。


「お願いしますって、どういうこと? 何が始まるの?」

「これからこの女性ひとの生命維持装置を外すんだよ」


ジャンクは女性のほうを見ていなかった。いや、見られなかったのだろう。


「外すと・・・どうなるの?」

「この女性ひとは死ぬ・・・」

「何それ? 意味わかんない」


「この女性ひとは脳障害が酷くてもう回復の見込みが無い。今はこの機械のおかげで、ただ息をして心臓が動いているだけだ」

「息を・・・してるだけ?」


「そう。この女性ひとはもう目を覚ますことは無い。だから家族で決めたんだ。こんなたくさんのケーブルに繋がれたお母さんをもう楽にしてあげようってな」

「そんな・・・せめて最期に一言くらい家族とお話しさせてあげられないの?」

「無理だ。この女性ひともう話すことはもちろん、見ることも、聞くこともできない」


「そんな・・・」

パレルは俯いたまま何も言えなくなった。


「さあパレル、時間がない。この女性ひとの記憶の中に入れ。家族と会話はさせてやれなくても、家族との楽しい思い出は見せてやることはできる。」

「うん。わかった」


吹っ切れたようにパレルは起き上がる。

そして、すぐに女性の顔に自分の頭を近づけた。


パレルが女性の頭の中きおくに入り込む。


「うん。見えてきた。この女性の記憶が」


パレルの頭の中にこの女性の思い出が映し出されていく。

家族三人が一緒の楽しい思い出を捜した。


しかし、そこに映し出された映像きおくに楽しい思い出はなかった。

娘がこの母親に反抗している映像きおくばかりだ。

あまり平穏な家庭環境ではなかったようだ。


ある日の映像きおくが映し出される。


夕飯の支度をしているところにこの娘さんが帰ってきた。

この女性の声が聞こえる。


奈美なみちゃん、おかえりなさい』


奈美、この娘の名前だろう。

でも奈美むすめからの返事はなかった。


『ごはんは? 奈美ちゃん』


母親がまた呼び掛ける。

すると奈美は母親こちらを強く睨みつけた。


『あんたが作ったものなんかいらない。それとその名前、気安く呼ばないで!』


「どういうことだろう? 親子なのに何でこんなに仲が悪いの?」

パレルは不思議に思った。


何とか父母娘三人の楽しい思い出を見つけよう、パレルはそう思い、懸命に思い出きおく中を捜しまわる。

でも、出てくる思い出きおくは娘が反抗しているものばかり。時には暴力まがいのものもあった。

辛い思い出ばかりだ。


「どういうこと?・・・」


記憶を遡っていくと、その理由が分かった。

夫が奈美むすめにこの女性ひとを新しいお母さんだと紹介している。

この女性は継母だったのだ。


奈美はすでに高校生になっていた。

どうやら奈美むすめはこの新しいお母さんに馴染めなかったようだ。

この女性ひとをお母さんと認めたくなかったのだろう。


でも、この女性ひと奈美なみに気に入られようと懸命にがんばっていた。どんな酷い言葉を掛けられても、笑顔で接し続けて・・・。

しかし、ダメだったようだ。


「やっぱりダメか。そう、この母娘おやこ、はっきり言ってうまくいってなかったんだ」

ジャンクが心配そうに声を掛けた。




「ジャンク、知ってたの?」

「ああ、ある程度の情報はな。三人の楽しい思い出が無いんならしようがない。出会う前のもっと昔の思い出でいいから捜せ」

「うん、分かった。可哀そうだけど仕方ないよね」

パレルは諦めて、もっと昔の記憶を捜そうとした。

その時、パレルはすぐ横にいた奈美むすめの異変に気が付いた。

「この子、泣いてる?なんでだろう。この母親ひとのこと嫌いじゃなかったのかな?」

奈美が何か呟いている。

「ごめんなさい・・・お母さん・・・」

とても小さい声だが、パレルにははっきりと聞こえた。

「え?」

奈美の目から涙が溢れていた。

「お母さん、目を覚まして。このまま逝かないで。私、あなたを一度もお母さんって呼んでない・・・」


パレルは確信した。

「このは決してこの母親を憎んでいなかった。ずっと謝りたかったんだ」

そう。奈美は決してこの母親を嫌いではなかった。でも素直になれなかったのだ。

本当の母親も忘れられず、新しい母親を認めたくなかった。

