HAZE

園川ジョウ

第1話黒


夜のような朝を迎える。僕は手探りで部屋の電気のリモコンを探す。狭い部屋に人工的な光が灯り、僕は目を細めた。

「だる…。」

ため息交じりで呟くと、重い腰を上げベッドから降りた。ベッドを背凭れにし、床に座る。特にお腹は空いてないが、散らかったテーブルの上にあるバターロールを齧った。カーテンは開けない。シャッターごと閉まっているから。今年の春から大学四年生。やっと大学生活が終わると思うと嬉しいのだが、だからといってその先に何か楽しみや希望があるわけでもない。ただ、同じものを毎日食べさせられているような生活にはもう飽きていた。行く意味を見出せない大学に向かうために、着替え、顔を洗い、歯を磨く。口の中をすすぐ時、着替えたばかりのシャツに少し水が跳ねた。これから家を出てから嫌なことしか待っていないのに、家の中でも嫌な気持ちにさせないでくれ。そう思うと乱暴にリュックを持ち家を出た。

やっと陽の光を浴びる。外はもうこんなに暖かかったのか。部屋の中はまるで自分の心とリンクでもしているかのように肌寒かったというのに。歩いて近くのバス停に向かう。道中には桜の木があり、ちょうど桜が咲き始めた頃だ。でも僕は桜は嫌いだ。綺麗だとは思う。だが周りが花見など舞い上がる中、その輪には入れずにいた。

「すぐ散るから。死を連想する。」

嫌いな理由はこれであった。無論、もう一度言うが、綺麗と感じるし、春だという気分にもさせてくれる。反面、美しいからこそ終焉を先に見てしまう。儚いからこそ美しいという理論は否定しない。花火や砂アートなどは理解できるが、それを命あるものに対し、儚いものは美しいというのは少し残酷な気がした。勿論考え過ぎなだけである。四季の風物詩としてみればいいだけの話であるのに、ここまで頑なに怖いと考える意味などない。僕はいつも以上に下を向いて歩いた。下にはちらほらと既に散った桜の花びらが落ちている。綺麗綺麗と煽てられていたにも関わらず地に着いた瞬間から目にもされなくなる気分はどうなのだろう。そうこう考えているうち、バス停に着いた。既に前には二人並んでいて、僕が並んだ直後また後ろに二人並んだ。バスが来てドアが開く。その瞬間、前に並んでいた二人は空いている席を奪う戦いを始めた。直接争っているわけでもないが、足早に、少し相手が席に座りにくいポジションにつかせながら向かう。僕は冷ややかな目でその一部始終を見ていた。結局席に座ったのは一番前に並んでいた人。朝から醜い争いを見た。席を取れなかった人はイライラした態度をあからさまに出しながら、座っている足ギリギリの所で立ってみせた。座っている人は近いんだよと言わんばかりの態度で睨みつけている。本当に醜い。僕の心はこうして毎日黒く塗りつぶされて行く。

駅に着くと、バスから駆け足で降りて行く人達。僕もホームへと歩く。既にホームは溢れかえっていた。僕は乗りたい車両の列に並ぶ。電車が来て駅員に押し込まれながら乗る。僕の側で舌打ちが聞こえた。ふと目をやると、その付近で申し訳なさそうに女の人が目を泳がせている。きっと足を踏んで閉まったのだろう。また嫌なものを見た。僕は嫌で広告に目をそらした。

『二十八年前の誘拐事件!実話!その裏にあった事実とは?涙のドキュメンタリー』

くだらない。何でもかんでも泣かせようとするのが多すぎる。こういう話が多すぎてもはや本当に実話なのかも疑わしい。どこを見ても不快でしかない。僕は逃げるように窓の外の景色を見つめた。

大学に着き、僕は講義を受ける教室へ向かった。僕の受ける講義は人数が比較的少ないため、教室が狭い。僕は適当に隅の席にリュックを置き、座った。ノートと筆箱を出していると、二人の男子生徒が教室に入って来た。

「今日スロットいかね?」

「いいね!行こうぜ!」

きっとこの二人も僕と同じく、今日はこの講義さえ終われば帰れるのだろう。しばらくするとわらわらと生徒が集まり、時間ぴったりに教授が入って来た。入るや否や、すぐに話し始める。変わったお爺さん先生だが、天才故の不思議な人ってところだろう。ぴったりの時間に教室に入り、すぐに話し始め、終わる時間ぴったりに必ずキリよく話が終わる。特に面白い、つまらないとも思わないが、ムラのある教授や、無駄話で長引く教授に比べると一番気楽に受講できた。僕はぼんやりと教授を見ながら話を聞き、なんとなくメモを取り続けた。教授は相変わらずぴったりの時間に話し終わり、あっさりと教室を後にした。僕もさっさとノートと筆箱をリュックに入れる。その横で、男子三人の会話が聞こえてきた。

