第十三章
ハナの隣に並んだシンは、居心地が悪そうに玉座の間に立っていた。
その隣に立つハナは、女王を前に、にこにこと笑っていた。
*
ハナと再会してぽかんとするシンの傍に、女王が立った。お付きの者が、『獣』が襲ってこないかはらはらしているが、彼らはいまだハナの生み出した結晶に阻まれて動くことは叶わない。
「シン、ですね。わたくしはアルデリアの女王です」
「あんたが……」
シンはギリっと歯を食いしばる。
彼がずっと狙っていたのは、この女王の守るアルデリアだ。その女王とあっては、憎しみを向けるしかないのだろう。
「あなたの気持ちはわかります。ですがここは一旦引いてはもらえないでしょうか。あなたがたがそうしてくれるのなら、我ら結晶士も手を引きます」
ハナははらはらとその様子をうかがった。それがハナの望んだことではあるけれど、周りの視線が痛い。
結晶士たちは、女王はなにを言っているんだろうと思っているだろう。『獣』たちは人々を殺すつもりでやって来ているのだ。その脅威は女王も知っているはずだ。
シンがすっと立ち上がった。
「いいだろう」
周囲にざわめきが広がった。それをものともせず、シンは振り返って口を開く。
「我が同胞よ! この場は一旦収めよう! このアルデリアの女王は譲歩してくれるらしい。森に帰ろう」
『獣』たちも困惑しているようだ。だがその言葉に納得したらしく、徐々に殺意は消えていった。
女王はハナへと振り返る。
「ハナ、結晶を」
「はっ、はい!」
ハナは両手を合わせ、結晶が消えるように念じた。結晶士たちと『獣』の前から星状六花が消えていく。
そうしてシンが促すと、『獣』たちは森へと向かっていった。
「シン、お話ししたいことがあります。どうか城へと来てもらえませんか?」
この先どうするか思案していたシンは、ハナと顔を見合わせた。
*
そうして城へ訪れたシンは、どう振る舞ったらいいかわからず戸惑っていたのだ。
「お越しいただきありがとうございます、シン」
「いえ……」
その様子さえ、ハナは喜ばしい。ようやくシンと再会できて、隣にいるのだ。ずっと目すら合わせられなかった時期がどうでもよくなるくらいだ。
にこにこしているハナを、シンはじろりとにらみつけた。
「……なに笑ってんだよ」
「だって嬉しくて。真くん、耳かわいいね」
「なっ……! かわいいとか、言うな……」
シンの耳は『獣』と同じ形だ。それを指摘されたシンは、両手で耳を隠してしまった。
もう少し見ていたかったのに、とハナは残念がる。
「話を続けてもいいかしら?」
「はっ、はい! ごめんなさい!」
くすくす笑う女王にハナは向きなおる。
「鏡を持っていますね?」
女王はシンの方を向いて言った。ぐっと押し黙るシンだったが、やがて観念したかのように懐をあさる。
取り出したのは、金色に輝く楕円形の鏡だった。
「その鏡をこの場で使うことで、あなたたちの世界と繋ぐことができると言われています。ハナ、元の世界に帰れますよ」
「これが……」
鏡を縁取る模様に見覚えがある気がした。シンの部屋にあった絵を飾る額縁に似ている気がする。
シンから鏡を受け取った女王は、固い表情でそれを見つめていた。
「女王様、お願いがあります。あいつらも俺たちの世界から来たんです。あいつらもここに呼んで、帰すことはできないでしょうか」
シンたち『獣』の目的はそれだった。
『獣』に近い存在となったシンは、彼らと意思疎通することができた。『獣』たちはただ故郷に帰りたかったのだ。そのためにアルデリアへと押し入ろうとしていた。
まっすぐに玉座を見上げるシンに、女王はゆるゆると首を振った。
「それは、できません」
「どうして!」
「完全に『獣』になった者は、人には戻れないのです。あなたたちの世界に『獣』が溢れてもいいのですか?」
「それは……」
ハナも黙らざるを得なかった。
運が良かっただけだ。ハナも森へと向かっていたら、『獣』になっていたかもしれない。
それなのに、自分たちだけ元の世界に戻ってもいいのだろうか。
「別れを伝えなければならない相手もいるでしょう。三日後、またここへいらっしゃい。儀式を行いますから」