でも、とても優しく接してくれるこの女性ひとを心では嫌ってはいなかった。

『お母さん』と呼びたかった。でも呼べなかった。

母親が懸命に娘と仲良くしようとすればするほど反抗してしまっていたのだ。

義理の、いや、たとえ血が繋がっていたとしても、親子とはそういうものなのかもしれない。

奈美は、母親が病気になって以来、ずっとそれを悔やんでいた。

一言でいい、『お母さん』と呼びたい、謝りたい、そう思っていた。


「ジャンク!この母親ひと、死ぬ前にちょっとでもいいから意識を戻すことできない?」

「バカ言うな!」


「だって・・・だって何とかしてあげようよ。一言でいいからこのの声を聞かせてあげようよ!」

「そんなことできる訳ないだろう!」

「やだよ! このままじゃ絶対にやだ! 何か方法あるでしょ!」


ジャンクは大きなため息をふっとついた。死神の役目は人を死に導くことで、生き返らせることではない。


ジャンクは悩んだ顔でしばらく下を向いて考えていた。

そして、何か決意をしたかようにパレルのほうを見る。




「ひとつだけ・・・方法が無くはない。僅かな時間だけなら意識を戻す方法が・・・」

「どうするの? やろう! 私、何でもやるよ!」

「俺たち死神は人が亡くなる時に思い出きおくを見せてるだろう。この時、俺たちはその人が安らかに逝ってもらうためにプラーナというオーラを出してるんだ。これを浴びることにより人は最期を迎える」

「私たち、そんなオーラを出してるの?」

「ああ、そうだ。そのプラーナを逆流させることで、その人に一時的だが生命力を与えることができる。ほんの一瞬だけどな。リヴァイブと呼んでいるが・・・でも誰にでもできることじゃない」


リヴァイブ。それは死の直前の人間に生命エネルギーを与えて一時的に蘇生させる術。

死神が召喚者を逝かせるために出すプラーナというオーラを逆流させて放射する。そうすることで僅かな時間だが、意識が全く無い人を蘇生させることができる。

しかし、とてもイレギュラーな行為であり、誰にでもできる術(わざ)ではなかった。天界のベテランの天使や死神であっても、成功できるものはごく僅かだ。

精神的、体力的な負担も並大抵なものではない。


「私やってみる!」

「かなりハードな術だぞ」

「大丈夫!私、やる。やらせて!」

「分かった。お前がそこまで言うならやってみよう。だたし、うまくいくかどうかは保証しねえぞ。俺も実際に成功したのは見たことねえ」

「分かってる。やるだけのことはやってみたいの!」

パレルは母親の顔にぴたりと頭を近づける。

「いいか? この人の記憶の中心に集中して生きろって念じろ! いつもは安らかに逝くように念じてるだろうが、今回はその全く逆だ。難しいぞ」

「分かった!」

パレルは大きな声で返事をする。目が鋭く研ぎ澄まされている。


ジャンクは思っていた。

「こいつなら、できるかもしれねえ・・・」

パレルは目を瞑り、意識を集中し念じ続ける。

「生きて・・・目を覚まして・・・」

パレルの顔がだんだんと赤く染まってくる。

「もっとだパレル。もっと意識を集中させろ!」

「うん分かった!」

パレルは意識をさらに集中させる。


しばらくの時が経過した。

昏睡状態の母親の体は動く気配がない。やはり、そう簡単なものではないようだ。

「パレル、そのままだ、そのまま頑張れ!」

「・・・うん」

パレルの声が少し苦しそうになってきた。

体力が徐々に奪われつつあった。


でもパレルはさらに強く念じ続けた。

「目を・・・お願い、目を覚まして・・・」

パレルの顔がかなり紅潮している。

息が上がり、顔もかなり苦しそうになってきた。

パレルの幼い精神からだはもう限界に達していた。

意識がもうろうとなる。


ジャンクが、もう限界かと諦めかけたその時だ。母親の目がピクッと動いた。

「う・・・動いた?」

娘が叫んだ。

その声に横にいた医師が驚きながら言った。

「ばかな。もうほぼ脳死状態です。動くことはありえない・・・」

「いいえ、今、確かに目が動きました」

娘が懸命に声を掛け始める。

「お母さん! お母さん! 分かる?」

その懸命な姿を父親と医師はやりきれない気持ちで見つめていた。

「もう少しだ! パレル!」

ジャンクが叫ぶ!

