ビールは御神酒代わりになるのか?
小早敷 彰良
第1話
私はどこにでもいる社会人だ。一般企業に勤め、ビールを愛するただの一人暮らし。
隣人は陽気な大学生だ。来客の友人は多く、夜は静かにしている、挨拶もちゃんとできる。そんな、稀有な好青年だ。
ここ一か月、蒸し暑い日が続いた。ビールがよく似合う夏で、夜風に当たりながら飲む冷えたそれは、びっくりするほど爽やかな飲み物だった。麦ジュースとはよく言ったものだ。大学生どころか老若男女がきっと賛同してくれるに違いないとすら思った。いや、老若の若はまずいか。
ともかく、ベランダ越しに彼と話すことがこのところ何度もあった。
話題は例えば、彼の専攻。
「僕は歯車の挙動について調べているんです」
「ほんなあ?」
「うん、理系の大学院生なんです」
間抜けな返事にわかりやすく返してくれたものだ。
また次の日はこう話した。
「そういえば貴方友達多いんだね。いいね、素敵だよ。話上手だし、頭の回転早いもんね」
褒め言葉は良いものだ。特に、落ち込んだ表情を覗かせる男には、だ。
「日頃の行いが良い、すごいよ。毎日頑張ってる。」
今日も麦ジュースと塩をかけたスイカが美味い。そのことを彼にも思いだしてほしい。
「ならあんな風に振られないですよ」
あの時彼は涙目だった。まさか傷つけたのか、やってしまった。と思った。それでいて翌日から目に見えてなついてくるのだから、人の心はわからない。
会話が今日まで何日も続いた。
そういえばこのところ毎日話していた気がする。
そして運命の昨日、彼はこう言っていた。
「俺、肝試し行くんですよ。最近嫌なことばっかあったからイベントしたくて」
彼は久々に浮かれた表情で言った。
「涼しくなりそうじゃないですか。もし良かったら一緒に」
ぞくり、と背筋が凍る。
何となく、嫌な感覚がした。
「いやいいや」
「そうですか。暑気払いに隣県の林道へドライブ、楽しいと思うのですが」
本気で残念そうな彼に申し訳なさが募る。
それでも、行けない。自分の最も動物的な部分が警報を鳴らしている。
「うんごめん」
「じゃあ明日、レポしますね」
「明日行くの?」学生の行動力は何とも恐ろしい。「いってらっしゃい」
自分の勘でやる気の学生を止めるのは気が引けた。
一定間隔で三回、呼び声がする。もしやノックの代わりなのか?
「ニゲロニゲロニゲロ」
「ニゲテニゲテニゲテ」
そんな姿になってまで律儀な人だ。
ああ、彼が赴いた林道には良くないものがいたらしい。
ドアスコープを覗いてドアを殴る彼の顔を再確認する。
丸く黒一色になった彼の目がこちらを見ていた。白目と優しい笑みはもはやない。
くそみたいな状況だ。あの時止めていれば良かった。悔やんでも悔やみきれない。
隣人は稀有な好青年だ。友人も多く、将来も明るい。
彼に汚名を着せる訳にはいかない。取り憑いているくそ怨念なんぞにやられてやるわけにはいかない。
死んでたまるか。
遂に抉じ開けられたドアの向こうの彼へ、私は御神酒代わりのビールと塩をぶっかけた。
ビールは御神酒代わりになるのか? 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa
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