なにも言うことができないまま、二人は玉座を辞した。
*
再び二人は城壁へと来ていた。
「どうしても、行くの……?」
「あぁ。どっちにしても、あいつらに伝えなきゃいけないから」
シンは一度森へと帰るという。『獣』たちに、鏡の真実とこれから自分がどうするか伝えなければならないからだ。
どっちにしてもと言ったシンが、気になった。
「……戻ってくるよね?」
ハナは不安だった。シンがこの世界に残ってしまうのではないかと思ったのだ。
もう離れ離れはいやだった。元の世界に戻ってまた話せなくなるとしても、行方知れずよりかははるかにましだ。
不安そうにするハナの手を、シンはぎゅっと握った。
「……いろいろ悪かった。ちゃんと戻ってくるから。元の世界に戻ったら、話がしたい」
今じゃいけないのだろうか。そう思いはするけれど、決意に満ちたシンの目を見たら、なにも言えなくなってしまった。
「じゃあ、行ってくる」
城壁の門が開かれる。
雪原を走っていくシンの背中を、ハナは森に消えていくまで見つめていた。
*
「ハナ!」
宿舎に戻ってきたハナを待っていたのは、サギリの抱擁だった。サギリの肩越しに、アルペングローとジウの姿も見える。
「心配したんだよ! どうなったの!?」
思えばサギリたちには本当に良くしてもらった。もう会えなくなるかと思うと、涙が出そうになってしまう。
泣き出しそうなハナを、サギリはカフェへといざなった。
「そっか……」
すべて話し終えて、サギリはそう小さく零した。
すっかり冷めてしまったホットミルクをハナは口にした。この味ももうお別れだ。淋しくなってしまう。
「でもよ、シンは絶対戻ってくると思うぜ?」
「なんで言い切れるのよ、アル」
「だって同じ男だからな。なぁ、ジウ?」
話を振られたジウは、こくりと頷いた。サギリは納得いかないようだが、ハナに向きなおる。
「でも、あと三日か……。淋しくなるね」
同じ気持ちでいてくれたことが、ハナは嬉しい。サギリたちも、ハナを大事な友達だと思っていてくれたのだ。
サギリは勢いよく立ち上がる。
「じゃあ三日間、めいいっぱい遊ばなきゃ! 思い出を作ろう!」
「お、思い出……?」
「そう思い出。ハナがあたしたちのことを忘れないように」
そんなことをしなくても、忘れないに決まっている。だけど最後の三日間、サギリたちと過ごしたいのはハナも同じだった。
「うん! いっぱい遊ぼう!」
ハナの返事に、サギリは満足そうにほほ笑んだ。
*
それから三日間、ハナたちアルペングロー班はアルデリア中を遊びまわった。
サギリおすすめのケーキ屋さんに、かわいい小物が並ぶ雑貨屋さん。リアン先生とローレンさんにあいさつをしたら、ぎゅっと抱き締められた。セントラルパークでクレープを食べて、城壁に並んで座って雪原に夕日が沈むのを眺めた。
そして別れの日がやって来た。
不安そうに城壁の門の前に立つハナの手を、サギリはずっと握っていてくれた。
「真くん!」
森の中に人影が見えて、ハナは駆け出していた。向こうも気づいて駆け寄ってくる。
シンの頬に引っかき傷があって、ハナの顔が心配そうにゆがんだ。
「その傷、どうしたの……?」
「『獣』を抜けるって言ったらさ、制裁を食らえって言うんだ。結構覚悟したんだけど、こんなに軽く引っかかれただけだったよ」
シンは頬に触れながら、どことなくそれを慈しんでいるようだ。
きっとシンと『獣』たちの間にも、一言では語れないことがあったのだろう。ハナとサギリたちのように。
葛藤もあったに違いない。シンは元の世界に戻れて、他の『獣』たちは戻れないのだ。それでも見送ってくれた。
「あ……。ねぇ真くん」
ハナが森の方を指差す。シンが振り返ったその先には、『獣』たちが並んでいた。見送りに来てくれたのだろう。
シンは唇をぎゅっと引き結ぶ。そして右手を上げると、大きく手を振った。
一匹が前に進み出ると、高らかに吠えた。そしてシンに背を向けると、森の中へと帰っていく。
最後の一匹が見えなくなるまで手を振って、シンは振り返った。
「さぁ、行こう」
