夏色の君

仲咲香里

夏色の君

 夏色の君が好き。

 空色のユニフォームでグリーンの人口芝を駆ける君が追う、白と黒のボールの不規則な動きを見ていると、私の心も熱く揺れ動く。

 まだ夏休みに入ったばかりなのに、真っ黒に日焼けした君の笑顔が、風に乗って、私の頰をくすぐりに来るんだ。

 今日も、そして明日も、明後日も、夢の中までも、きっと永遠に。


『君と私とキューピッド』


 それが、私が所属する演劇部が夏休み明けすぐの文化祭で演じる劇のタイトルで、部長である千波ちなみの自信満々の最新作だ。


 普通の恋愛物っぽいけど、実はこの後、両想いなのにいつまでも煮え切らない高校生の主人公二人の元へ自称恋のキューピッドを名乗る天使が現れて、それぞれ相手の姿を自分の一番嫌いなものに変える。彼は彼女の嫌いなものに、彼女は彼の嫌いなものに。それは人とは限らない。物かもしれないし、人以外の生物かもしれない。もちろん、相手が何に姿を変えたのかはお互い知らないまま。そして今夜十二時までに、その相手を見つけてキスできれば二人は永遠に結ばれる。もしできなければ、元の姿に戻れないばかりか永遠に結ばれないようにしてあげる。


 という、実にありがた迷惑この上ない突っ込みどころ満載の物語だ。そもそもこの天使は何がしたいのだ。タイトルからして頂けない。

 しかもオチに至っては、一番嫌いなものとはなかなか想いを伝えられない自分だったというただの男女入れ替わりの話で、最終的にお互い自分にキスをするという何とも微妙な気持ちになるものだ。


 千波が意気揚々として部室でこの脚本のあらすじを語った時、全員が言葉を失ったのは言うまでもない。みんなを代表し、副部長の私が「夜十二時って深夜徘徊で補導されるし、なんなら入れ替わったままでも別にいいんじゃ……」と言ってはみたが、

「じゃあ、麻由まゆが脚本書いてくれるんだよね?」

 と、笑顔で言われたのでそれ以上は誰も何も言えなかった。


 相変わらず千波の書く脚本は理解不能で、本当にこんな話に観客が付いてこられるのだろうかと疑問しか浮かばないけど、ると決まったからにはそれに向けて頑張るしかない。



 夏休み初日の今日、体育館で柔軟と筋トレを終えた私たち演劇部員は、千波の指示で全員で校舎屋上に上がって来ていた。ここで発声練習をする為だ。

 前方にはグラウンドと街並み、後方には山々と入道雲が見え、天上の青い空からは暑い陽射しが照り付ける。それでも、私たちの髪や服をくしゃくしゃにかき混ぜていく風が体感気温を下げてくれているお陰で体育館よりは涼しいし、開放的なこの場所で大きな声を出すのは最初こそ恥ずかしかったものの、今では少し楽しみであったりもする。


 それはここから、グラウンドにいる君が見えるから。



「あーえーいーうーえーおーあーおー。かーけー……」


 それぞれが自分のタイミングでお腹に手を当て、より遠くへ声を届けるよう意識しながら発声練習を始める。


「麻由、潮見しおみくん今日も頑張ってるねー?」


 そんな中、千波がグラウンドを見下ろしながら私の肩に腕を回し楽しそうに話し掛けてきた。私はじろりと軽く千波を睨む。


「千波、真面目に発声練習しなよ。早く終えて立ち稽古始めなきゃ文化祭に間に合わないよ。うちはいつもぎりぎりなの、千波が一番良く分かってるでしょ?」


「分かってるよー」と軽く答えつつ、千波がにやりと笑う。


「でもこれ、あんたたちがモデルだから。女の子側の心情とか演出するのに麻由見てたらすごい参考になるなーって思って」


 冒頭を読んだ時に嫌な予感はしてたけど、まさか本当に私たちのことだったなんて。ということは、このお節介なキューピッドは千波がモデルなの? と聞いてやりたくなる。


「お役に立てて何よりだよ」


 私はそう答えるのに留めておく。千波にはもう私の気持ちはバレてるから何を言っても無駄なのは分かってる。


「もーっ、麻由ちゃん、可愛いっ。よしよし、今日は思いの丈を叫ばせてあげよう! はい、みんな注目ー!」


 千波がパンパンと二回手を打つと、部員全員が千波に注目する。今日は私たちも含めて十五人程いる。私はこの時点で嫌な予感しかしない。


「じゃあ、今から発声練習として男子は『お前が好きだー』で、女子は『あなたが好きー』って言うこと。はい、始めっ」


 案の定、部員たちが閉口する。これは今回の脚本で主人公たちがキスする直前に言う台詞だけど、全員が練習する必要はさらさら無い。


「ちょっと、千波! 何また変なこと言い出してんのっ? そんなだから私たちいつも白い目で見られるんだからね!」


 千波の暴走を止められるのは副部長の私しかいない。いない、けど……。


「いいじゃん。どうせ演劇部なんて変人の集まりだって思われてんだから。まぁた変なことやってるって思われるだけでしょ。それより、早く言わないと今から腹筋三百回させるよ。いいの?」


 大体、千波の横暴ぶりに玉砕して私は全然部員たちを守れていない。変人の集団って思われてるなら、きっとそれは千波のせいだろう。でも今日のは、意味のある練習じゃなくて千波のいつものお節介ってだけだから、付き合わされる他の部員たちには本当に申し訳ない。


