第2話繋がる
木目を基調としたオレンジ色のテーブルが、店内を明るく引き立たせている。あたりを見渡すと、筆ペンで書かれた焼き鳥のメニューが壁に貼ってある。上手くも下手でもない字がより雰囲気を醸し出している。既に店は賑やかで、僕の倍以上年齢を重ねている人達も、まるで子供のようにはしゃいでいた。僕らはテーブルに通され、先に飲み物を頼む。
「伊達藍絡。よろしくな!」
「…小本裕理です。」
「お待たせしました〜。」
頼んだビールとキウイサワーがテーブルに置かれた。僕はキウイサワーを手に持つと、藍絡もジョッキを手に持ち、乾杯しようという目で見てきた。
「かんぱーい!」
藍絡の楽しそうな声が店に響く。僕は首だけ会釈する。そして静かにキウイサワーを啜った。
「裕理!裕理は俺の財布の恩人だな!本当ありがとう。」
「…そこまでのことですかね。拾っただけですよ。」
藍絡は唇の上に泡をつけながら答える。
「いーや!盗むなどせず届けてくれた!こんな平和で幸せな出来事があるかね!?」
「…まあ、そう言われるとそうですね…。」
僕は藍絡のテンションに全くついていけなかった。ふと見やると、既にビールは半分ほど飲まれていた、飲み慣れてるなと感じる。藍絡はコトンとビールを置く。
「ところで、裕理は今学生?」
「あ、はい。そうです。」
藍絡はにんまりと笑う。
「いいね〜。若いね〜。学生生活はたっぷり味わっておいた方がいいぞ〜。」
「…楽しくなんかないですよ。早く卒業したいです。」
僕は冷たくそう言い放つ。学生生活は楽しいというこの言葉は何度も聞いて嫌気がさしていた。まだ僕は学生で、社会人を経験したことがない。きっと社会人になったらなったで、きっと学生だった頃が楽な上、自由だったと思うのだろう。だからと言って僕は、学生生活を謳歌するほど楽しい場とも思えなかった。昔から、そうだった。
「だからそんなつまんなそうなのか?」
藍絡がまっすぐな瞳でこちらを見つめる。僕にはまるで、今この時もつまんないと思われているような気がして、急に申し訳なくなった。
「あ…、すみません。」
なにを謝っているのかわからなかった。現に僕は今楽しんでいるわけでもない。なのに何故か罪悪感が芽生えた。
「楽しい人に出会ったことがない?」
藍絡はそう僕に聞いた。ドキッとした。図星だからだ。と言いつつも、僕は楽しい人という具体的な意味をわかっていない。ただ僕は、頼れる人がいない。一人でできることをやる。そうして生きてきた。この人に出会ってよかったなど、感じたこともない。藍絡に僕の中を見透かされたようだった。すると唐突に藍絡は手を差し伸べてきた。
「俺が裕理の最初の楽しい人になってやる。ほら、握手。」
僕は戸惑った。なにを言っているんだこの人は。初対面なのに。藍絡の顔を見やると、満遍の笑みで僕を見ていた。藍絡というこの男。僕は正直なにを考えているのかよく分からない。この人は初対面だからとか小さいことを気にせず仲良くなる人なのだろう。僕はそっと藍絡の手を握る。藍絡は握られるとぶんぶんと手を振った。時折テーブルに手が当たるので痛い。藍絡の手は肉厚で、なんとなく、頼りになりそうだった。
「さ!まだまだ飲むぞ!あ、言い忘れてた。今日は俺の奢りでいいから!食いたいもんもじゃんじゃん食え!」
藍絡はそういうと、すいませーんと手を挙げ店員を呼ぶ。ビール追加に唐揚げ、焼き鳥などを注文した。
あれから二時間ほど滞在していただろうか。藍絡はもうジョッキ八杯目を飲み干しそうだ。
「それでさぁ、あの後の魔王、あんな悪者だと見せかけて最後あんな風に死ぬんだぜ?」
藍絡は酔ってからずっと好きな漫画やゲームの話を延々と語っていた。僕は勿論その話を知っているが、語っている内容より、熱く語る藍絡が面白かった。こんなに漫画やゲームについて熱く語る人間を僕は見たことなかった。幸せな人生を歩んできたんだなぁとしみじみ思う。もうテーブルの上は、絞られたレモンが載っているだけの皿や、焼き鳥の串が転がっているだけだった。僕は久しぶりにお酒を飲んだので、なんとなく回るのが早い気がした。僕は既に三十分前くらいからソフトドリンクに切り替えていた。