帰るのだ。
元の世界へ。
*
玉座の間で女王はすでに待っていた。
「別れは済ませましたか?」
「はい」
女王を見上げ、シンはしっかりうなずく。
ハナはサギリたちの元へと歩み寄った。
「サギリ、ずっと傍にいてくれてありがとう。サギリがはげましてくれて、本当に心強かったよ。あの……。会えなくなっても、ずっと友達でいてくれる……?」
サギリががばっとハナに抱きついてきた。
「そんなの当たり前だよ! ハナはずっとあたしの大事な友達! あたしのこと、絶対忘れないでね!」
「うん!」
ハナは一度強くぎゅっと抱き締めると、サギリから身を離した。
アルペングローの前に立つ。
「えっとね、アル、いっぱい助けてくれてありがとう。最初はこわい人なのかなって思ったけど、アルの強さは頼もしかったよ」
「ハナだってもう充分に強いさ。まぁ最初はおどおどして、なんだこいつって思ったけど」
にししと笑うアルペングローにつられて、ハナも笑ってしまった。
ジウに向かって立つと、彼もまっすぐに見つめ返してくる。今日はどことなく淋しそうな顔をしていた。
「ジウ、いつも支えてくれてありがとう。ジウがはげましてくれなかったら、ここまで来れなかった」
「ハナ、幸せ?」
ジウの問いかけに、ハナは驚いて目を見開く。この結末は、ずっと望んでいたものだった。ジウたちと別れるのは淋しいけれど、それが幸せか不幸せかは間違いなく断言できる。
「幸せだよ。ジウたちのおかげ」
笑ってそう言える。
ジウは一度目を伏せて、それからハナをまっすぐ見つめると、一歩近づいた。そしてそっと肩を掴む。
「ハナ、君の進む道に、もっと幸せが溢れていますように」
そう言って、額にキスを落とされた。
「なっ……!」
声を上げたのはだれだったか。ハナはジウにくるりと反転させられると、声の主の方へと背中を押される。
不機嫌そうなシンの元へ戻ると、ぎゅっと右手を繋がれた。どうしてそんな顔をしているのだろう、とハナは困惑することしかできない。いきなりキスされたことも相まって、困惑しっぱなしだ。
女王はくすくす笑っていた。
「ハナ、わたくしからもお礼を言わせてください。これからわたしたち人間と、『獣』の関係は変わっていくでしょう。もちろん良い方向に。それはハナのおかげです」
「わたしの……」
「えぇ」
正直、ハナにはその自覚はない。だけど人間と『獣』の関係が良くなっていくのなら、それはいいことのように思えた。
繋いだままの手が離されて、ぐいっと肩を抱かれる。
「俺も、な?」
シンに抱き寄せられるかたちになって、ハナはわけがわからない。どうして心臓がばくばく言い出しているのだろう。
「えぇ。もちろんです」
女王はあいかわらずにこにこと笑っている。
お付きの者に目で合図して、鏡を持ってこさせた。
「ではそろそろ始めましょう。ハナ、シン。元の世界でもお元気で」
「はい! 女王様、ありがとうございました」
シンにぐいぐい押されて、ハナは焦ってしまう。シンが怒っている気がするのは、気のせいだろうか。
鏡が光り出す。
「ハナ! 元気でね!」
「あんまり泣くんじゃねーぞ?」
「今までありがとう」
そう言ってサギリたち三人は手を振ってくる。
これで本当に最後だ。最後になにを伝えられるだろう。
「うん! ありがとう! みんなも元気でね!」
ハナも大きく手を振った。泣き出しそうなのを必死にこらえ、笑顔を見せる。
最後のお別れならばきっと、泣き顔よりも笑顔がいい。
そうしてハナとシンは光に包まれていった。
*
目を開けると、真の部屋だった。ベッドの上には目を瞬かせている真がいて、床に座り込んでいた花と目が合う。
「戻って、これたのか……?」
階段を上る足音が聞こえて、ドアをノックされる。
顔をのぞかせたのは、真のお母さんだった。
「あら花ちゃん、来てたの。久しぶりね」
「あ……。えっと、はい。お久しぶりです」
花は思わず時計を見る。時刻は六時を少し過ぎたところを示していた。
「真、具合はどう? 熱は下がった?」
「あ、うん。大丈夫」
間違いない。あのプリントを渡しに来た日に戻っている。
