終わりに


「お爺様、このようなところでいったい何を?」


 イズー城の地下牢にはまったくふさわしくない少女の声が響く。

 はずんでいるのは、よほど一生懸命に広い城の中を探し回ったからにちがいない。

 行き止まりの壁に手をかけて、物思いにふけっていたカエル・ベルヴィンは、目を見開いて振り返る。


「すなまいな。この城ともお別れだと思うと、つい……名残惜しくなってなぁ……」


 言葉を話せないベルヴィンであるが、心話という言葉をもってエーデム族の者とならば、今や平民とでも話ができる。

 しかし、リューマ族や人間とは、会話らしいものは成り立たなかった。


「名残惜しいなんて。嫌だわ。お爺様が言い出したことじゃない。摂政の座を降り、民人たちの手で政を司る者を選出すると定めたのは……」


「それと、名残惜しいのは別なんじゃよ……」


 そういうと、ベルヴィンは、じめりとしめった石の壁を撫で繰り回す。


「……ほれ、一線をしりぞいたらのう、書こうと思っていた物語があるといっていただろう? その前置きを書いているうちになぁ……感極まってきたんじゃよ」


「いやぁねぇ……お爺様。前置きでそのような調子じゃあ、先が思いやられるわ」


 エーデム王族の血をわずかにもつとはいえ、王族の意味すらもあまりわからない孫娘は、老人の感傷をただ笑い飛ばす。

 老人も悪びれない少女の笑いに、思わず笑う。


 今は平和だ。

 平和な時代だ。



 静かに滅びゆく者たちがいても、生きている者たちは平和で幸せであるように……。


 それが、おそらくエーデム最後の王・セリスの願いだろうと、カエル・ベルヴィンは考えた。

 リューマ族や人間たちが人口を増やすエーデムにあって、彼らの言葉を解さない自分が長く政権にいることは、無駄な争いを招くことになるであろう。


 ——あの方は争うことが嫌いだった——


 言葉を知らなかったカエルに、言葉は常に満ち溢れていると教えてくれた人は、エーデム王・セリスだった。

 心を開けば、音だけではなく、色も風も形さえも、すべては言葉であり、言葉は心を伝えている。

 いや、心ある物は必ず何かを伝えるものなのだ。


 花や風に心あるなら、人に心ないはずはない。



 弔いの日の出会い以後、カエルはエーデム王に気に入られ、雑用係として雇いあげられた。

 ベルヴィン公の姫に切なくも許されぬ恋をした時、王はカエルを正式に養子として引き取り、平民と貴族の垣根を取り払い、恋の成就に手助けした。

 成り上がりとも揶揄やゆされたが、王の片腕として息子として、そして心許せる友人として、王の力になってきた。

 王の死後は、どこかで生きているといわれているエーデム王族を探しながらも、エーデム摂政として、王・セリスの遺志を引き継いで王国を治めた。


 余命わずかな年齢になって勇退を決意し、イズー城を去る。


 エーデムリングの彼方に去った友と会話がしたくて、つい黒曜門の前まで来てしまったが、平民であるカエルには門を開く力はない。


 それでも……。


 たとえ時代が魔の力を解放した人々を葬りさっても、人々の心に永久に生きる物語として語り伝えたい、彼らのことを……。



 エーデム元摂政・カエル・ベルヴィンは、余命をペンとともに過ごした。

 あとに長い物語が残った。



=了=

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こころことのは〜心言葉〜 わたなべ りえ @riehime

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