告白と入部届 3
「散歩ってどこ歩くんだ」
「近くにウォーキングコースになってる道があるんです。緑が多いので、いつもそこを散歩してます」
「なるほど」
「それでは行きましょう」
メロのリードを持った副島が俺を仰ぎ見るようにした。俺も副島の顔を見た。
「ずっと気になってたんだけど、クラスメイトになんで敬語?」
「えっ」
副島は途端に慌てた様子になる。リードを引いたり緩めたり、その度に、メロが視線を副島に向ける。
「だ、だって、そんなに仲がいいってわけじゃないですし……」
「クラスメイトによそよそしくする必要ないだろ。ため口でいいから」
「わ、わかりまし……あ。わ、わかった。頑張る」
敬語で言いかけ、すぐに言い直す。俺は思わず吹き出した。クラスメイトにため口で喋ることの何を頑張るんだろう。
「な、なんで笑うんです……あ、笑うの」
「面白いから」
「え、ええ?」
「それより、メロが早く行きたそうだぞ」
副島を見ていたメロは、今は道の匂いをかいで、リードの許すところまで先に行っている。
「あ、はい。それじゃ、わたしの後ろで」
「お、おお」
言われた通り、メロを連れた副島の後ろ一メートルほどのところを歩く。
赤毛のメロのお尻は白く、ぷりっとしたお尻を左右に揺らしながら歩いている。
なんでお尻を揺らすんだろう。猫なんか、お尻を揺らすイメージがない。これは犬独特の仕草なのか、柴犬独特の仕草なのか。
猫も犬も動物は何も飼ったことのない俺には答えなんて出てこないが、そんなことを考えてしまった。
とそのとき、向かいから歩いてきた仕事帰り風の女性が、怪訝な目を俺に向けたことに気づいた。
思わず目をそらして歩くが、心臓がバクバクうるさい。
俺ってもしや超絶不審なやつじゃないか?
副島に言われてこの位置を歩いているが、何も知らない人から見たら、女性のあとを着いて歩く怪しい男だ。
痴漢かストーカーか、そんな誤解を受けてもおかしくない。
えーと、このまま副島の後ろを歩いていていいんだろうか。
まさか、通報とかされないよな?
思わず辺りを見回す。
ウォーキングロードは道沿いに緑がたくさん植樹されていて、ベンチもおかれている。同じように散歩している人や、近くの住宅街へと帰宅する人がちらほらと歩いていた。
気になりだすと、それらの人々が俺を見ているような気になってしまう。
俺が見ているから見られるだけでは、とも思うのだが、この道は街灯が少なく、いくら緑が多くで散歩に向いていると言っても、日暮れが近い今の時間では不審者が出ないか心配になりそうな道だ。
俺が不審者と間違えられる可能性も高い道とも言えるかもしれない。
不安になった俺は、早歩きで副島の横に並んだ。
副島は俺を見て、首を傾げる。
「どうしたんです? 横並びだと、肝心のお尻が見えないでしょ」
「あーそうだな……」
メロを見ると、副島の先ではなく横に並ぶ癖があるのか、副島の横からではお尻は見えない。
「でも、もう十分にお尻は堪能したから」
そう言った途端、副島は足を止めて、顔を輝かせる。
「それじゃ……!」
あ、まずい。
俺も足を止めて、副島を見ながら、どう言ったものか困った。
そりゃ、柴犬もお尻もそれなりに可愛いんだろう。でも、副島がそこまで柴犬のお尻に熱くなる気持ちはさっぱりわからん。当然、入部する気もない。
言葉を探していると、「大吾?」と呼びかけられた。
声の方を向くと、野球部でキャッチャーをしている同級生の
「荒木、なんでここに」
「なんでって、俺んち、この近くだし。副島さんもこんばんは」
「こ、こんばんは」
副島はよそよそしい感じに頭を下げた。
「そういえば、荒木はいつも歩きで帰ってたな。この近くってことは、荒木と副島って同じ中学?」
「おう」
と荒木が素っ気なく返事し、副島は小さくうなずいた。
二人の姿を見ていると、なんだか胸がもやっとした。
同じ中学、しかも家の近さから考えたら、ひょっとしたら同じ小学校出身なのに、違和感を覚えるよそよそしさ。
