良縁を願って

西木 眼鏡

良縁を願って

京都府東山区にあるその神社は好ましくない縁を切り、良縁を結ぶことで知られている。

 近頃、幸いにして悪い縁との巡りあわせがない私ではあるが、異例の猛暑に見舞われた初夏の旅行ついでに同行してきた。悪い縁を切りたいのは私ではなく、私の恋人のほうであった。

「僕との縁を切られたんじゃ、たまったもんじゃない」

 当初、私は付き添って安井金毘羅宮を訪れることには反対をした。

「いやあ、そうじゃないのよ。本当に切りたい縁というのはあのムカつく上司との関係なの」

 なるほど、彼女の話を聞けば聞くほどそのような悪縁は早々に切ってしまうのが吉であると思えてきた。同行について大いに納得した私は有無を言わさず、次の日には新幹線で京都への旅行を強行させた。

 思ったよりも小さい、というのが互いに鳥居の前に立った時の第一印象である。以心伝心ではなく、まあ、誰もがそう思うであろうスケールの小ささではあったが、規模の大きさイコールが御利益の有無には関係ないだろう。

「それじゃあ、僕はそのあたりを見ているから君は用事を済ませてくるといい」

 私は彼女の良縁を誰よりも先に祈願して、断ち切る悪縁を持たぬ見ながら本殿をぐるっと回ってみることにした。本殿の脇には大量の絵馬が捧げられ、すぐ近くにはお札が隙間なく張られた大きな岩があり、やっと人が通り抜けられるほどの穴があけられている。その姿はまるで羊である。

 境内には櫛を祭った岩もあることを知り、そのすぐ隣にはあらゆる物事の上達にご利益のあるという社もあった。

「上達か」

 そういう縁なら大歓迎だと、私は賽銭を投げ入れた。するとすぐ後ろから中年くらいの男性の声が聞こえた。

「少ないのう、その金額なら上達するのは窓拭きくらいか」

「余計なお世話ですよ」

 振り返るとそこにはアロハシャツにウクレレを抱えた男性が立っていた。歳は定年退職目前の私の父くらいであろう。

「しかし、貴殿の金額は仕事の上達には見合わんよ。宝くじではないだからもっと思い切って投資をせんか」

 神主にはとても見えそうにないこの男性は何者であるのか。

「若者よ、当方はここの祭神の一柱であるぞ」

「どう見てもハワイ気分の恰好をしている神様がいますか。ここは日本の京都ですよ」

 この世の万物には神様が宿る、すなわち八百万の神がこの国には存在しているというが、それでも腑に落ちないほどこの京都という街から浮いていた。

「近頃は海の向こうからも参拝しに来るのでな、当方もそれに倣ってグローバルな姿を心がけておるのだ」

 私はもうそれ以上服装については触れないことにした。触らぬ神に祟りなしである。それは少し違う。

 さて、問題はだな、と自称神様は話し始めた。

「当方は少し迷っている。貴殿と一緒に訪れた若い娘の願いごとのほうであるが、どうしたものか」

「なにをお願いしているのかわかるんですか」

「わかるとも、この場所で多くの願い事を聞いて、叶えて来た。しかし、多くは悪縁を切って良縁を繋ぐということだが」

 手のひらを合わせてこすり合わせる、切った二つの糸をまたつなげる様な仕草で言った。

「なんなんです、彼女が縁を切りたいと願っているのは」

「それは教えられない。というものだ」

 まあ、当方はもう知っているんだがね、と老人は付け加えた。

「願ったことは彼女次、切ってつなぐは当方次第、とな。しかし、心配するでない、貴殿との縁は未だしっかりとつながれておるよ」

 神様はシャツのポケットからこれまた似つかわしくないスマートフォンを取り出して、いくつか画面を操作すると私の方へと向けた。それはこの神社のホームページだった。

『良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありません。さらにお二人がより深くより強く結ばれるご利益をいただけますのでご安心を』と記されていた。

「問い合わせが多いのでな、当方が付け加えておいた。それにせっかくの良縁を切るなんてことはいくら神様でもできぬよ」

 そのとき、後ろから肩を叩かれて声を掛けられた。

「ねえ、誰と話してるのよ」

「ここの神様だっていうおじいさんと、ってあれ」

 さっきまで話していた老人の姿が消えていた。まるで幻でも見ていたかのように一瞬で。

「ごめん、気のせいだったみたいだ」

 そうして、お参りを終えた僕らはそのまま四条橋を目指して歩き出した。

 



 安井金毘羅宮での参拝と一通り散策を終えて京都駅へ向かうバスを待っているとき、悪縁を断ち切ったばかりの彼女が自分のバッグをひっくり返す勢いで何かを探していた。

「定期がないの、どうしよう」

 私はふと境内で出会った老人のことが頭に浮かんだ。

 普段通勤で使っている定期を紛失させて、半ば強制的に縁を断ち切らせようということなのか。年間、何千何万という縁を切らなければならない神様の仕事は早く、そして案外大雑把なところがあるとみた。

 アロハシャツの男性は本当に神様だったのか、それともからかわれただけだったのか、若しくは下賀茂に住む悪戯好きの狸に化かされたのだろうか。

 いずれにしても面白き良縁であったことには間違いない。

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