パレルは残り少ない気力で意識を集中し続けた。でもそれ以上は母親の体は動かなかった。


だんだんとパレルの息遣いが荒くなってくる。

その時、後ろから突然女性の叫び声がした。

「何をしてるの!?」

天使のクレアだ。この母親の召喚のためやってきたのだ。

「ジャンク! あなた、パレルに何をさせてるの?」

「見ての通り、召喚者を一時的に蘇生させてる」

「まさか、リヴァイブをさせてるの? そんなことできるわけないでしょう! ましてパレルはまだ研修生よ」

「できる! パレルあいつなら!」

クレアはほぼ気を失いかけている状態のパレルを見て、かなり危険な状況であることを察知した。

「すぐ止めさせなさい! ジャンク」

「うるせえ! クレアおまえは黙ってろ!」

ジャンクは思った。ここでやめさせたら今までのパレルの苦労が水の泡だ。絶対に成功させると。


「パレル、無茶よ! やめなさい!」

クレアは必死に呼びかけた。

「無茶は最初から承知だ! やれるなパレル!」

「うん・・・平気・・・」

ジャンクの呼び掛けにパレルは苦しみながらも返事を返す。でもその声はかなり弱く、かすれてきていた。

「ダメよパレル。これ以上はあなたの精神(からだ)がもたない」

「大丈夫、クレアさん、やらせて!」

パレルはめいっぱいに振り絞った声で叫んだ。

「パレル・・・あなたって子は・・・」

リヴァイブは大量の体力と精神力を消耗する。ベテラン天使や死神でも相当な負担がかかる危険な行為だった。

パレルの意識はほぼ無くなり、僅かな気力だけで動いていた。




「パレル!もうちょっとだ!」

ジャンクも懸命に呼び掛ける。

パレルの体はもう限界を過ぎていた。しかし、パレルは念じ続けた。

「やめて! パレル! もう無理よ」

クレアは泣き叫ぶように呼び掛けた。

もうこれ以上は危険なのは明らかだった。

パレルの意識が遠のいていくのが見えた。

「くそっ・・・やっぱり駄目か・・・」

絶望したようにジャンクは俯いた。

パレルのまぶたがゆっくりと閉じらてれていく。


横にいたクライネスもパレルのその姿を真っ直ぐに見ることができず、ずっと俯いていた。その目には涙が溢れている。

「パレルさん・・・無理です・・・もうやめて下さい・・・」

クライネスは祈るように呟きながらパレルと母親のほうに目をやった。

その時だ。母親の顎がピクっと動いた。

「う・・・動いた?」

その僅かな動きをクライネスは見逃さなかった

「行ける・・・」

クライネスが微かな声で呟く。

「え?」

クレアが驚いた顔でクライネスを見た。


「パレルさん行けます! もう少しです!」

クライネスはめいっぱいの大声で叫んだ!

