償い

マ菜

「ちょっと~こんなことで終わらないよ?」


髪の毛を掴み、起き上がる気力もない頭を持ち上げられる。痛みと怒り、憎しみで涙が滲んでいる。自分ではどうしようもないことがわかっているらしい、潤んだ瞳は私を捉えた。たすけてと訴える顔は泥と涙でぐちゃぐちゃで捨てられた子犬みたいだった。思わず動きかけた足を引っ込めて、目をそらした。早く先生が通らないかな。


「こっわ~い、花音怒らすとろくなことないね。きゃはは、その髪があるから痛みが増すんじゃない?切ってあげる!」


ハサミを取り出し笑うあゆみとナイスアイデアと口角をあげる花音。まだ私に期待する夏美。全てから目をそらし、携帯と階段を交互に見る私。


「おねがっ…も、やめて…っ誰か、たすけてっ…」


その誰かはきっと私なんだろけど、無理なんだ。ごめんね、私、貴女サイドに立ちたくないの。


「あーこれだからこいつと遊ぶのやめらんないっ♪」


花音は夏美の顔をゴミ箱に突っ込み、その頭を踏んづけて声を上げて笑った。咳き込む夏美に花音は顔をしかめ、髪を引っ張りゴミ箱から引っ張り出した。


「うるさいなぁ、その口も切ってあげようか?」


「あはは、口裂け女にしちゃおうか!ね、葵、どー思う?」


私に意見を求めないで、巻き込まないで。喉元でひっかかる言葉をため息に変えて吐き出して、笑った。


「いいと思うけど、さっき前の校舎の廊下見回ってたしそろぼち帰らない?ばれたらまじめんどいし。」


「あー残念。なつみちゃ~んまた髪の毛切ってあげるね!」


ぱっと髪の毛を離され、無理やり持ち上げられていた頭は床へと戻り、う、と短い悲鳴が聞こえた。なんとか起き上がろうと必死に痛む体に鞭を打つ夏美を帰る用意をした花音が踏んづけた。


「ばいばぁい、またあ・し・た♪」


「楽しみにしてるね!じゃ、葵あとよろしく~」


「ぉん、また明日ぁ。」


二人に手を振って、窓から外を見る。二人が校門から外へ行くのを見届けながら、ごめんとだけ声をかけて机を戻した。まだ起き上がれていない夏美を一瞥して、教室を出た。廊下を歩いて、助けたら私もああなるからと言い聞かせて早足で進んだ。だけど足は止まってしまって、思考だけが止まらない。


いつもごめんとだけ声をかけて、教室を出て放置ってさ、私が一番ひどいんじゃないかっていつも寝る前に考えてしまうよな、でも私が手を差し出してしまって、それを二人に見られたら。どうしよう。


「…ぅ、ひっ…」


小さな嗚咽が、思考を止めた。ああもうこんな自分が一番嫌いだ。カバンからハンカチを出して、水で濡らして十mも離れていない教室へ走った。


「夏美、ごめん。いつもごめん。助けられなくてごめん…」


泥々の顔をハンカチで拭くと夏美は声を出して泣いた。ただ、私は何もできず、濡れたハンカチで涙を拭っているだけだった。


「葵は、私がいじめられるのを見て楽しいの?」


泣き止んだ夏美は力強い瞳だった。その瞳に少し怖くなり楽しいわけがないと掠れた声で答えた。


「助けたいけど、次は私がそうなるのかもしれないって思うと怖くて動けなくなる。ごめん、情けなくて、自己中でごめん…」


涙が滲んだけど、私は泣いてはダメだと、必死にこらえた。夏美は、そっと私の頬に触れた。優しく笑っている。許してもらえた、その顔を見て勝手に安堵した私を私は一生恨むと思う。


「じゃあ、強制的にしてあげる。さようなら弱虫な葵。はじめまして自由な私!」


「え、」


するりと冷たい手が私から離れて、窓の外へ夏美が吸い込まれた。あまりに躊躇いがなく、スムーズで、ドラマを見ているようだった。ドン、鈍い音がして我に返った。


「なつ、み?」


腰が抜けて立てない、頭は理解しているのに心が理解しようとしない。見たくないのに、理解させようとしている頭が私を窓へと這わせている。壁に助けられなんとか立って、窓の下を見た。手はあらぬ方向へ、足は曲がらないはずのところから曲がっている。あれは、何、人だ、見たことある、夏美だ。


「ひっ、うぁ、ああああああ!!!!!!夏美、なつみぃ!!!!!!」


「どうしたんだ、あっ、おいやめろ落ち着くんだ!」


窓から身を乗り出して夏美に手を伸ばす私は、悲鳴を聞いて駆けつけた先生らに抑えられ、鈍い音を聞いて出てきた先生らによって救急車が呼ばれた。私は過呼吸を起こし倒れた。呼吸のやり方を思い出そうとしている私は心の奥ですべてを話すことを誓い、真っ暗になった視界を見てから目を閉じた。少しだけ眠りたかった。















