第3話サーモンいくら丼




嫌なら行かなければいいのにと思う。だが相手から連絡がない以上、ここで行かないとドタキャンという形になってしまうため行くことにする。ドタキャン然り、遅刻などに関しては特にきちんとしていたいのだ。僕は何も取り柄がないと言うのに、これさえも駄目になってしまったら、本当に駄目人間になってしまうと思っている。人として最低限は保っていたい。これは相手を思ってしていることではない。ただ僕が僕を守るためだけの行動である。

僕は十分前に居酒屋の前に到着した。また今日もすでに賑やかな声が漏れている。僕はぼんやりと藍絡が帰っていった道の方を見る。そっちからトコトコと歩いて来るんだなと思いながら。五十五分になった。まだ歩いて来る気配はない。先に店の中で待っていたかった。そういえば何故店の外で落ち合うんだろう。僕は暇なので携帯を取り出した。五十八分。ふとまた歩いて来るか見てみたが、来る気配はない。藍絡が来るであろう道から一台の車が通る。やけに低速で走っている。なんとなく目の前をノロノロ走られるのは嫌な気分になった。僕は少し歩いて場を変えた。車は居酒屋の隣に停車した。

(なんだ。ここに停めたかったから減速したのか。)

車から男の人が降りてきた。こちらに向かって来る。満遍の笑みで。これは、藍絡だ。

「よ!待たせたな!」

「…わざわざ車で来たんですか?」

「あ、今日はこの居酒屋で飲まねえ!」

「え?」

「ほら、乗れ。」

「どこ行くんですか。」

「まあまあ、乗れよ。」

藍絡に促され助手席に乗る。藍絡の車は黒のアルファード。車内はほのかにムスクの香りが漂っている。見渡すと、運転席側のフロントガラスから交通安全のお守りがぶら下がっている。後部座席にはゴミ袋がかかっている。袋も定期的に交換しているようだった。僕は勝手に大雑把な性格だと思い込んでいたことを少し反省した。藍絡がアクセルを踏む。ふわりと車が動き出す。

「どこ行くんですか?」

「ラブホ?」

運転中であるため、僕の方を見ずに笑いながら言う。

「…ふざけないでください。」

僕はため息交じりで言う。正直藍絡ならあり得そうな展開なので内心冷やっとした。

「冗談だよ冗談。」

信号が赤だ。藍絡はこちらを見ながらそう言った。信号が青になるとまた前だけを見ながら話し出す。

「夜のドライブデート、だな。」

僕はかなり藍絡を警戒した。僕をどうするつもりだ?藍絡は黙ってる僕に気づいたのか、弁解する。

「本気にすんなって!とりあえずメシ行くぞ。」

「…あの居酒屋じゃだめだったんですか?」

藍絡は笑いながら言う。

「同じとこ行くより違うとこ行きたいだろ?それにこの後行きたいとこもあるしな。」

「このあと?」

「それは内緒!」

満遍の笑みをこちらに向けてきた。静かな車の走る音が心地いい。僕はぼんやりと前を見ながら心地よさに浸っていた。すると今更車内に音楽が掛かっていることに気づいた。

(ヲミナエシだ。)

人気バンド、ヲミナエシ。主に死生観や価値観の相違を歌にしている。そのためか、全体的に暗い曲や叫び歌う歌が多い。だが言葉のチョイスやメロディの独特さから人気が出て、熱狂的なファンがついている。テレビには絶対出ようとしないので、ネットを見ない人は絶対知ることのない存在。まさか藍絡がこの歌を聴いているとは思わなかった。また藍絡らしくないような一面を知ったような気がした。ロックバンドや爽やかなJ POPなど聴いていそうだと思っていた。僕もこのバンドは好きだから嬉しい気持ちにもなった。僕の思っていること、この世の理不尽に対して代わりに叫んでくれている。その上、まるで女性のような声を出す男性ボーカルと、甘いけど力強い男性ボーカルの相性がとても良く、耳に残り癖になる。独特の雰囲気にどっぷり僕はハマっているのだ。藍絡はどのような気持ちで聴いているのだろうか。