いつもの大人しいクライネスには考えられないような大きな叫びだ。

「クライネス! 何を言うの!」

クレアはクライネスを睨んだ。

しかし、そのクライネスの声が聞こえたのか、パレルの目が鋭く光った。

「くうう・・・」


パレルの最後の気力が絞り出される。

その時だ。母親の目がゆっくりと、ゆっくりと開き始めた。

「え???」

母親のまわりにいた全ての人が、その奇跡に茫然と固まった。

「おかあ・・・さん?」

娘が呼びかける。


「なみ・・・ちゃん?・・・」

小さな、かすかな声が聞こえた。




「バカな! ありえない!」

医師は思わず叫んだ。

母親は間違いなく脳死の状態であったため、意識が戻ることは医学的には考えられないことだった。


「やったぜ! 本当にやりやがった!」

ジャンクの目からも涙が溢れ出した。

「嘘? 信じられない・・・本当にリヴァイブできたの・・・」

クレアも驚きで茫然とせざるえなかった。クライネスはもう何も言えず、横でただ泣いていた。


「おかあさん!」

もう一度娘が叫んだ。

そして母親の顔に抱きついた。

「ごめんなさい、おかあさん! 今までありがとう!」

娘は母親の体を抱きしめながら叫んだ。その声に母親が残り少ない僅かな気力で懸命に答える。


「あり・・が・・・とう・・おかあ・・さ・・呼んで・・くれて・・・」

微かな・・・ほんの微かな声だった。

でもその声はしっかりと娘に届いた。


そして、その母親の目は再びゆっくりと閉じられた。

その閉じた目からはひと滴の涙が頬を伝わり・・・流れた。

病室内に心停止の警告音アラームが鳴る。


「おかあさん・・・・」

母親は静かに息を引き取った。

でもその顔はとても安らかに微笑んでいた。


「パレル!やったな!」

ジャンクがパレルに呼びかけた。しかし、パレルの返事はない。

「おい!パレル?」

パレルは母親の脇で倒れていた。

「パレル!大丈夫か?」

ジャンクは慌ててパレルを抱き上げた。

すぐにパレルの身体の状態を見る。

「大丈夫だ。気を失っているだけだ」

「無理させ過ぎよジャンク。この子はまだ研修生よ」

「でも、できただろ、リヴァイブ」

「ええ、確かに。私も実際に成功したのを見るのは初めてよ。この子、いったい何者なの?」

ジャンクはふっと笑った。

「天使試験に落ちた、ただの劣等生だよ」




母親の体からプシュケーの霊体が出てきた。

「ほら、天使おまえらの仕事だぜ」

「本当にありがとうございました。これで心残り無く天国あちらへ行けます」

母親は涙ぐみながら大きく頭を下げた。

「お礼ならあの死神の子に言って下さい。懸命にあなたの意識を戻したんです」

クレアが気を失っているパレルのほうに顔を向けた。

「あの子が・・・本当にありがとうございました」

母親はさらに深く頭を下げた。そしてクレアとクライネスに連れられて、ゆっくりと天へと昇っていった。

ジャンクが意識の無くなったパレルの体を抱き上げる。

「まったく、大したヤツだぜ!お前は」


ジャンクがパレルをおぶりなから歩いている。

「う・・ううん・・・」

パレルが目を覚ましたようだ。

「目が覚めたか、パレル」

「あ、ジャンク。さっきの女の人は?」

「ああ、お前のリヴァイブで目を覚ますことができた。一瞬だけどな。僅かな時間だが、お母さんと娘さんは最期の話をすることができたぞ。お前のおかげだ」

「本当?」

「ああ、すごくお前に感謝して天国へ昇っていったぞ」

「よかった・・・」

パレルはとても嬉しそうな顔をしてジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。

「ジャンク。ずっと私をおぶって歩いてくれてたの?」

「ああ。そうだ」

「・・・」

「ジャンク・・・」

「何だ?」

「お尻触ったでしょ?」

「ばっ・・・馬鹿!触ってねえよ!」

ジャンクは慌てて危うくパレルを落としそうになる。


「降ろして。もう大丈夫だよ。歩ける」

「ふん、遠慮すんな。今日はゆっくり休め。明日は研修の最終日だぞ。この研修が終わったらお前も一人前の死神だ」

パレルは何も返事をしなかった。

「・・・ああ、そうだったな。お前は死神になりたくなかったんだよな」

「ううん。死神も悪くないかなあって思ってたとこ」

パレルはにこっと笑いながらまたジャンクの背中をぎゅっと掴んだ。

「そうか・・・」

ジャンクはちょっと苦しそうだったが、まんざらでもないようで嬉しそうに笑っていた。