「今日、このあとよろしくな!」

「あ、わりぃ。俺、実家に帰らなきゃいけなくなって。

「俺も…。母ちゃんが風邪引いたらしくてさ。」

「え、二人ともダメなの?あんなに言ってたじゃん。バイトしないと金ないからお前のとこでヘルプさせてって。」

「本当すまん!」

「今度なんか奢る!」

二人は足早に教室を出た。残された一人は、

「まじかよ。ヘルプさせてって言うから店長に言っちゃったのに。今日人いねえじゃん。」

と苛立ちを見せていた。僕はふと思い出した。足早に出て言った二人、このあとスロット行くんじゃなかったっけ?思い出した瞬間、僕は溜息が出た。

教室を後にし、大学の最寄駅に着いた。今から家に帰りたい所だが、僕もバイトがある。家の電車の最寄駅からバスに乗る。家で降りるバス停の一つ前で降りた。重い足をなんとか前に進ませる。バス停からバイト先は離れているわけでもないのに、異様に遠く感じる。行くたびにこの道中で自分が倒れてしまえばいいのにと思う。ガララと無機質な音を立てながら店の扉を開ける。パンの香りが鼻を掠める。

「おはようございます。」

「おはよう。」

目を合わせない店長が挨拶を返して来た。僕は裏に行き制服に着替える。裏は掃除が行き届いてなくて埃がたまっている。表面が剥がれ落ちたロッカーにリュックを入れる。扉の噛み合わせが悪いので少し上に引っ張りながらでないと開かない。裏と店の狭間にあるタイムカードを押し、店へ出る。すれ違うように店長は裏へ戻る。僕は横目でそれを睨みつける。レジ前には後輩が立っている。