車が大きく左右に揺れる。駐車場に入る時の段差だった。

「到着!」

藍絡はすんなりと駐車し、エンジンを切る。車を出ると、夜の涼しい風が僕を包んだ。両手を組み伸びながら上を見やると、まだほんやりと空の裾は赤みを帯びていた。広い駐車場を横切るように歩き店に入る。店内は和風の雰囲気を基調とされていた。浴衣を着た店員が人数を確認し案内する。店内は居酒屋に比べ静かで穏やかで、高級感があった。ふかふかの椅子に座る。暖かい木目の机に広げられているメニューは、鯛の活け造りや、赤身の刺身など海の幸がたくさん載っていた。

「美味そうだな!」

藍絡は椅子に座ると子供のようにはしゃいだ。僕はなんとなく場違いな気がしてそわそわしていた。サンダルなんかで来るんじゃなかった。藍絡はメニューを見て食べたいものを選んでいるようだ。僕もテキトーにメニュー表をめくりながら決める。

「俺決まったわ!裕理が決まったらベル押していいぜ。」

僕は既に決まっていたのですぐに押した。店員が来る。

「ご注文伺いますね。」

僕と藍絡はどちらが先に言うか様子を伺うため見つめあった。

「あ、どうぞ。」

僕は藍絡を促す。

「じゃあ、これ、サーモンいくら丼大盛りひとつ。あと、ジンジャーエール。」

藍絡はそう言うとメニュー表を閉じた。僕は一瞬固まる。食べたいものが被った。

「あの、僕もおなじなので二つで。でも僕のは大盛りじゃなくていいです。飲み物は緑茶で。」

「かしこまりました。お飲み物は先にお持ちしてよろしいですか?」

「お願いしまーす。」

「かしこまりました。少々お待ちくださいね。」

店員が去ると、藍絡は嬉しそうな顔で見つめて来る。

「やっぱ美味そうだったよな、これ!」

「…あ、はい。」

にんまりとした顔で語りかけて来る。一緒だからってそんな喜ばれても困る。そっち系なのか?やはり。藍絡はメニュー表を手に取りまとめるとテーブルの横に立て掛けた。やはり車内で見たように、几帳面な一面が伺える。

「…で、つまんなそうかって?」

藍絡が頬杖をつきながら言う。

「え?」

「ラインで言ってたことだよ。」

「あ、はい。」

藍絡の唐突な話題変更についていけなかった。僕が先日のラインで、僕はつまらなそうですかという質問についての答えを言ってくれるようだ。僕は改めて説明する。

「昨日たまたま幼馴染に会ったんですけど、つまらなそうって言われて。会ったの数年ぶりなんですよ。僕は笑顔も作ってた。なのでそんなにかなと思って聞きました。」

藍絡は僕の話を聞くと顎に手をやり考える仕草をした。僕は黙って藍絡が答えを見つけるのを待つ。藍絡はしばしテーブルを見つめながら考えていたが、僕の目をまっすぐ見つめてきた。僕はあまりにまっすぐな目線に気まずさを感じ、数秒後に目をそらす。自分で聞いたことなのに、瞳を見られると何か僕の全てを見透かされそうな気がした。

「なんかなぁ。今を見てない気がするんだよなぁ。」

藍絡がぼそっと言った。まだ手に顎を添えている。

「この今の今を見ていないというかさ、なんとなくここにいるってだけで。」

(今の今?)

「難しいなぁ。例えば、確かに今しっかりと皿洗いしているとする。でも頭の中では全く別のことを考えていたり、もしくはそれに集中できていないような。」

成程。素直にそう思った。これは僕自身自覚がある。基本的に何をするにも僕は上の空だ。

「でも、それだけだとつまらなそうって話になるのかは違う気がするんだ。」

藍絡は顎から手を離す。またまっすぐと覗き込むように僕の瞳を見てきた。

「昔のいいこと、もしくは嫌だったことがいつも頭にあって今に集中できてない、とかかな?」

僕はどきっとした。この感覚は前に話した時もあった。これは、図星だった時の感覚。

「ま、憶測に過ぎないけどさ。心当たりあるならそれのせいかもしれないぜ。」

僕は黙ってテーブルに目を落とした。押し殺していた気持ちを見透かされる感覚だった。弱いところをいとも簡単に当てられることを恥ずかしく思う。だが、出会って間もないのに的確に当ててくる藍絡を素直に感心した。藍絡の言う通り、僕は過去にしがみついていた。あの頃から前へ進めていない。幼き自分が笑っている姿が頭の中に浮かんだ。あの頃の僕が、今の僕を見たら幻滅するだろうか?なあなあと大学生活を過ごし、行く度に殺意を抱くバイトの日々。過去の自分も確かに自分であるのにその答えは返ってこない。