なんだ、この気持ちは。
「大吾と副島は一緒にどうしたんだ。二人って知り合いだっけ」
「同じクラス」
「そうなんだ」
そこで会話が途切れ、三人とも黙り込む。
気まずい。
荒木と以前のように笑い合って話すことが俺には途方もなく難しかった。結局、俺はその場を離れて逃げることにした。
「あー……それじゃ」
と手を上げて、背を見せようとしたところ、「戻ってこいよ!」と荒木が声を張り上げた。
「え」
振り向いて、荒木を見る。
荒木はまっすぐと俺を見据えていた。その瞳の強さに、足がすくむ。
「野球はピッチャーじゃなくてもできるだろう」
荒木の言葉に、俺は拳を握り、歯を食いしばった。
そうでもしないと、荒木に殴りかかってしまいそうだった。
荒木はどこも悪くない。
無茶な練習をしたのも、痛むのに病院も行かずやり過ごしたのも、すべて俺。
俺が悪い。自業自得。
それでも、子供の頃からマウンドに立ってボールを投げることに憧れ続けていたので、やっと手に入れた夢を自分の過失で手放すしかなくなったことが、どうしても許せなかった。
自分のことが許せなくて、肘を酷使しないポジションに立つということも許せなかった。
マウンドに戻りたい気持ちは誰よりも強く持っているつもりだ。
そうやって悩んで悩んで悩んで出した結論を、簡単な言葉でひっくり返してほしくなかった。安易に口出ししてほしくなかった。
俺には、ピッチャーでないと意味がないんだ。
だが、こうやって心の中で吹きすさぶ嵐を口に出すことはできなかった。
どう返事をすればいいんだろう。
困って、視線をさまよわせると、俺の横に立つ副島と目が合った。副島は心配そうな目で俺を見ていた。
「悪い。俺はもう野球部に戻る気はないから」
副島の手首を持って引く。
「わっ」
突然のことに、副島は驚いた声を出した。俺は副島の顔は見ず、荒木だけを見て言った。
「副島の設立した、柴犬のお尻愛好会って同好会にもう入ったから」
「柴犬の、お尻?」
荒木が怪訝な顔をしたので、俺は恥ずかしくなった。
「細かいことは聞くな」
「そ、そっか……。でも、俺はいつまでも待ってるからさ。いつでも戻ってこい」
荒木は俺の肩をぽんと叩くと、歩いて場を離れた。
俺は荒木の背中を見ていた。
すると、「中村くん!」と副島がいきなり俺の手を掴んできた。
「は、え」
何なのか理解できずにいると、副島が爆弾発言を投下した。
「入部、ありがとうございます!」
「あ」
「うちの部に入ってるからと断ってくれて、わたし嬉しくて嬉しくて」
「ああああああっ」
俺は大きな声で叫んだ。
やっちまった。盛大にやっちまった。
「あ、あのさ、さっきのは本当に入るつもりじゃなくて、その」
いいわけに使っただけなんだ、と謝ろうとしたところで、副島が遮った。
「大丈夫です」
な、何がだ……?
副島は満面の笑みを浮かべていて、なんだかとてつもなく嫌な予感がする。
副島はブレザーのポケットから何かを取り出した。
「こんなこともあろうかと、わたし、用意していたんです」
それは紙だった。
副島が折りたたんだ紙を広げ、俺に見せる。
入部届けだった。
俺の。
もう一度言う。
俺の入部届けだった。
「はあああ?」
副島から紙を奪い取って見た。
そこには、クラスと俺の名前が書かれた柴犬のお尻愛好会の入部届けだった。
もちろん、こんなものを書いた覚えはない。
字だって、俺の汚い字じゃなくて、綺麗で几帳面な字だ。
「いつでも入部できるように、書いておいたんです」
それは文書偽造ってやつじゃないのか。
心の声は言葉にならず、呆然と副島を見ることしかできなかった。
メロが『早く行こうよ』とばかりに、「ワン!」と声を上げた。
****
(次の更新はちょっとお待たせするかもしれません)
柴犬のお尻愛好会 高梨 千加 @ageha_cho
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