「お前が好きだーっ!」

「あなたが好きーっ!」


 諦めた部員たちが次々に叫び出す。もしかしたら何か悟ったからかもしれない。


「ほら、麻由も」


 千波に促され、私もお腹を使って声を出す。ただの発声練習だと思えばいくらだって言えるのに、どうして実際には上手く伝えられないんだろう。


 思ったとおり、グラウンドで練習してた陸上部員も野球部員もテニス部員も、君のいるサッカー部員も、みんな屋上を見上げて笑ってる。


 眩しそうに片手を額に当てて見上げる君のことも、ここから見えてるよ。

 恥ずかしい。

 でも、本当はすごく気持ちいい。

 視線はグラウンドより遥か向こうのビルだけど、意識だけは足下にいる君に向けて、屋上からなら素直に好きって言える。

 私の声が、真っ直ぐ君の心に届けばいいのに。



 君、潮見と、私、船越ふなこし麻由は、たぶん友だち以上恋人未満の微妙な関係。

 高一、高二と同じクラスで仲良くなって何かと気が合って、放課後二人きりで帰ったことも休みの日に二人だけで遊びに行ったことも何度もある。

 どっちかと言えば好かれてるんだろうけど、恋愛として好きかどうかは分からない。

 踏み込みたいけどサッカー部ってだけで潮見は無駄にモテるし、私位に仲良い女子は他にもいるし、私もそういう内の一人かもしれない。



 そんな私たちの関係を同じく二年間同じクラスの千波は知ってて時々焦ったそうにしてるけど、現実は物語みたいにヒロインに都合良く急展開なんて起きたりしないんだ。それは私自身が一番良く分かってる。


 演劇部員は顔を合わせると、時間に関係なくいつでも「おはようございます」って挨拶するのが決まりなんだけど、今じゃ部員全員に私の気持ちがバレていて、潮見にまで「おはようございます」って挨拶してるらしい。

 それを潮見に「俺まで挨拶される」って可笑しそうに言われた時には顔から火が出る程恥ずかしかったけど、それも絶対、千波のせいだ。でも、千波のことを強く怒れないのはどこかで潮見の本当の気持ちを探りたいって思いがあるからかもしれない。




 その日の部活動を終え、私が部員たちと共に昇降口に向かうとばったりと潮見に会った。同じクラスなんだから下駄箱も同じだし、同じ時間部活動してたんだから帰りが同じになっても当たり前と言えば当たり前だ。


 でも気まずい。


 あの発声練習が私の本音だってこと、君は気付いているのかな。


「お疲れ。船越も今帰り?」


「う、うん。潮見もお疲れさま」


「おー。んじゃ、一緒に帰るか。俺、腹減ったし何か食いに行こ」


 こういうことをさらっと言って来るのが潮見で、その度に私はドキドキしてしまう。


「サッカー部のみんなで行くんじゃないの?」


「え? 船越、俺と一緒に帰りたくないの?」


 だから、こういうところが……っ、本当に心臓に悪い。


「か、帰りたくない訳ないじゃんっ」


 私の答えを聞いて潮見が満足そうに笑う。私は完全にからかわれてるんだろうか。

 もしそうなら、潮見はとっくに私の気持ちに気付いてる筈だ。潮見は? 潮見はどうなの? 後一歩を踏み出す確信が欲しい。


「ところでさー、船越。今日のあれ、いつもの発声練習?」


 潮見の言葉に私の靴が派手な音を立てて落ちた。


「そ、そうだよ。千波が文化祭でる劇の台詞を大声で言えって言うから……」


「ふーん、そっか」


「また変なことやってんなって思ったんでしょ?」


「あー、ていうか、俺に言ってんのかと思った」


「は、はあっ? ななな、何、何っでっ」


「だって船越、裏方だろ? 台詞の練習する必要ないじゃん」


 真っ赤になった私の顔で、きっともう君にはバレてる。

 そうだよ。私は役者じゃないから発声練習してる暇あるなら舞台装置を作りたいよ。スケジュールはぎりぎりだし、こんな時に何でもないふりする演技すらできない。


「俺に言ってくれてるならいいなって思ったんだけど、違う?」


 それは私が欲しかった確信でいいの? 潮見は? 潮見はどうなの?


 私から言わせるなんてずるい。

 いつも余裕たっぷりのその態度も、全然本心が読めない顔も、すごくムカついて、すごく好きだ。

 ここで頷いたら、きっと後で潮見が主導権握るに決まってる。

 悔しい、けど。


「……」


「え? 聞こえないんだけど。こういう時の為の発声練習じゃないの?」


「そんな訳ないでしょっ」


「なんだ、でかい声出るじゃん。で? どうなの?」


 今この場所には、他の部活帰りの生徒だって大勢いるし、もしかしたら顧問の先生たちだっているかもしれない。


 少なくとも、さっきまで一緒にいた千波を含めた演劇部員が下駄箱の影に隠れたのを私は知っている。千波のことだから、今頃その辺のごみ箱から紙くず拾って即興の紙吹雪とか作らせてるかもしれない。


 こうなったら日頃の成果を見せてあげる。

 裏方だけど、演劇部副部長兼舞台監督の私が、千五百人規模のホール内で舞台装置について指示出す時は、役者並みに良く通る声だねって褒められるんだから。


 これで振ったりしたら、一生、潮見のこと許さないんだから。


 高校に入ってから一年半、ほぼ毎日鍛え上げた腹筋で、発声練習なんかじゃない、ありったけの、


 君が好き!

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夏色の君 仲咲香里 @naka_saki

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