「お待たせしました。」

藍絡が頼んだジンジャーエールと、僕が頼んだ緑茶がテーブルに置かれた。藍絡はまた乾杯しようとする仕草をする。僕は何に対しての乾杯なのかはわからなかったが、コツンとグラスをぶつけた。

「今日だけでいいから、忘れてみろよ。楽しもうぜ今日を。」

藍絡はそう言うと喉仏を上下に大きく揺らしながら、ジンジャーエールを勢いよく飲む。

(忘れる、か。考えたこともなかった。忘れたら僕が僕でなくなりそうで恐い。でも、忘れられたら楽になれるのかもしれない。)

僕も緑茶を口いっぱいに含んだ。

「てかさ。」

藍絡がグラスを置き口を開く。

「幼馴染数年ぶりに会うって。定期的に遊べよ。」

僕もグラスを置く。

「いや、遊ぶって言ったって。そもそも異性ですし。」

「あ、女の子なのね。ご飯くらい行きなってー。」

「話すことないです。」

「それにしてもその子は裕理のことよく見てるね。」

「まあ、確かにそうですね。」

僕はつまらなそうと言われた時の情景が脳裏に浮かんだ。

「そうやって見て気づいてくれる人って案外居ないもんだぜ。大切にしろよ。」

(大切にって言われても。)

僕ははいもいいえも答えなかった。何故か彼女が僕を見つけた時の表情を思い出した。まるで小動物のようにピコンと反応し、笑顔を向けてきたことを。

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ。」

サーモンいくら丼の大盛りと並盛りが運ばれてきた。各々の目の前に置かれる。藍絡は両手を合わせいただきますと言うとすぐに食べ始めた。

「うんめえ!いくらプチプチするぞこれ!」

目を輝かせながら美味しさを訴えてくる藍絡。僕もスプーンですくい、一口頬張る。

「美味い。」

つい目を見開いてしまった。こんな美味しい食べ物があるのか。

「な?美味えだろ?」

「美味しいです。」

僕らは一言も発さず夢中で食べ続けた。あっという間に平らげてしまった。皿の底が見えると寂しい気持ちになるなんて生まれて初めてだ。僕らは食べ終わったものの、満腹感と余韻で未だ言葉を交わさずにいた。藍絡がジンジャーエールを飲み干すと、やっと口を開いた。

「行くか。」

「はい。」

藍絡は伝票を持つ。僕らはレジに向かう。僕は財布を取り出すが、藍絡は一人で支払いをしてしまった。

「またお越しくださいませ。」

店員の美しいお辞儀と共に送り出された。僕は店の外に出てすぐまた財布を開けた。

「あ、いいよ。今日も俺の奢り。」

「悪いです。」

「いいって!」

「……すみません。」

「なんで謝るんだよ。俺が奢りたいから奢ってんの。こう言う時は謝るんじゃなくてお礼を言うんだよ。」

「…ありがとうございます。」

そう言った直後、藍絡はもたれるように肩を組んできた。

「そう言って貰った方が奢った方も嬉しくなるもんよ。」

僕は肩に重みを感じながら、財布を閉める。あまり人と食事をしない僕にとって、奢られるということはとても申し訳ない事だと思っていた。奢る側が損をし、奢られる側が得をするとしか考えられなかったからだ。奢って嬉しくなることがあることを今初めて知った。また僕は藍絡の車の助手席に座る。相変わらずほのかにムスクのいい香りがする。藍絡はエンジンをかける。真っ暗だったナビの画面に明かりが灯る。

「おしんこ〜。」

とてつもなくやる気の出ない掛け声と共に車が動き出した。また駐車場を出るときに、大きく左右に車が揺れる。

「食後の段差はきついですな。」

藍絡が苦しそうな声で言った。僕も同感だ。車は来た道とは逆の方へ走って行く。

「どこ行くんですか?」

僕は問う。ワンテンポ遅れて藍絡が答えた。

「夜景。」

「…夜景ですか。」

「見たことある?」

「ないです。」

「じゃあ夜景の素晴らしさを教えてしんぜよう。」

「夜景なんてただのビルとかの光じゃないですか。」

僕は全く興味が湧かない。

「まあまあ。とりあえず見てみろって。」

「何故夜景なんですか?」

「綺麗だから。」

「…。」

僕の求めている答えと違う気がしたが、流れに身を任せることにした。


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HAZE 園川ジョウ @misty_himono

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