パレルの死神研修が始まってからひと月が過ぎた。今日は天界の研修生の研修最終の日だ。

この日が終わると見習い期間が終わり、晴れて天使研修生は天使に、死神研修生は死神となって一人前となり巣立っていくことになる。

ジャンクは今日の待ち合わせ場所のマカルト広場にやってきた。

ベンチに座るパレルを見つけてびっくりする。自分より早く来ているなんて初めてのことだったからだ。


「よう、パレル。めずらしく早えじゃねえか」

「おはよ・・・ジャンク」

元気の無い返事がパレルから返る。何か思いつめたように遠くを見つめている。

「どうした?元気無いな」

パレルは黙ったまま首を横に振った。いつもと様子が違うとジャンクは感じた。

「今日は研修の最終日だぜ。これが終わったらお前も一人前の死神だ」

パレルはやはり何も言わなかった。

「ああ、そうだったな。お前は死神にはなりたくなかったんだもんな・・・」

ジャンクは少し寂しそうな顔になった。


「この研修が終わったら、ジャンクはもう私の教育担当じゃなくなっちゃうんだよね」

「ああ、天界研修が終わったら死神も天使もみんな独り立ちするんだ」

「そっかあ・・・じゃあジャンクとも今日でお別れなのか・・・」

ジャンクはパレルをじっと見つめる。

「何だ、寂しいのか? さては俺に惚れたな?」

「ばっかじゃないの!」

パレルは慌てたように顔を背けた。




マカルト広場はいつも多くの天界人で賑わっている。

この天界に来てからパレルにはずっと気になっていることがあった。

「ねえジャンク。なんで天界の人にはお年寄りがいないの? お年寄りで亡くなってる人、多いよね?」

「ああそうか。お前はまだ知らなかったんだな。あのな・・・」

そう言いかけた時だった。死神の制服を着た大柄なガラの悪そうな男がジャンクたちの前に現れた。後ろに礼儀儀正しそうな青年の男性を連れている。

その男を見てジャンクの顔色が変わった。


「よう、ジャンク。久しぶりじゃねえか!」

その男はいかにも悪そうな風来坊といった感じだった。ジャンクがチンピラなら、この男はヤクザの組長といったところか。どうやらジャンクの先輩のようだ。

「どうも! なんすか? こんなところに」

パレルはびっくりしていた。敬語を使っているジャンクを初めて見たからだ。死神のリーダーなのだろうか。

「今日は死神の研修生の案内に来たんだ。こいつは昨日配属されたばかりの新人死神だ。お前の後輩だぞ。おっ、そっちのちっこいのも死神の研修生か?」

「デカけりゃいいってもんでもないでしょ」

パレルはその男の馬鹿にしたような言い方が気に入らず、吐き捨てるように言い返した。

「ハハハ! 気の強そうなヤツだ!」

男はパレルの言葉に一笑する。


「おいパレル! 失礼なこと言うんじゃねえ!」

「パレル?」

その名前を聞いた瞬間、男の目が大きく開いた。

「まさか・・・こいつか? リヴァイブを成功させたっていう研修生は・・・」

「ああ、そうすよ。さずが耳が早いすね」

「早いも何も天界じゃすごいウワサになってるぜ。いやあ・・しかし、人は見かけによらねえな。こんなチビが」

「アンタは見かけ通り悪っぽいね!」

パレルは言い返さないと気が済まない性格だった。

それを聞いた男は目を丸くして黙ったままパレルを見つめた。

「ばかやろう! やめろパレル!」

ジャンクはパレルの態度に慌てふためく。

「何よ?」

パレルは睨みながら言った。

「ぶははははっははは! こいつはすげえや! リヴァイブを成功させたってのも伊達じゃなさそうだ。死神にしとくにゃもったいないぜ」

男はジャンクの頭を叩きながら大笑いした。




「ああ、そうだ。こいつは今日入ったばかりの死神研修生のシンだ。よろしくな」

男は後ろにいた研修生を紹介した。

今時めずらしい五分狩り短髪の高校球児のような青年だ。

「よろしくお願いします! 先輩!」

ハリのある大きな声が響いた。

まるで応援団か軍隊のようなしっかりとした礼儀正しい挨拶だった。

「いやあ、礼儀正しいすね。パレル(こいつ)とはエライ違いだ」

ジャンクは青年の挨拶に思わず感心する。


「悪かったっすねー、礼儀なくて。まだ子供なもんで」

パレルはジャンクの口真似をしながらそっぽを向いた。

「お前、もういいから喋るな!」

ジャンクは半ば泣きながらパレルを止めた。

「ハハハ、いいじゃねえか。気に入った。俺は好きだぜ、こういう奴。」