花はなにも言えないまま、真とお母さんのやり取りを見守っていた。
真は『戻ってこれた』と言っていた。アルデリアの記憶があるのだろう。あれは夢じゃなかったのだ。
「うん、もうすっかり治ったようね。じゃあ花ちゃん、ゆっくりしてってね」
「あっ、はい。ありがとうございます」
そうして真のお母さんは部屋を出て行った。
花と真は、顔を見合わせる。
「……夢じゃ、なかったんだよな?」
「うん……。あ、でも真くん、耳が戻ってる」
言った瞬間、真はがばっと耳を押さえた。その顔は赤く染まっている。
「どうしたの?」
「別に……」
花にかわいいと言われたことを気にしていたのだが、花は気づくよしもない。
真は手を下ろし、壁に掛けられた絵を見上げた。金の額縁に飾られた絵は、あいかわらず真っ白な雪原が描かれている。あの向こうに、アルデリアがたしかにあった。
花もつられて絵を見上げる。
「俺たち、あの絵に吸い込まれたんだよな?」
「うん。あの絵が光って、気づいたら雪原にいた」
真は立ち上がり、絵を外しにかかる。
「あっ、危ないよ!?」
「大丈夫だ」
絵は光らない。真は絵を裏返した。
そこには『久坂喜美』と書かれている。
「この名前……。図書館の本で見た……」
「本当か? これ、ひいばあちゃんの名前なんだ」
花と真はまた顔を見合わせる。
「ひいばあちゃんは、ちょっと変わった人だったらしい。もしかしたら、不思議な力があったのかも」
「それって絵の中に別の世界を作ってしまう、みたいな?」
突拍子もない話だ。だけどアルデリアでのできごとは、花も真もたしかに体験したことだ。
花はそっと金の額縁を撫でる。
「また、アルデリアに行けるかな」
「どうかな。でももうこりごりだ」
「もう! 真くんはそうかもしれないけど!」
絵は光るきざしを見せない。もう二度とサギリたちとは会えないのだろう。
淋しいけれど、仕方がない。
「花……。ごめん、な」
ふいに真が言った。驚いて顔を上げると、真の表情は沈んでいる。
花は真が『獣』として人々を傷つけていたことを言っているのかと思った。
「ううん、いいよ。『獣』になるところだったんだもん。しょうがないよ」
「そうじゃなくて! ……ずっと、無視してただろ? 悪かった」
花はまた驚いた。すっかりそのことは忘れていたのだ。こうして話していてくれる。それだけで充分だった。
「ううん……。でも、またこうして話してくれたら、嬉しい」
にっこりと笑う花に、真は顔をそむけてしまう。その頬が赤くなっていることに、今度は気づいた。
真はしばらく黙り込んでいたが、意を決したかのように顔を上げた。
「あのヤローに、その……されただろ」
「あの野郎?」
なんのことを言っているのだろうか。花は首をかしげる。
「あいつだよ! その、ほっぺに……」
ようやく合点がいった。ジウにキスされたことを言っているのだ。
思い出して花の顔は赤くなる。
「あれは……! たぶんお祈りの気持ちで……」
花の声はだんだん小さくなっていってしまう。ほっぺたとはいえ、初めてキスされたのだ。恥ずかしくないはずがない。
「……口は、俺に取っとけよ」
「うん……。え!? それどういう意味!?」
「そのまんまの意味だよ! なんか熱がぶり返してきた! もう寝るからお前帰れ!」
「真くん!」
真はベッドに入って、背を向けてしまう。
花の顔は今までにないほど赤くなって、心臓はうるさく音を立てている。こんな状況で放り出されて、どうしろと言うのか。
やがて真の布団がゆっくりと上下しだした。眠ってしまったのだろう。
生きている。生きてここにいる。
そのことがただ嬉しかった。おまけにまた昔のように話せたのだ。きっとこの先、昔以上に仲良くなれるのだろう。
花は机の上に置かれたままだった絵を、壁に掛けなおす。森の奥で、きらりと結晶が光った気がした。
気づいた恋心はまだつぼみの状態だ。
だけどその花が開くまで、もう少し。
星状六花のハナ 安芸咲良 @akisakura
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