認識

死とは

皆に

絶対的に

平等に

訪れるもの。

しかし、認識した事のない物が存在すると断言できるだろうか。否、出来ない。

「認識していない物は存在していない。」のだ。

これは何も「世界は私を中心にして回っている。」と言いたい訳ではない。

自分の中の「世界」の話である。

鼠を見つけたとする。

すばしっこく走る鼠。

目で追い、捕まえる事もできる。

私に認識されている鼠は確かに、存在していると言える。

脳内の化学反応で「存在する」と認識した鼠であっても、「脳内の化学反応」という形に変化して鼠は「存在する」。

しかし鼠と違い、ただ自分の真後ろに佇む人形であったらどうだろう。

真後ろに佇む人形を振り返らずに見る事はできない。

立てる物音を聞いて、存在を知る事もできない。

独特の空気の乱れ、「気配」を感じる事もできない。

あらゆる感覚を刺激せず認識ができない。

この人形は果たして自分から見て「存在している」と断言できるだろうか。

人形

同じ。

認識できない物の存在は断言できない。

仮説を立て

立てた仮説に妄想を肉付けしていく。

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梅練り @umeneri_gohan

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