「ごめんなさい。私はあなたみないなのはタイプじゃないの」

パレルは顔を背けながら言った。

「お前、頼むからもう何も言わないでくれ。すんません。パレルこいつ、天使試験落ちてから怖いもの知らずで」

「ハハハ、あんな試験、気にすんな!」

男は笑いながらパレルをなだめた。

でも、それを聞いたパレルはその男を睨みつけた。なぐさめの言葉なんて聞きたくなかったからだ。

「おお、怖え怖え。それじゃあな、ジャンク。しっかり教育してやれ」

男は死神の研修生を連れ。そそくさと歩いていった。


「誰? あの失礼な奴」

「ああ、知らないほうがいいぜ。それより一緒にいたさっきの研修生憶えてねえか?」

「さっきの研修生って、私と大違いでやたら礼儀正しかったシンさんて人?」

「ああ、やっぱり分からねえか。奴はこの前、病院でお前が召喚させたじいさんだよ」

「え?」

パレルは思わずびっくり声を上げた。

「さっきの話の続きだが、この天界に老人がいない理由だったな。人が召喚して天界に来ると、その人の本来のあるべき姿に戻るんだよ」

「人の本来あるべき姿って?」


その姿とは、ちょうど成人になったころを指す。通常は十八歳から二十歳くらいの姿になる。

「じゃあ、シンさんはあのおじいさんの若い時の姿なんだ」

「ああ、兵隊として戦争に行ってたみたいだからな。その時の姿だろう。やたらに礼儀正しいのは軍隊での生活が刷り込まれているからだろう。本人にはもうその記憶は残ってないけどな」




「あのさ、私は何で子供の姿なの?」

その問いにジャンクは急に黙り込む。

「大人になる前に死んだってことだ・・・」

「え?」

「成人する前に召喚したものは死んだ時の姿で天界に来るんだ」

「じゃあ、私は子供の時、死んじゃったんだ」

「ああ・・・そういうことだ」

パレルはちょっとショックだった。

ジャンクも悲しそうな顔でパレルを見つめていた。


「私、どうして死んじゃったのかな? 病気かなあ? ジャンク知ってる?」

「いや、知らねえよ。今は故人情報保護法ってのがあってな。他の人の死の原因とかについては簡単に分からないようになってるんだ」

「コジンジョーホーホゴホー? 何か早口言葉みたいだね」

情報保護の波は天界まで広がっていた。

「私さ、現世の時のこと全然覚えてないんだ」

「みんなそうだ。現世の時のことは天界では憶えていない。逆に天界でのことは現世に生まれ変わったら全て忘れる」

「私達って生まれ変れるの?」

「もちろんさ。だけど天界での成績によって現世に戻れるまでの期間が決まるんだ」


天国に召喚された人、つまり亡くなった人は一定の期間を天国そこで過ごし、その後また現世に生まれ変わることができる。これを召還しょうかんという。

召還できるまでの期間は人によって違う。成績がいいと数十年で現世に召還されることもあるし、成績が悪いと数百年以上現世に戻れない人もいる。


「そっかあ。じゃあ私、成績悪いからダメだね・・・」

「そんなこたねえよ。死神だって頑張れば現世に召還できる」

「だったら何でジャンクは何百年死神やってんのさ?」

「何度も言わせんじゃねえ。俺は死神しごとが好きでやってんだ!」

「ごめんごめん。そうだったね」




そこにクレアとクライネスがやってきた。

「おはよう、ジャンク、パレル」

「おはようございます。ジャンクさん、パレルさん」

今日もこの二人と一緒のユニットになるようだ。

「よう!」

「おはようございます。クレアさん、クライネス」

二人も挨拶を返した。

「いよいよ最終日ね。今日も一日よろしくね」

「はい。よろしくお願いします。今日は最終日だもんね。クライネス、一緒にがんばろうね!」

パレルはクライネスにピースサインを送った。

「はい・・・パレルさん」

元気の無い呟くような小さな返事だった。

「大丈夫? クライネス。何か元気無いね」

パレルはクライネスの様子が気になった。

クライネスは一人前の天使になる自信を今ひとつ持てないでいたのだ。


「パレルさん、ひとつ訊いていいですか?」

「なあに?」

「パレルさんは、どうしてそんなに自信を持てるんですか?」

「え? 何でそんなこと?」

「私、全然自信無いんです。私に天使なんて無理じゃないかって・・・」

「私だって自信なんか無いよ。大体、天使試験落ちてるし。でも、試験落ちてからずっと落ち込んでたんだけど、教育係ジャンクと一緒にいたら、何か落ち込んでるのがバカバカしくなっちゃってね、怖いもの知らずの開き直りってやつかな」