「裕理さん、おはようございまーす。」

「おはよ。」

後輩は気さくな性格だ。僕はレジの後ろのカウンターに溜まったトレーを拭く。

「今日お店空いてますよ。」

「昼間なのに、珍しいな。」

その矢先、子連れの女性が来店した。

「いらっしゃいませー。」

彼女は右手に赤子を抱き、左手にやんちゃな娘の手を握っていた。僕は素早く側に駆け寄る。

「欲しいパン言ってくだされば、私が取るので、仰ってください。」

「あら、すみません。ありがとうございます。」

彼女はゆっくりとパンの棚を眺め、長考していた。娘はそんな母親に飽きたのか、自ら手を離し、隅から隅までパンを見始めた。

「みぃちゃん。走っちゃダメよ。」

「はぁい。」

僕は彼女の隣で要望を待つ。

「じゃあ、あの丸いパンと…、チョココロネお願いします。」

「はい。ひとつずつでよろしいですか?」

「あ、はい。」

僕はポンデケージョとチョココロネをトングで挟み、トレーへ置く。

彼女は優柔不断な性格のようだ。何度も同じところを見回しては長考する。

「あと、塩クロワッサンと、クロッカンを二つ。」

「はい。」

クロッカンは意外と滑りやすい。僕は丁寧にトレーに置く。

「……以上で。」

「はい、かしこまりました。」

僕は一足先にレジへ向かう。ポンデケージョは丸いから丁寧に運ぶ。

「ママ!りんごジュースあった!買って!」

彼女の娘がりんごジュースを手に持ち走って来た。僕は落ちないようにポンデケージョを見ていた。娘のことは見えてなかった。

「うわっ。」

ポト。ポンデケージョが床へ落ちた。

「す、すみません!!…みぃちゃん!走っちゃダメって言ったでしょ!」

「う、うええぇぇん。」

「すぐお取り替えしますね。すみません。」

僕は新しいポンデケージョを取り直し、レジへ向かった。その間落ちたポンデケージョは後輩が広い後ろのカウンターへ置いておいてくれた。

「五点で六百四円です。」

お会計をし、親子を見送る。

「ポンデちゃん勿体無いですね。三秒ルールで俺食べちゃいたいな。」

「やめとけ。それに報告しないと。」

「ですねー。」

僕は落ちたポンデケージョを持ち裏に行く。裏に行くと座りながら携帯をいじっている店長がいた。

「すみません。さっきお客様のお子様とぶつかって、パン落としちゃいました。」

すると店長は、僕の方は見ず、だが顔だけはこちらに向け、呆れたように鼻で笑った。

「捨ててください。」

馬鹿にするような言い方だった。

「…はい。」

店長はまた背を向け携帯をいじり始めた。僕は誰もみてないところで、怒り任せにポンデケージョをゴミ箱へ思い切り投げ入れた。僕にだけあの態度。確かに、パンを落としたという事実はミスである。そして娘が足元にいることが視界に入らずぶつかってしまったのも僕が悪い。だが、店長自身が見てないとはいえ、少しばかりあれは事故だったと自分の中では思っていた。だからこそ明らかミスしたわけでもないのにあんな態度を見せられると無性に腹が立つ。他のスタッフにはしないのに。僕と店長はものすごく仲が悪い。理由は知らない。面接の時はあんなにいい顔をしていたのに、ある日突然当たられるようになった。初めは僕が入りたてで何もできなくて、覚えも悪いからだめなんだとばかり思っていたが、態度が一向に変わらないので、僕の中ではもうそういうものなのかという結論に至った。そしてそれを知った僕自身も店長に一切事務連絡以外話もかけず、リアクションも取らなくなった。それも引き金なのかもしれないが、これはもう店長の自業自得であろう。百歩譲って、僕にだけ当たるのはまだいいとして、最近は見せつけるかのように後輩への態度の良さを出してくるのが許せない。本当に性格が悪い。対して技術も上手くなければ普段仕事すらしないのに、ただ長く勤めているという空っぽなキャリアで威張るあの様は物凄い殺意を抱かせる。バイトに来るたび人間に殺意を抱く日々なんて、いつか頭がおかしくなってしまいそうだった。だが、辞められなかった。一人暮らしの僕にとって、掛け持ちもせずここで働いていれば、贅沢はできないが生計を立てられるからだ。金のためと割り切っているつもりだが、僕の中の黒い何かは日に日に増して行く。

やっと閉店の時間になり、僕はパンが置かれていた棚を拭き、売れ残ったパンの数を数える。その間後輩は習ったばかりのレジ締めをやっていた。無論、店長は裏から出ては来ない。僕は全て数え終えると、拭き終わったトレーなどを片付ける。

「あっ。」

後輩が声を上げた。

「間違えちゃった…。」

レジ締めの音が鳴らなくなってからやっと店長は外に出て来る。

「すみません。最後打ち間違えちゃって。」

「あぁ、大丈夫。明日直しておくよ。」

にんまりとした顔と妙に優しい声で話す店長に、僕は不快感を覚えた。本当に性格が悪い。根っから腐っている。片付けを全て終えると、終礼の時間だ。レジ締めの人が売り上げを読み上げ、パンを数えた人が数を伝える。そして最後その日のトップの人が一言添えて終える。これがここの終礼のスタイル。今日のトップは店長。店長はいつもろれつも回ってないくせに妙に早口だ。

「まあ、昨日沢山お客さん来たから、今日はまずまずだね。それと、やっぱ商品を床に落とすってあり得ないから。その分無駄になるってことだから。つい落としちゃうとかもあるかもしれないけど、それで平気な顔で報告すら神経もおかしいと思うし、基本はあり得ない。以上。」

僕は聞こえない程度に深く溜息をついた。店長はあり得ないや、おかしいなど、とにかく強そうな言葉を並べる癖がある。もちろんほとんど僕に対してなのだが。そしてこういう時、目を見て話さない。まるでお前の意見なんてどうでもいい。俺の言いたいことだけ言って去る、とでも言っているようなのだ。終礼が終わるとロッカーへ向かう。僕は壊れているロッカーをいつもより少し乱暴に開け、リュックを取り出した。後輩もバッグを取り出している。僕は店長から、直接的な攻撃はされていないが、確かにこのように明らか他の人とは違う態度をとられている。一体、周りの人はこれに関して気づいているのだろうか?気づいていて黙っているのか、全く気づいていないのか。もしくは、単純によく怒られるバイトの人というレッテルを貼られ陰で馬鹿にされているのだろうか。そんなことを考えながら静かにロッカーを閉める後輩の背を見つめていた。

外に出るともう暗かった。今日は学校終わりのバイトだったから家まで歩いて帰る。後輩は自転車なので、「お疲れ様でーす。」と言って店を後にした。暗い道を真っ黒な僕が歩いている。気分は最悪なのに、外の空気と同化した気がして、何故か気持ちよかった。涼しい夜はいい。まるで真っ黒な僕に寄り添ってくれるようだから。僕は足元しか見ていない。家のそばのバス停を過ぎる。家までもう少し。散った桜の花は未だ無残にもコンクリートにばら撒かれていた。ふと、前に男の人が歩いている。珍しい。こんな時間にこの辺りを歩いてる人はあまり見たことがない。ぼんやりとその男の背を見つめていると、ポケットから何かが滑り落ちた。僕はまたそれをぼんやりと見ていたが、財布であることに気づく。僕は歩くのを早め、財布を拾う。駆け足で男の元へ近づく。

「あの、財布落としましたよ。」

「…あれ?本当だ。」

男は自分のお尻にあるポケットをさわさわと触りながら言う。

「ありがとう!」

男はくしゃっとした笑みを見せた。

「いいえ…では。」

僕は去ろうとした。すると男は止めた。

「財布を拾ってくれた恩人!奢るから今から飲みに行こう。」

「…え?」

「一期一会だよ!飲みに行こう!」

「…今から?」

もう家は間近だというのに、僕は知らない男に飲みに誘われている。行く気満々の男と、行く気の無い僕との間に物凄い温度差が見えた。

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