月の茜に彼岸花

如月 仁成

月の茜に彼岸花


 紅の盃に、細くたなびく花弁ひとつ。


 こけた頬を、中秋の月桂に白く塗られた男は舌で一つ鼓を打つと、着流しの袖から合わせへ腕を抜いて片胸を晒した。

 無二の友との間に礼など差し挟む程無礼と公言する隻眼は、その矜持を今宵も貫きつつ、びた銭で用立てたとも思えぬ程に美味い濁りを喉に流し込む。


「いやはや、此度の戦では随分と日ノ本に住まう土地神どもに血肉を供えてやることになった」


 少々軽薄が過ぎる声音も、戦の終焉ともすればその高揚から来るものと窺い知れよう。男は地べたに立膝で盃を構え直すと、その白味がかる瞳一つを暗がりへと投げかける。

 すると返る声音は草木も身じろぐ重たさを纏い、生ぬるい風を従えて、男の耳朶を打った。


「まったく。だがそれも今宵で終わり。明日から、生産と再生とに取って代わる」

「然り。平和と笑いじゃ! 人は神どもに生かされておるとは言え、その身をにえとして食らわせてやる為に肥えるわけではなかろう! 家畜か!」

「平和、笑いか。人は祈るために生かされ、笑うために米を食らう。然り、然り」


 暗がりのざんばらは、四角四面に纏った堅苦しい着物を肩ごと揺らして、枡を傾ける。なんでもその枡は目出度い折にのみ持ち出す家宝とのことだが、隻眼の男はそれを粗雑に袂へ放り込む様に、幾度も苦笑を噛み殺すのに苦労したものだ。


 正座の男に風が撫でつけるも、まるで邪魔立てなど感じさせることなく枡の濁りを口に含むその姿に、隻眼の男は白い頬に緩みと朱を宿す。


 だが、ざんばらが硬く自分を見据えるを悟った隻眼は、二人を分かつうろに在ってはならない淀みを感じて鼻白むと、盃を一気に煽った。

 そして晒すことなく綿で押さえる影腹にとうとう頬をらせながら腰を上げ、ざんばらを見据えて薄い音を紡いだ。


「貴様は、殿の差配をどう思っておるのか」

「愚問」

「この金槌め! 講和として、二人の大将いずれかのしるしを一つ差し出せなどという戯言を呑んだのだぞ? 我はあんな臆病者に付いていくことなどできぬ!」


 この壮語に、ざんばらも腰を上げて枡を空けるといつものようにそれを袂へ放り込み、隻眼を見据えながらに生ぬるい風を吹いた。


「何をおいても、殿への忠誠は変わらぬ」

「我が言うても変わらぬと、貴様は言うのだな」


 その言は、売り文句と呼ぶには余りにも粗末。震える口端から涙のように漏れるのは激痛から来るものや、あるいは失血に端を発するものや。


 ……あるいは。


 影腹よりも見せてはならぬ、思慕から来るものや。


 隻眼の男は限界を迎えていた。

 だが今しばらく、男の痩躯を立たせるだけの言葉を耳にすると、不思議と痛みも眩暈も霧消する。


「我は、貴殿にのみ愛を見出したものだがな」

「ほう。我への愛と言うか。ならば殿への忠誠と、どちらを取るや」

「…………愚問」


 隻眼の男に、笑みが差す。

 ざんばらの男に、吐息が漏れる。



 そして月明かりは。

 二つの刃が散らす火花を、朱い涙で染め上げたのだった。


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月の茜に彼岸花 如月 仁成 @hitomi_aki

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