クライネスは黙ったまま、じっとパレルを見つめていた。

「自信なんてあっても無くてもいいんだよ。自分ができることをやればいいんじゃない。どっちみち、できることしかできないんだから」

「できることを・・・ですか?」

「そう! 自分ができることを精一杯やって、それでダメならしようがないじゃない。気楽に行こうよ」

「はい、そうですね」

「あっ、ごめんね。試験落ちた私が偉そうなこと言って」

「いいえ、やっぱりすごいです、パレルさんは。何で試験落ちたんですかね?」

それを聞いたパレルはちょっと落ち込んだ顔になった。

「あっ、すいません。私、失礼なこと言ちゃって・・・」

「いいよいいよ。気にしないで。まあ神様がきっと捻くれたヤツなんだよ。一度見てみたいな。クライネスは会ったことある?」

「いいえ、私もありません」

「きっと暗そうなお坊ちゃんだよ。きっと」

「そうですかね? ふふふ」

二人は笑いながら体を叩き合った。


「何笑ってんだ? そろそろ行くぞ」

ジャンクが二人に声を掛けた。

四人は最後の研修となる今日の召喚者の場所へと向かった。




着いたのは都会にある、かなり大きな病院だ。

「ここだ」

「今日もまた病院?」

「ああ、そうだ」

病院の中に入ると、手術台の上で赤ちゃんが手術を受けている。

そのすぐ横で若い夫婦が手術着を着て立ち会っていた。この赤ちゃんの両親だ。

赤ちゃんの意識は無い。

母親は顔を伏せて泣いていた。もうこれが最期ということなのだろう。

「ジャンク、まさかこの赤ちゃんが?」

「そうだ・・・」

「そうだって・・・この子、まだ生まれたばかりじゃないの?」

「ああ、生後一週間しかたってない」

「どうして?」

「出産の時に母体にトラブルがあってな。正常な分娩じゃなかったんだ」

「でも・・・たった一週間って・・なんとかもう少し延せないの?」

「ダメだ。人の寿命は生まれた時に既に決まっているんだ。これはどうしようもねえ」

「だって・・・だってかわいそうだよ!たった一週間なんて!」

「それがこの子の運命なんだ」


人の寿命という運命は誰にも変えることはできなかった。

「この子のパパとママもかわいそう。一週間だけなんて」

「そうだな・・・実はこの夫婦には前にも娘がいたんだけど、六歳の時に亡くしてるんだ」

「えっ! そうなの。そんな・・また・・」

「さあパレル、仕事だ。この子に楽しい思い出を見せてあげろ」

「だって生まれてたった一週間だよ! 思い出なんて何も無いじゃない!」

「そんなこたねえ。さあ」

「・・・ダメだよ。私には無理だよ」


思い出を集めて見せることは、召喚者が若ければ若いほど難しい。記憶の量が少ないためだ。

このような生まれて間もない赤ちゃんはベテランの死神でも難しい仕事だった。

「やるんだパレル! お前しかこの子を救えねえんだ」

「救う? 救うって、どうせこの子死んじゃうんでしょ!」

パレルの目からぽろぽろと涙がこぼれ出す。

「この子を寂しいまま死なせてしまっていいのか?一週間とはいえ、この夫婦に愛情をいっぱい注いでもらったはずだ。その愛情が思い出になるんだ」

パレルは泣いたまま、まだ動けない。

「パレル! お前しかできねえんだよ! やるんだ!」

ジャンクの強い口調にパレルは覚悟を決めた。

「わかったよ・・・」

パレルは涙をぬぐいながら赤ちゃんに顔を近づけて目をつむった。


赤ちゃんの記憶がパレルの頭に入ってくる。しかし、見える記憶の映像は薄暗くよく見えなかった。




「ジャンク、どうなってんの? 暗いし、ぼやけてよく見えないよ」

「ああ、生まれたばかりだから、まだよく目が見えないんだ」

「見えないって・・・どうすればいいの?」

「声だ。声が聞こえるだろう?」

「声?」


確かに聞こえる。パパとママの声だった。とても喜んでいる弾んだ声。

薄暗くぼーっとしか顔は見えないけど、両親のいっぱいの愛情が強く伝わってくる。

その溢れてくる愛情を赤ちゃんに伝えるしかない。

「お願い・・・少しでも幸せな気持ちを感じて・・・」

パレルは祈りながら心の中で叫んだ。

その時、薄暗くも微かに見えていた映像きおくが突然、真っ暗な暗闇になった。

「どうしたんだろう?真っ暗になっちゃった。それに声も聞こえない」

パレルは途方に暮れた。

「ジャンク、どうしよう?」

呼びかけたが返事が無い。


