第31話 六月の恋文

 ゲートをくぐると、深い森だった。


 大人が並んで通れないくらいの密度で木々が天を目指している。

 見上げると枝の先は見えない。


 振り返れば車二台分の幅はある大木に大穴が開いており、そこに「異界の」グレートソード村が見える。

 微かな風が流れる向きへ歩き出し、しばらくすると突然視界が開け、海が見える。

 限りなく白に近い碧は、これまでの人生で水無月が見たことのない色だ。


 水に触れることはできない。

 砂浜ではなく、ビルの十階分はありそうな断崖に阻まれている。

 降りる道はなく、波に削られた奇形の岩がなだらかなカーブを描きながら目に見える範囲の果てまで続いている。


 ここまでが、現段階で水無月が立ち入りを許諾されている区域だ。



「俺が拓いたのにさあ、調査団に加えてくれないなんて酷いよな」

「まだ言ってるの?」


 梓が、崖の端に座る水無月の傍らに立つ。


「危ないからもう少し後ろに座りなよ」

「俺が生まれたときから、日本には世界地図があった。地球儀もあった。ご丁寧に各国の観光ガイドまであった。最近はインターネットでどこの情報だって拾える。

 そりゃ、紙やモニタで見るのと行くのは違う。

 だけど飛行機とかを使って何十時間もかけた上で『ああ、ガイドブックと同じだ』って、考えてみれば笑えるよね?

 この世界には地図がない。

 自分の想像が合っているかもしれないし、間違っているかもしれない。

 世界の果ては滝になっていると想像した中世の冒険者たちは、こんな気分だったんじゃないかって思うんだ」

「わくわくする?」

「それ以上に、焦る。誰よりも自分が一番に解明したい、って」

「じゃあ、また志願するんだ」

「もちろん」

「無理だと思うよ」


 梓が呆れたように息を吐く。


「だって水無月くん、戦えないし、体力ないし、若くもないし。

 村長からやれって言われてることも山積みでしょ?

 期待されてるベクトルが全く違う」

「まあね……」

「水無月くんが調査団で行っちゃったら、誰が今やってることをやるの?

 そもそも、私たちはどうするつもり?

 一緒にいるとか言ってたくせに、私はこの子が生まれたら早々に、パパはとんでもない大嘘つきだ、って教えなきゃいけないわけ?」

「あの……梓さん、怒ってる?」


 振り向いて顔色をうかがうと、おどけた表情で安心する。


「怒ってはいないけど、拗ねてる」


 と、なんとも可愛い物言いに、思わず罪悪感を引き出された。


「ごめん、解ってるよ。

 まずなにを置いても十人生んで、育てるさ。

 ただ、今でも俺はここではないどこか……異世界に憧れてるんだなー、って自分で思う」

「……そっか」


 仕方ないなあ、という顔で梓が目を細めて微笑んだ。


「そういえばあずちゃんは? 今でも、『今いる異世界』が嫌い?」


 梓は質問の意味が解らないという顔を一瞬だけしてから、ああそういえばという風に変化し、少し上を向いてから水無月に視線を戻した。


「私が求めてたのは、人だったみたい」


 笑う。


 暗い影のない、いつまでも見ていたいような完璧な笑顔だった。


「水無月くんがいるなら、どんな場所でも異世界じゃないってことになったらしいよ」


 そっか、と言って水無月は深く息を吸い、吐く。


「ところで」

「ん?」

「前々から言おうと思ってたんだけどね」

「なに?」

「もう水無月くん、じゃないでしょ? とっくに」

「あ」


 口元を押さえる梓に眉の下がった笑顔を見せ、水無月は立ち上がる。

 わけもなく抱き締めたくなって両手を広げて近付くと、梓が遮るように両手を突き出した。


「う?」


 拒絶されたのか? と思って悲しい顔になってから、そうではないと気付く。

 梓の手には、紙片が握られていた。


「……なに? これ」


 梓ははにかむように首を引っ込めて、上目遣いで呟くように言う。


「手紙を書いてみたの」


 水無月はふたつ折りになっていた紙をそっとつまんで開き、目で追う。






 あなたは家族です。


 切っても切り離せない、人生を共に歩むひとです。

 だからなんでも話したい。


 あなたと過ごす時間は楽しくて、いくら時間があっても足りません。

 もっとあなたのことを知りたい。望みを叶えたい。

 そのためにできないことは、ひとつも見当たらない。


 あなたの苦しみに泣き、あなたの喜びにも泣きたい。

 あなたと過ごす時間は宝物のようで、奇跡はどこまでも続いていく。


 私の夢は、あなたです。

 どうか私があなたを想うのと同じくらい、あなたが私を想ってくれますように。






 手紙を丁寧に折りたたみ、水無月は目を閉じて抱くように胸に押し当てる。


 そのまま長い時間、黙り込んだ水無月を怪訝に思った梓がまばたきをして前屈みになった瞬間、鼻をすする音がした。

 そして水無月は堪えきれなくなって号泣した。


「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 目を丸くして、梓が身を後退させる。


 えぇぇぇ……。


 引き笑いをして、三十三とは思えない感情解放っぷりに呆れ返る。

 やがて肩を震わせ、噴き出す。


 それからしばらく、水無月の号泣と梓の爆笑が響き渡った。



 ようやくふたりとも落ち着いたころ、梓が満面の笑みを浮かべたまま、背伸びして水無月の頭を抱き締めた。

 すがりつくように水無月も梓の背中に手を回す。

 ふたりとも目を閉じ、互いの体温に心を溶け込ませる。


 しゃっくりのような呼吸まで落ち着いた水無月に、梓が耳元で囁く。


「いつの間にか大好きだったよ」


 涙でぐしゃぐしゃになった水無月の頬を両手で挟み、くちづけをする。

 とても長い時間の後、唇を離した梓は目覚めるようにゆっくりと瞼を開く。


 互いの目に映る互いに笑いかける。


 照れながら、だけどとびきり無防備に。


「あの日、コーンスープカレーしるこを転がしてくれてありがとう、こいぶみくん」






 鯉史と梓の世界は、広がり続ける。

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魔剣とこいぶみ ヴァゴー @395VAGO

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