「また、この夢。」


陽も昇りきってない朝方、いつもの悪夢で目が覚めた。まぁ、ほんとに悪夢ならよかったのにな。もう一年経った。夏美は、今もこうして私の夢に出続ける。


「こんなことしなくても忘れないっつーの…。」


先生にすべてを話し、花音とあゆみから逃げるように転校した。転校してから一ヶ月は二人からの通知で鳴り止まなかったが、今は穏やかだ。時々鳴るのは、転校先の学校で話しかけてくれた美衣香みいかからだ。美衣香は私におはようと挨拶して、休み時間には私の席まで遊びに来てくれる。帰りは駅まで並んで歩き、また明日と別れる。一人を放っておけないような、優しい子だ。


でも美衣香と私はうまく話せずにいた。だって、夏美にもっと早く声をかけてれば。私が弱虫でなければ。夏美は私が殺したようなものだった。そんなのが、幸せになっていいはずなかった。だけど、話しかけてもらったら無下にするのもなんだかなぁとうまく突き放せずにいた。それはきっと、独りになりたくないという潜在意識。


時間を見ようとつけたスマホで、今日が夏美の命日だと気がついた。学校まであと四時間はある。ベッドから降りて、黒い服を着て、家を出た。花を持っていくのは放課後でいいだろう。


自転車に乗って群青に染まった町を走り抜けた。夏美のお墓まで電車二駅。自転車なら楽に行ける距離だった。


自転車を飛ばして四十五分。群青だった町は薄紫に染め変えられつつあった。夏美のお墓の前、人影が見えた。その人影は私を見つけるとすっと立ち上がった。


「…誰かのお墓参り?こんなとこで会うなんてびっくりだね、葵ちゃん。」


「…美衣香?なんでそこ、そこは夏美の…」


笑う口元はいつもどおり、なのにいつもと違って、怖い。


「今日夏美の命日だもんね。初めて会えた。夏美を殺した人。」


あ、目が、笑ってない、暗い闇みたいな瞳、吸い込まれちゃう、そんな目で私を見ないで。花音の目によく似ている、人を恨んでいる目だ。あれ、花音は夏美を恨んでいたの?わかんないや、でも、美衣香は私を恨んでいる。


「…夏美を、知っているの」


「心友だから。全部聞いてた。いじめられていること、死のうか悩んでいたこと、死ぬと決めたこと。話を、聞いていた。貴女が見殺しにしたことも知っている。」


「は、ちょっと待ってよ、なんで私があの時いたこと知ってるんだよ、それに死のうか悩んでいたのを聞いてたなら止めればよかっただろ、私にすべてを押」

「止めないわけないでしょ!」


美衣香のあんな叫び声は初めて聞いたから、肩が思わず跳ねた。


「心友だもん、死んでほしくないに決まってる。けどもう夏美は無理だったの。」


俯いて表情はわからないけど雫がアスファルトに落ちたから泣いているんだろう。


「最後の希望があなただった。『一人、頼れそうな人がいる。次いじめられたとき助けを求めてみる。断られたら死ぬ。』夏美から来た最後のメッセージの一部。何回も見たから覚えちゃってるの。暗記しちゃうくらい見てももう夏美からメッセージは来ないのに。ばかみたい。」


涙を拭って吐き捨てるように笑った美衣香は苦しそうだった。私が苦しんでいたように、一番夏美の近くにいた美衣香はもっと苦しんでいたんだ。


「美衣香、ごめん、なんて美衣香に謝っても済むことじゃないけど。なんて言ったらいいかわかんないけど、夏美がいない今、私は美衣香に罪を償いたいと思う。ごめん。」


アスファルトに座り、頭をつけた。こんなことで許されるのなら、何日でもする覚悟だった。


「…葵ちゃん、許してほしいの?」


「許されるのなら。」


顔をあげずにただ私の願いを言った。許されるのなら許されたい、当たり前のことだが。


「じゃあ死んでよ。」


「え」


思わず顔を上げてしまった。美衣香の顔には表情がなくて、瞳は吸い込まれそうな闇だった。


「はい、ナイフ。死んだら許してあげるよ。」


コトリと置かれたナイフは朝日が反射して眩しくて、鮮やかに光っている。思わず手にとってしまった。これで死ねば、許される。あの日の夢を見なくていい。花音とあゆみに怯えなくてもいい。そう考えれば何を怖がっていたのだろうと思えて、スッと構えて、力を込めて、心臓めがけて、振り下ろした。


「ばかだね、ほんとにそんなこと望んでると思ったの?」


その腕は美衣香に強い力で阻まれ、どこにも行けずにただ掴まれていた。


「死ぬなんて言って逃げないでよ。私のそばで生きて、苦しめ。夏美の分まで二倍苦しんで、私の顔を見るたびあの子を思い出して。そしてさ、夏美の分まで幸せになってよ。一生かけて償って。死んで逃げるな。死んだら次は私が許さない。」


わかった?と笑う美衣香はいつもの優しい笑顔だった。セミが鳴き始めた。私も泣いている。人生をかけて償う。忘れないために、苦しみながら。そして、幸せにならなければいけない。本来なるはずだった夏美の分まで。

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償い マ菜 @mana27

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