最上階にて

 ぱたり、と一冊のファイルが閉じられた。男はそのままファイルを取り上げて部屋を出ていく。そのゆったりとしつつどこか悲しみを含んだ足取りは出てきた扉よりも大きな扉に向かう。中は巨大な図書室、というよりは資料室だった。そこには本など一冊も無く、大小様々なファイルがずらりと並べられているだけだ。

 隙間なく埋められた棚の中、ここに入れてくださいと言わんばかりの隙間に今さっき運んできたファイルを滑り込ませる。

「ああ、彼女も駄目だった。今回はあと少しだったのに。」男は肩を落としてため息をつく。






 彼は自らの後継者を探していた。

 いつからか、彼もこの建物のどこかに収容されていた。そこには誰もいない。いつも自分を傷つける父はいなかったが、今まで育ててくれていた母もいない。ただ、誰だかわからない人がどこからともなく僕のお世話をしてくれる。それだけだった。彼はひたすらに話しかけ続けた、あなたは誰なのか、なんで僕はここに一人なの、と。返事など一度も返ってくることはなかったが。




 そうしてひたすらに生活し続けた。いつだったか、突然玄関の扉が現れた日は。ずっと長い間閉じ込められた空間からの出口。彼は必死にすがった。


 …でも、帰ったらどうなる?彼の脳裏には今まで忘れかけていた父の顔が浮かぶ、今はもうない傷が痛む、彼は希望を前にして硬直していた。このままここから出たらどうなるのか。それは全く想像がつかない。しかし、悩みとは裏腹に両腕は玄関の扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。彼はそのまま勢いよく外へ弾き出された。扉の外は見慣れたあの通路ではなかった。ただ、一人の神父が彼がここから出てくるのを知っていたかのように立っていた。優しい笑顔で神父は口を開く。

「よくぞ神の救済を投げ出しませんでしたね。あなたは立派な管理人になるでしょう。」

 彼の頭は混乱して思考が追いつかない。どういうことだ?僕はこいつのせいでここに閉じ込められていた?考えがまとまらず、言葉が出てこない。やがて、ようやく一言口に出して聞けた。

「…お母さんは?」

 神父は淡々と答える。

「ああ、推薦者のことですか、彼女はあなたの父親に殺されました。あなたがここにきてからさらに暴力が激化したと聞きましたがね。」

 彼には母が死んだという言葉以外耳に入らなかった。そのまま、もつれた足で神父に掴みかかろうとしたがすぐに転んでしまった。くじいた足首がズキズキと痛む。

「彼女はあなたをここに推薦してから死んだのです、ただの自業自得ではありませんか、何もあなたが気にすることはないのですよ?」

 神父の追いうちをかけるような発言に彼は恨みを吐きながらも、彼はいとも軽々と神父に抱えあげられた。

「ほら、そんなことを言っている場合ではありませんよ。これからあなたがここの管理人になるための研修をしなければ。」

「いやだ、離してくれよ!僕はここから出たいんだよ!」

「ここにきた時点で帰れるとでも?この施設の存在は世間に知られてはいけないのです。管理人にならないのなら…もう真実の一部を知ってしまったのだからあの部屋には戻れない。ここで死んでもらうことになります。」

 神父は冷たい目でこちらを見る。もう、選択肢はなかった。






 彼は神父に教えられて、仕事を覚えさせられていく。

 閉じ込められて狂った人間を観察して、世話をして、「針」を差し出して。

 震える手は神父に掴まれている。





 神父の手が離された時、なんでもないかのように告げられた。

「あなたのように救済を一定期間享受し続けた者には管理人になる権利が与えられます。あなたが管理した人の中からそのような者が出れば、仕事を全てその人に任せて管理人を辞めることもできるんじゃないですかねぇ。」

 こちらにじっと向けられた目は笑っていない。




 この神父は悪人だ。他人に終わりのない地獄を押し付けて、さらにはあまりにも無謀な逃げ道を提示してくる。でも彼らはそれに縋るしかないのだ。ここではそれが全てなのだから。






 船のエンジンの駆動音が聞こえてくる。また補給の時間だ。

 戻ってきた監視室にはすでに新しいファイルが置かれている。インクが減ってきたペンを握ってファイルを開く。モニターの中、家に帰してと泣き叫ぶ少年を死んだ目で眺めていた。






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救済マンション 大瑠璃 @almach

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