「あーもうお腹いっぱい。ぱんぱん。」
藍絡はビールを飲み干すとお腹をさすった。
「すごい飲みますね。」
そういうと藍絡は決め顔を作る。
「君とは踏んでる場数が違うのよ…!」
「…はあ。」
藍絡は両腕を上げ伸びをする。
「そろそろ帰るか。」
「そうですね。」
僕は会計の際、せめて端数を出そうとしたら止められた。
「ご馳走様です。」
店の前でお礼を言う。藍絡はいいってと手を振る。出てきた店の中はまだ賑やかで、静かになる気配もなかった。
「そうだ。」
藍絡は思い出したように携帯を取り出す。
「連絡先、教えてよ。」
「あ、はい。」
僕も携帯を取り出す。
「今日は楽しかったな!また行こうな!変なラインもいっぱいするから!じゃあな!」
藍絡はそう言うと暗い夜道へ溶け込むように場を後にした。僕も家へ向かう。歩きながら、今さっきもらった藍絡のラインのホームを見る。
「…友達とかではしゃいでる写真とか使ってると思った。」
意外にも、アイコンもホーム画面も、どこかで撮った地味な景色の写真だった。
家に着くと玄関の鍵を開ける。外よりも真っ暗な部屋に明かりをつける。さっきまで明るいところにいたからか、いつもなら眩しい部屋の明かりもなんとなく暗く感じた。僕はすぐにシャワー浴びた。明日は学校が休みなので、特に早く寝る理由はなかった。なので僕は藍絡が熱弁していた漫画を取り出す。僕も相当読んでいたので、すぐに藍絡が語っていた場面を見つけられた。久々に見たが、改めて読むとやはり面白い。その上あの熱弁を聞いた後に読むと尚更感情移入できる。思えば最近は漫画にすら興味を示さなくなったが、また読み返そうと思えた。僕は漫画を置き立ち上がると、冷蔵庫から水を取り出し飲んだ。普段飲まないからか、自分からかなり酒のにおいを感じた。さっきいた店の中の光景がいつもの日常とかけ離れすぎていて、もう随分前のことのように思える。久々に少し笑って、少し楽しめた。だが、彼のことを完全に信じたわけではない。僕は携帯を開く。藍絡に『今日はご馳走様でした。』とだけメッセージを送り、眠ることにした。
起きて携帯を開くと、時間は正午前だった。相変わらず陽の光を一切感じさせない部屋。
(やはりこの方が心地いい。)
紙の箱から、コーンスープの素を取り出し、コップに入れる。そしてやかんでお湯を沸かす。沸くまでにテレビをつけ、好きな動画を流す。やかんがピーと音を立てた。僕はIHのスイッチを切り、コップに注ぐ。ポイントは、気持ち少なめに注ぐこと。しっかり粉が溶けるようにスプーンでよくかき混ぜる。そして、ほんの少しだけ、水を足す。これで最初から飲みやすい温度になる。僕はコップを持って部屋に戻ると、ベッドを背もたれにし動画を観漁った。これが僕流の、暗い部屋での学校やバイトに行かなくていい優雅な朝の過ごし方。一時間程経ちさすがに動画に飽きて来て、漫画に手を伸ばした。テレビはBGMと化す。パラパラと読んではいるが、なんだかあまり集中出来なかった。僕はまた既に飽きている動画を観ることにした。前にも見た動画がまた流れる。しかし何も考えず、脱力しながらボーッと観てるだけなのでそれでも構わない。ふと散らかったテーブルの上を見やると、期日が明日までの払込書が置いてあった。
(忘れてた。面倒くさい。)
僕は唐突に体が重くなった気がした。しかし、公共料金を滞納させて生活できなくなるのは困るので、僕は今日振り込みに行こうと決めた。
(陽に当たりたくないから夕方に行くか。)
そう思うとまた何も考えず動画を目で追っていた。
ぼんやりとしてるうち、時計に目を向けると十七時を指していた。
「行くか。」
僕は郵便局へ行くため、重い腰を起こす。小さなバッグに払込書と財布を入れ家を出る。バッグを自転車のカゴに入れ、漕ぎ出した。ペダルが重い。僕は無駄に上半身を使いながら前へ前へと進む。郵便局までの道中、二つ信号があるので、なるべく止まらないようにスピードを調整しながら進んだ。夕方だからか、車が多いような気がする。自転車で五分ほどの距離であるにも関わらず、すごい遠くへ来た錯覚に陥る。僕はさっさと済ませ、再び自転車にまたがった。