しばらくすると、突然、映像きおくが再び映り始めた。

「よかった。見えてきた」

パレルはホッとしてあたりを見渡す。

そこには広い芝生が生い茂り、まわりの花壇には色とりどりの花が咲き乱れていた。とても綺麗だ。どこかの家の庭だった。

「パパとママが二人で笑ってる」

どうやら両親とボール遊びをしているようだ。

「あれ?そう言えばこの子、目が見えてる?それに生まれて間もないはずなのにもう歩いてるし、何で外で遊んでるんだろ?」

家の窓ガラスに姿が映った。それは赤ちゃんではなく、五,六歳の幼い女の子だった。どうやらこの映像きおくはさっきの赤ちゃんのものではないようだ。




「誰? これ?」

「パレル、大丈夫か?」

ようやくジャンクの声が聞こえた。

「ジャンク、どういうこと? わけわかんないよ。これ、誰の記憶?」

「ああ、たまにあるんだ。生まれたばかりの赤ちゃんは前世の記憶が残っていることが多いんだよ」

「え? じゃあこれ・・・この赤ちゃんの前世の記憶ってこと?」

「そうだな」

「でも変だよ。パパとママはさっきと同じ人だよ」

ジャンクはしばらく黙っていた。


「どうしたのジャンク?」

ようやくジャンクの口が開いた。

「この赤ちゃんな・・・以前亡くなったという前の娘さんの生まれ変わりだ。この記憶、その子のだよ」

「何それ? 生まれ変わりっていうことは、同じパパとママのところに生まれ変わることができたの? え? でもまたすぐに死んじゃうってこと?」

「そうだ・・・」

「そうだじゃないよ! そんなの酷すぎるよ!ダメだよそんなの!」

「これがその子の運命なんだ・・・」

「運命って何? そんな酷い運命、誰が決めたのよ!」

「神様のゼウスに決まってるだろ」

「じゃあ私、ゼウス様に文句言ってくる! 頼んでみる! この子死なせない!」

「無茶言うな、パレル」

「私、もう試験落っこちてるから何も怖いものないもん!」

「ダメだ! 決められた運命はもう変えられない!」

「だって・・・だって可哀そうだよ・・・せっかく生まれ変われたんだよ・・・」

パレルの声が涙でかすれる。そしてその涙はパレルの頬を溢れんばかりに覆った。


あまりにも非情な運命に対し、パレルは何もできない自分が悲しく、何よりも悔しかった。

映像きおくは何も知らずに楽しそうにボールを追いかけて遊んでいる。

優奈ゆうな!』

母親がこの子の名前を呼んだ。

「ゆうな?・・・」

この名前がパレルの脳裏に突き刺さる。




「え?・・・あれ?」

その名前ひびきはパレルの心の奥底にあった記憶の塊をゆっくりと溶かし始めた。

「ゆうな・・・ゆうな?・・・」

「この家・・この庭・・憶えてる・・」

まるで雪溶け水が流れる川のように、溶かされた記憶がどんどん溢れ出てくる。


「ゆうな、私の名前だ!これ私の記憶だ!」


そう、これはパレルの前世の記憶。

この子はパレルの前世だった。

パレルはすべてを思い出した。パパとママが目の前にいる。思い出したのだ。

パレルが誰よりも大好きだったパパとママだ。

その二人が今、目の前にいた。


「パパ! ママ!」

声にはならない。けれど心の中で大声で叫んだ。

「パパ、ママ、私だよ! ゆうなだよ!」


パレルはパパのママに抱きつこうと二人のほうへ行こうとする。しかし体は振り返り、なぜか反対のほうへと向かった。

「えっ、何? そっちじゃないよ」

遊んでいたボールがてんてんと転がっていく。そしてそのボールは庭から飛び出し、外の道路へと転がっていった。

映像きおくはそのボールを追いかける。

「あっダメ! そっちへ行っちゃ!」

もちろん声なんか出ない。でもパレルは心の中で呼びかける。


『優奈っ! 止まって!』

母親の叫ぶ声が聞こえる。


「ダメだってば!」

パレルは懸命に止めようとするが、その体は全く言うことを利かない。映像きおくはそのままボールを追いかけて道路へと飛び出した。

「あぶないっ!!」


映像きおくが転がっていたボールを手に取った瞬間、視界は大きな影に覆われた。

すぐ横を見ると、目の前の大きなトラックが獣のように襲いかかってきていた。体は凍りついたように全く動かない。


『優奈っあああ!』


母親の悲鳴のような叫び声が響いた。

次の瞬間、その映像きおくは真っ暗になった・・・。




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