「小本君?」
女性の声で呼ばれた。僕は声の方へ振り返る。そこに立っていたのは、榎田彩絵乃。一応幼馴染に属する立場である。
「久しぶり。何かの帰り?」
「いや、郵便局に支払いに来ただけ。」
「そっかそっか。私も今日は病院に来ただけなんだ。」
彼女は、右足がない。膝から下が切断されている。この事実を知らない人間にとっては気づきもしないだろうが、今立っている右足も義足である。長いスカートを風に揺らされている。
「そうなんだ。」
僕はあまりこの話題について触れたくなかった。一応笑顔でいるが、流すように返答する。
「それにしても本当久しぶりね。高一の時以来じゃない?」
高一の時に会っただろうか。僕は覚えていなかった。
「そうだったかな。」
僕は笑顔のままあやふやに答える。
「大学楽しい?」
唐突に質問して来た。僕は少しだけ面倒臭そうな表情を浮かべた。だから女は嫌いなんだ。コロコロと話題を変える。
「普通だよ。」
僕はなるべく顔にだけは出さぬように、淡白に答える。この話題になるなら、あまり長居はしたくない。
「そっか。ま、もうはしゃいで楽しむって場所じゃないからね。たぶん。」
彩絵乃は笑って答える。なんだか、フォローされたような気がしたが、気にしない事にする。
「でも、少しつまらなそうにも見える…かな。」
彼女はボソッと言った。
「そうだ。幼馴染なのにさ、連絡先知らないよね。交換しよ?」
そういうと彩絵乃は携帯を取り出した。昨日に引き続き、僕はまたか、という気分になった。でも早く帰りたいのでさっさと済まそうと思う。慣れた手つきで交換する。
「ありがと!引き止めてごめんね。今度ご飯行こうね。」
彩絵乃はそういうと僕と反対方向へ歩き出した。僕も家へ帰るためまた重いペダルを漕ぎ出した。
家に着き、部屋の電気をつける。部屋の壁にある鏡を除き、自分の顔を見てみた。
(そんなにつまらなそうな顔してるのか。)
正直、二日連続で他人につまらなそうと言われると、少しだけ気にしてしまった。彩絵乃の前では笑顔で話していたつもりであったのに。確かに楽しい日々なんて送ってないが、今日のような日をつまらないと感じたことはなかった。特に何もせず、好きなように過ごす。楽しいというより、楽であった。僕は実はこれをつまらないとでも思っているのだろうか。僕は自分の指で、頰を持ち上げてみた。
「気持ち悪。」
鏡を見ているのが嫌になって、また動画を観るためテレビをつけた。ぼんやりとまた動画を目で追う。しかし既に午前に見飽きていたものをまた見る気にはなれなかった。十分もせずテレビを消す。意味もなく手元にあった携帯を開く。一通のラインメッセージが届いていた。送り主は藍絡だった。
『昨日はお疲れ様っす〜。二日酔いには気をつけろよ!』
他愛のないメッセージだった。僕は何度か読み直し、返信を考える。
『僕って、そんなにつまらなそうな顔してますかね。』
自分で打った文章を見つめる。自分でも唐突になんて質問をしているんだろうと思う。だが純粋に気になった。その上文面のであるため聞きやすかった。送信ボタンを押し、携帯を閉じベッドに放り投げる。すると忽ち返信が返ってきたので、携帯をもう一度拾い上げる。
『明日の夕方から遊ぼう。』
「え?」
つい声が出てしまった。僕は質問に対する答えを期待していたのだ。思いがけない言葉に戸惑いを隠せない。
『質問に答えて欲しかったんですけど。』
僕は懲りずに返信する。また直ぐに返ってきた。
『明日夜六時居酒屋の前集合!』
僕は少しムキになって、
『急すぎます。』
と送ったが、それから何時間経っても既読すらつかなかった。
(わざとだな。)
僕はそう思いながら寝ることにする。しかしまた飲みに行くのかと思うと億劫だった。こんな僕が、ましてや普段飲まないのに、連日酔いテンションを無理矢理上げるなんて、疲れ果ててしまいそうな気がした。
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